1511_銀牙、流星、大きさと距離。
巨大なものが遠方にあることと、矮小なものが至近にあることは影響力という点では同じものであるのではなかろうかなとかぼんやり想像するわけでございまして、その資源を客観的に観察すると、どうしてここまで影響を与えているのかな、とか疑問に感じたならば、距離を考慮に入れていない可能性があるな、とか観察する方向を変えてみるとかが有用なのではなかろうかなどとぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでし。
その絵は少し離れて見なければ良く見えませんよ。今日も元気可愛いですな。
力は距離の二乗に比例するのでありましたか、速さでありましたか、この辺りはうろおぼでであるわけでございますが、ちらりとwebを覗いた限りでは逆二乗に比例するとかいうようでございまして、ようは近ければ近いほど影響力が高くなるということに、違いはないようでございまして。
であるならば、あまり資源のない、能力とか才能とか実力とかそのようなものでありますが、それがないにもかかわらず、その人格に影響を与える可能性が至近距離によって増幅されている場合があるということであろうかなとか、朱に交われば赤になる、というような諺に代表されるように、それが小さな悪意であるとしても、近づけば影響力は半端ないということであるのであろうかと予想できるわけでございます。
逆もまた然りでありまして、小さな善意であったとしてもそれが身近に感じられるのであるならば、それはその人格に多大な影響を与えるのであろうかなと、予想できるわけでございまして、距離の近いしい人格同士の行動には、かなり気を使ったほうが良いのではなかろうかという、当たり前の前提が浮かんでくるわけでございます。
安全やら安定を確保するならば、なるほど、周囲と距離を取ることが大切であるのではなかろうかという発想は確かに正しいように思われるわけでございまして、他の人格との影響を最小限にし、もしくは客観的に判断できるように距離を置いておくことは、これは自己保全と申しますか、生存戦略的に正しい、かもしれなと想像するわけでございます。
ただ、社会性を主体にした生き物であるならば、これはかなり難しい行為に分類されるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、基本的に群れを作ることを前提にしておりまして、さらにはできるだけ近くに存在することで全体を活かそうとする方向に、世代を重ねるごとに調整されている、ように観察されますので、これに逆行する人格は否定されがちではなかろうかなと、想像するわけでございます。
近づきすぎてもいけないという学習も徐々にされているのであろうかなと予想できるわけでありますし、そのあたりの距離感は文化によっても違っているのであろうなと想像できるわけでございますので、際限なく距離を詰めることが良しとされる流れでもないのであろうかなとも予想できるわけでございます。
がしかし、人格を集団で融合させるようなまでに、距離を詰めることもその強さを増す仕組みとしては有効であるわけでございまして、この辺り、どちらの方向に舵を切るのかが問題になっているのであろうかなとか、想像するわけでございます。実際の問題として、情報の伝達に無駄が多い現状、群体化は難しいのではなかろうかと予想できるわけでございますが。
個々の人格が複雑化しているという不利な条件もありそうでございますが、そこを成長させて全体の資産を底上げしてきたという実績もあるわけでございますので、今更方向を転換するには遅いのであろうかなと、なるほど、すでに道筋ははるか昔に決定されてしまっていたのであろうな、とか、それっぽいことで煙に巻いておしまいです。
「すでに神様が決めてしまっていたのです、とすると楽になれます」
「客観視できるように学習深度を進めることが理想ですね」
「過去に決定づけられていたという観測は未来にしかないわけですので”旦那様”
基本的に手遅れであるという認識が深くなりそうではありますな”奥様”」




