1517_けら、啄木鳥、しらけどり、音頭。
啄木鳥、読みはきつつき、またはけら、だそうでございまして、なるほど知りませんでした。木をつつくのでその名がついたということは、けらの方の名付け理由はなんでありましょうか、鳴き声でありましょうか。啄木となると、たくぼくだそうでございまして、琵琶という弦楽器の曲名が一つだそうでございます。文豪の筆名でもあるそうでございまして、なんとも情緒あふれるようなそうでもないような名称でありますね、などとぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
木魚の拍子で延々と木琴を叩き続ける遊びはどこで覚えてきたのでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
啄む、ついばむ、とかにも使用する漢字であるようでございまして、鳥が口でつつく様子を表すようでございます。鳥限定であるのとかとぼんやりと他の用法を思い描いていくわけでございますが、魚などが、餌などをそうするところにも使用されるのではなかろうかなとか思い至り、なるほど、口が小さな生き物が、それを主に使用して、少しずつ食べていく、もしくは崩していくような描写に使用できるのであろうなとか、想像するわけでございます。
人が飲食をする場合におきましても、少量づつ、摂取する比喩やら描写やらとしてついばむはありうるのであろうなとか連想するわけでございまして、むしろ、小鳥の食事になぞらえて、小食であることを強調する場合に使用したりするのであろうかなとか、予想するわけでございます。
これが、食器で硬質な音を立てつつ食事をしている描写として使用すると、それはそれで面白そうではあるわけでございまして。行儀は悪いわけでありますが、それは文化によるのであろうかなとか連想するわけでございます、むしろ、小気味好く、綺麗な音を立てながら、食器を使うことを是とする文化とかあるならば、それは良いついばみでありますね、とか褒められてみたりするのでありましょうか、とか想像するわけでございます。
音楽性の高い食事と申しますか、対話の1種類としての食器ならし、もしくは演奏である可能性もありそうでございまして、食事中の会話が厭われている文化圏におきまして、しかし沈黙と申しますか、静寂もまたよろしくないとなりますと、食器をいかに音楽的に情緒的に鳴らすのかが、雅の極みのような作法になっていくとか、そのような発展を進めてしまうような流れであったりすると、独自色はありそうでございます。
良い音を出す食器というものに需要が生まれてしまうのであろうかなとか、咀嚼音はやはりよろしくない立派と、それも含めて響き合わせることをよしとする流派との対決とかもあるのであろうかな、とか、そもそも食事そっちのけで食器で音を奏でることが主体になってしまっている場合もありそうであるかなとか、いや食べることに使用しない食器とは、それはただたんに楽器であるだけではなかろうかなとか。
会話の道具としての食器であり、それは実は感染症対策であったりしたのであるかなとか、飛沫が飛ばないように、飲食時の会話が制限されていた、とか禁止されていた世界において、そのような食器を打つ音によって、対話をする文化が生まれていくという物語はどうであろうかなとか、想像するわけでございます。
無駄に高度な暗号めいた対話が、食器を奏でる音によってなされるわけでございまして、あくまでも音が中心でありますので、対面で食事をとることもなく、少々離れていても響くような工夫をなしていくならば、密が高いこともなくなるのであろうかなとか、複数の方が音を共鳴させあって、大議論のような流れに持って行くことも作法として生まれてくるのであろうかなとか、むしろ一つの芸術として昇華していく可能性まで、あるのでありましょうかね、と、ふと正気に返ったとろこでおしまいです。
「最後の晩餐がリモートで行われる世界、その発想は面白かったです」
「モールス信号の出番でしょうか?」
「リモートでゴルゴダの丘とか、結構盛り上がりそうではありますな”旦那様”
微妙に可能なラインでありますな、騒がしそうではありますが”奥様”」




