1516_卿等は何をしておるのかね、警邏、ケラ。
けいらと読むらしいですね。古い言葉のようでありまして、ちょっと昔の作品で気取ったとかやんごとなきとか身分の高いとか教養があるような人格が口にするような台詞であったような覚えがあるわけでございまして、金髪の皇帝様とかその周囲とかが使用していた様な印象がございます。もしくは大陸東側系の物語でありましょうか、君達、とかもそういえばあまり使用していない印象であるかななどとぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
諸君、傾聴したまえ。おやつがございますよ。一人しか徴収がおられないのに、大げさに発言することで、滑稽さを出すわけでございますね。一人で十分な勢いがあるということかもしれませんが。今日も元気可愛いですな。
大勢の方々に呼びかける単語というものは使用しない方は本当に全く使用しないものであるのではなかろうかなとか想像するわけでございます。多人数の前に立ち演説やら解説をするという行為はそれだけ稀なものであるのではなかろうかとか、ただ義務教育などの学習段階においてその練習をする場合は結構ありそうでございますので、皆無というわけでもないのであろうかなとか想像するわけでございます。
多人数で何か遊ぶ時においても、自身の主張を通すために、意見を提示する必要があると申しますか、その表すことそのものが遊びに直結している場合もありますので、対人的な技術としての演説と言いますか、説明と言いますか、言いくるめに近いものでありましょうか、もしくは説得でありましょうか、そのようなものが必要になり、自然に鍛えられてきた、とかそのような環境もありそうでございます。
人前に立つと緊張するという方も少なくないように観察されるわけでございまして、見られているということ自体が精神的な圧迫感を生み出してしまうのであろうかなとか連想するわけでございまして、その場合の原因は、何か失敗して笑われてしまうのではないかという、侮られることによる不利益を想像そうしてしまっているのであろうかなとか、予想するわけでございます。
単純になれない環境に戸惑っているだけという可能性もあるわけでございますが、注目されてしまうと、間違いに対する不利益が大きくなるという予想が行動に影響を与えるのであろうかなとか予想するわけでございます、不特定多数の方々に、自分の不勉強さを提示してしまうのではなかろうかという、恥の予想があるのであろうかなとか想像するわけでございます。
ただただ多くの耳目を集めてしまうことが羞恥を引き起こすこともあるのではなかろうかなと、注目されることそのもに負荷がかかるような人格もあるのではなかろうかという予想もあるわけでございまして、そもそも目立つということは、生存戦略的によろしくない、そうであった可能性が高いわけでございまして、ある意味目立ちた内容に行動するということは当然であるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
承認欲求と生存本能をどのように擦り合わせることができるのかが、均衡のとれた生き方になるということであるのであろうかなとも連想するわけでございますが、そもそも認められないと、生かされない世界というものが冷たすぎるのではなかろうかとか想像するわけでござまして、なるほど、構造の問題として認識したならば、どうにかできないかと儚い夢を抱くこともあるのであろうかなとか、寂しい想像になるのでございます。
思考の反射であるように振る舞うこともありそうであり、劇場型の人格であるならば、多数の人の目があってこそ、反応があっこそ自我を形成することができるというものも存在しそうでありまして、ある意味、外界に依存している人格であるとも言えるのではなかろうかなと、中になく外にある自我のようなものなのであろうかなとか、連想を発散させながらおしまいです。
「奥ゆかしい神様というものも需要はありますね」
「主張する行為が大切なのではなくその内容が大事なのです」
「秘められた神様と言いますと、ちょっと怪しくはありますな”旦那様”
話を聞いてくれる社会という構造は必要となりそうですな”奥様”」




