1499_なだれちまった悲しみに、月の光が目にしみる。
悲しみの感情が溢れ出すというか、うまく積み上げていたものが、一息にぐしゃぐしゃと領域から平たくなるように不定形に変質してしまいまして、どうにもこうにもまとめることができないのでありましょうか、自分自身で制御できないからこその感情であるのであるとするならば、生き物として深刻な不具合ではなかろうか、などとぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
肉体的に疲れるまで泣き続けると、そのまま寝てしまうので、回復場面となるわけでございましょうか。そもそも何で悲しかったのかをすでに忘れているので、その行為は有益なものとなっている、のでしょうかね?よしよし。今日も元気可愛いですね。
理屈では筋が通っていても感情が納得しない場合というものはそれほど珍しいものではないわけでございまして、求めているものと現実との乖離が些細なものでもこの現象は発生するわけでございまして、その仕組みは結構複雑怪奇であるのかもしれないですし、客観的に見るとそれほど大したものではないようにも観察できる、のかもしれないわけでございます。
感情というものは、反応に時間がかからないようにするための仕組みとして働いている面があるわけでございまして、情報を入力して判断して出力するという手順を大幅に早回しにすることで、今そこにある危機を回避しよう、対応しようとする脳みその自動的な働きであるのであろうかなとか予想するわけでございます。
当然ある程度無駄が含まれるわけでございまして、そこは高効率よりも即応性を優先してきた結果であるのであろうかなとか予想するわけでございます。よく考えて間に合わなくなるよりも、すぐにある程度成功する方が、もしくは致命的な行為を避ける方が、生存戦略的に正しいことが多かった、のであろうかなとか予想するわけでございます。
結果としてそのように振る舞う人格が生き残りやすかったということであるのであろうかなと予想できるわけでございます、そのようなとっさの判断に代替する仕組みである感情が、時間に余裕があり論理的に思考できる場合において、行動に矛盾を感じさせるのであろうかなとか予想するわけでございます。
それは危険であるか、目の前の不具合であるか、負荷であることは明らかであるのであるけれども、それは未来においてある程度の利益を生むか、不利益を避けることにつながるのではなかろうかと予想できる行為に対して、感情と、理性のようなものが対立してしまうのであろうかなと想像するわけでございます。
要は予測演算の精度が低いがゆえに、感情が暴走してしまっているのであろうかなとは想像できるわけでございまして、現状の苦役が未来の栄光につながる実感が得られていない、のであろうか、とか予想するわけでございますし、実際それが未来において利益をもたらすかどうか、は、不確定なものであるという事実もあるわけでございます。
ならば感情のまま怠惰に、目先の快楽だけを求めて生きれば良いのではなかろうかという判断もなされるわけでございますが、ある意味それはそれで幸せな生き方ではなかろうかなという予想もできるわけでございますが、往々にしてそれは外圧によって遮られるものであろうかなという想像もできるわけでございます。
その外圧、生存環境が感情に沿って整えられてしまうのであるならば、それはそれで未来を放棄したことになる可能性も高く、とどのつまり、急場しのぎの要素であるところの仕組みのみで生き続けることの歪みによる不利益をあまんじることになる、のであろうけれども、その人格が幸せを感じでしまうのであれば、そのままになるのであろうなとか、まあ、面白ければ、それで良いのでしょうね、他人事なのでおしまいです。
「楽園なのに堕落させるわけでありますね」
「目の前にある快楽を追っていっても困らない環境を作ってしまったのです」
「楽園であるから堕落するのでしょう?”旦那様”
いつか困るけれども今ではない、ということでありましょう”奥様”」




