1492_ぞくぞくします、風邪かな?←危篤旗。
流行の病に対抗できる策があるならば、社会全体でそれをなすべきであることは自明の理である、とする意見と、個人の意思を大切にするべきである、という意見は、基本構造的に対立するものであるわけでございまして、解決策としてはどのようにかして、妥協点を探るぐらいしかできないわけでございます。確率的にかなり低いとはいえ、危険がある行為を自らの意思で選びとらなければならない、この精神的な圧力は、きつい方にはきついのであろうかなとか、想像するあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
予防接種は、幼児には問答無用で行うべきであるという方針に基づいて、丁寧に全て打たれているわけでございます。よく頑張りました。今日も元気可愛いですな。
覚悟が決められない人格は一定数存在するわけでございまして、自由意志で行わせている不利益がわずかでも存在する行為には、その方たちが、それを避ける層となるわけでございます。ほぼ全ての構成員が摂取しなければ効果が薄い予防接種を行うには、これは結構な問題になるわけでございます。
もちろん摂取を行うことによる利益のほうが大きいことは、社会管理者側とか行政側側とかが、丁寧に説明しようとするわけでございますが、そもそも管理する側とされる側との相性が、この個人の意思を尊重しようとする社会では、悪いとか悪すぎるとかそのように評価されることが多いように観察されるわけでございます。
管理者というものは、個人の権利を抑制することで、社会全体の利益を得ようとしているわけでございまして、これはもう相性が悪いと言うほかないわけでございます。でありますので、ささいなことから、反発し、信用しようとせず、むしろ勧められればされるほど懐疑的な目で見られてしまう、場合もありそうでございます。
双方の信頼関係が築けていないことがいびつな関係性の根底にあるのではなかろうかなと言う予想ができるわけでございまして、もちろん全て管理者側が失敗し続けているというわけではございませんが、環境を維持管理しているだけではなかなか評価してもらえず、その中で発生した不具合ばかり目につくような、評価構造であるので、これはもうどうしようもないのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
解決策としては、基本管理者側はこういうものであるということを正しく伝えていかないといけないのではなかろうかなとか予想するわけでございます。そのためには、現状を理解出来る程度の頭脳を育てなければならないのであろうかなと、最低限人の話を最後で聞いて、意図したことを大体は理解出来る、程度には能力を得させないといけないのであろかなとか、予想するわけでございます。
それはつまり一朝一夕にはいかないということと同義でありまして、長い目で、世代が交代する中で培われていかなければならない技術なのであろうかなとか、予想するわけでございます。これは、ある程度成長してしまった人格には難しい変革であるかもしれないと想像するわけでございます。
もしくは、老いて弱い立場になり、体力的にも怒りが持続しないような年代になれば、穏やかに評価できるようになるかもしれないわけでございます。さらには年月を重ねた英知が得られている、可能性もなくはないわけでございまして、一概に老害と斬って捨てるのではなく、落ち着いた、良い感じに枯れた熱量を素直に受け取る必要があるかもしれない、のではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
いやまあ、老いて良くなるような方は往々にして、若くても良い人であることが多いわけでございまして、そのあたりは、なんともどうしようもないのであろうかな、次代に期待ということでありましょうか、身も蓋もなく、おしまいです。
「神様に最善手を委ねてみるのも手かもしれません」
「確率的には正しいことを信じられないのは、学びの敗北でしょうね」
「神の言葉としてワクチンを打てと、良い神ではありませんか”旦那様”
最後に勝てるとよろしいですな”奥様”」




