1490_玉のような猫又、ぽちのような猟犬。
幼い時の容姿に基づいた命名は成長するに至っって不具合を生じさせるのではなかろうかな、またはその落差に可笑しみを見出すようになるのであろうかななどとぼんやり想像するわけでございますが、人間への命名を微妙な感覚で行ってしまうと、後々こじらせそうではあるかなとか、深刻な、そうでもない考えに至ってしまったあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
あなた様のお名前は、それはもう大したものでありますよ。おそらくは。今日も元気可愛いですな。
名付けというものには一種の呪いめいた役割があるとかなんとか発言する方もおられるようでございまして、あまりにひどい中傷めいたそれであるならば、一目瞭然であるわけでございますが、一見なんでもないような名前でも意味をずらしてしまうとか、読み方を変えてしまうとか、何かと組み合わせてしまうとか、もしくは歴史的背景を考察してしまうと、不幸な感情を抱くようになる、可能性は常にあるわけでございまして。
そこに愛がない名付けはそのものを不幸にしてしまうのか、という命題は結構昔からあるようでございまして、縁起の良い名称はこれこれこう言うものでありますよというような名付けに関する書物はかなり遡って存在する、ように観察されるわけでございまして、験担ぎというものもあったのであろうかなとか、むしろ名付けこそ幸福になる根本的な呪術であったのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
形のないなんだかわからない不安定なものに、名付けを行うことで、はっきりとさせる、これだけで呪術的な構造になっているのであろうかなと、もしくはこれの逆もまた然りであり、名前を取り上げることで、存在をあやふやなものに貶めてしまう、もしくは成り上がらせてしまう、常道から外させる仕組みもまたあるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
お気軽に、のんきに、成り行きで、それを行うことは避けた方がよろしい、このような意見もございますし、直感に従った方が、それにふさわしい名付けになるのでは、との意見もございます。その場の環境によって違うのであろうかなとは予想できるわけでございますが、結果として誠実さが損なわれてしまうと、それは後で不具合を生みかねないわけでございましょうか。
ありきたりな、見たままの名付けがふさわしい対象も確かにあるわけでございまして、ただそれが印象だけで本質を表していない、隠されていた性質とは真逆であったことが判明した場合に名と実の成り立ちの乖離が脳みそを混乱させる可能性が高くなるわけでございまして、そのあたりは、注意が必要になるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
名前の持つ印象にひきづられてしまって、その本質を見誤ることは十分に良くある事象である、と想像するわけでございまして、それを避けるために命名には気をつけなければならないという意見も正しいわけでございますが、それはそれとして、印象に深い連想からの命名は、これは無くならないのであろうかなと予想するわけでございます。
未知なるものは恐怖と同義語になることが多いわけでございまして、できるだけ早く不安を払拭したいとなるのは本能であり、そうであるなら、連想しやすい名称をつけてしまて、安心しようとなるのは、自然の流れであるわけでございまして、この辺りの構造で、風評被害にあいそうな、迂闊な名付けが行われるのであろうかなと予想するわけでございます。
これはそう、名付けの神性さを再布教していくしかないのではなかろうかとかぼんやり連想したあたりでおしまいです。
「名付けは神の特権であるとかの構造もかつてはあったのでしょうね」
「見たまんまで問題ある名称もありますからね」
「そもそも神様でしか発音できないのではという問題はありましたな”旦那様”
ネガティブな形状でそのまま名付けるとまずい場合はありますな”奥様”」




