1489_噛むだけで良くなる頭?
良い頭の定義から決めておかなければ意味がないのではなかろうかなとか想像するわけでございますが、なるほど確かにそれは結構難しいのではなかろうかな、と連想するに至るわけでございます。客観的に測れる物差しのようなものとしては記述試験とかの成果があげられるようではございますが、それは性能の一面しか表していないのではなかろうかと言う心配が常に付きまとう、けれども、要素の一つとしては確かなものではあるのであろうかなとか、ぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
よく噛んで食べるとその刺激が頭に良いらしいですね。なので美味しいからといって頬張らないでください、噛めませんし、喉に詰まります。今日も元気可愛いですな。
最適解を瞬時に選び取ることができることが、頭が良いということである、というような基準はありそうでございますが、そもそもどれがそうあるか、あったのかという評価が正しくなされるならばという前提が必要でございまして、同じくらいかそれ以上の能力がある方にしか分からない答えは、社会構造上の最上ではない、場合もありそうでございまして。
最適解であるのに、そうではなくなってしまうので、事前の策や、一見愚かに見える振る舞いを強いられる、場合が、頭が良いのにそうしてしまうことがありそうでございまして、この場合、評価が難しくなるわけでございます。明らかに将来禍根を残すような行動であっても、今現在の状況を鑑みると最善であった、と評価される可能性も高いわけでございます。
そうならなように社会全体の実力を底上げしておく必要があるわけでございますが、地味で時間のかかる行為に対する評価がなされにくいという、現状の構造があるがゆえに、明晰さを利己的に使用することが頭が良いということであるという側面から、それがなされにくいという構造が存在するのであろうかな、と予想するわけでございます。
寿命が少ないことが遠因であるのであろうかなと、社会構造の変革はそれこそ100年単位で行われるようなものであり、これは無理なく、自然に移行するとしての必要期間でありますが、それに対して、生きても百年は活動できない個人との、断絶的な構造的不具合が矛盾を生み出してしまっている、のではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
頭脳明晰な方々が、社会全体の構造全体の利益を考えて行動するように環境を整える必要があるのではなかろうか、とか予想するわけでございます。帰属意識の高まりを誘導するような、社会の長期的不具合を持ってして個人の短期的な利益を得ることを否定するような、価値観を作る必要があるのではあろうかなと、そしてそれは結構昔よりされてきたのではなかろうかなとか想像するわけでございます。
あえて個人の能力に頼らないように構造を構築することもそれほど珍しい発想ではなく、ただそれであると、間に合わない場合も多々あるのであろうかなという予想もできるわけでございます。突き抜けた才能を持つ人材を有効に活用することと、どのような人格であっても、最低限何らかの働きを割り振って、安全に運用できる組織を作ることは、互いに反発するようなものではない、となるような組織を作り上げる必要があるのであろうかなとか想像するわけでございます。
頭の良さというものほ、つまるところそのような構造を構築できる能力の有無である可能性が高いのではなかろうかという予想ができるわけでございますが、当の本人にしてみると、何ら特別な才能はないと嘆いたりして自己評価が低かったりするのであろうかなとか、この辺りの不具合をどうにかする技術を持つことが、頭脳の使い道だったりするのであろうか、などと、ぐるぐる回っている話題を放り投げて、おしまいです。
「親愛の仕草としてお互いに牙を立てるような宗教もありそうですね」
「食育と絡めてみる方法は確立しつつありますよ」
「牙を持つ民の方に興味がありますね”旦那様”
食文化が乏しい地域はどうするのでありましょうかね”奥様”」




