1469_ふねふね、くねくね、まねまね。
不定形の生き物であるならば、相手を模倣することができるのではという発想を最初になした方は、結構想像力豊かであったのではなかろうかなとかふと思い浮かべるわけでございますが、そもそも泥をこねて生き物を作ったというような神話が有名であるのであるならば、それほど突飛な連想ではなかったのかなとかも思考が進むわけでございまして、創生ではなくて生き物として登場してきたのは必然であったのかなとかぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
こう、なんとも言えないようなものを造形してしまうわけでございまして、芸術的ですねと褒めてみるわけでございますが、はい。今日も元気かわいいですな。
相手と姿かたちが同じになれるという能力を持つ生き物がいるとして、それはどうしてそうなったのであろうかなとか発生原因を推測してみると、やはり、擬態による生存戦略があったのであろうかなとか、予想するわけでございます。皮膚の色を変化させて風景に溶け込むような生き物はそれほど珍しいわけでもないようでございますので、その発展系になるのではなかろうかなと。
情報の処理方法やら、入力方法、取得方法がきになるところでございまして、三次元でのしかも動態でのそれをどのように手に入れて、どのように再現するのかが、不可思議と申しますか、計算能力が凄まじいことになっているのではないかなとか予想するわけでございまして。
単純に姿かたちを真似るのであるならば、それほど難しくはないのでは、とか予想はするわけでございます。特に、一面だけを真似るのであるならば、これはだまし絵のように表面の色彩変化を利用して、そう見えるように、色をつけていけばよろしいわけでございまして、ある種の芸術じみたやり口で行えるのではなかろうかなと予想するわけでございます。
一方でそれを三次元へと展開することは、これはなかなか難しいのではなかろうかなとか予想するわけでございます。空間の把握も必要になるわけでございまして、一種類の何かに擬態する、そのまま固定されているのであるならば、これはそれほど珍しいことはなく、いやさ、珍しいことは珍しいですが存在していないわけではないわけでございます。
しかしその選択肢が多岐にわたる、と申しますか、無数に、情報を取り入れただけ変化できるとなりますと、途端にその存在が怪しくなるわけでございまして、空想上の生き物でしかありえないのではなかろうかとかになってしまうわけでございます。ただ、それが本当に存在するならば、その内部での情報処理能力やら肉体制御能力やら、仕組みを解析するだけでとてつもない知見を得られるのではなかろうかなという予想もできそうでございます。
計算することで、立体の何がしかを想像することはすでに可能であるわけでございまして、それを現実の世界でも再現しようとすることはそれほど難しくないのではなかろうかとか予想もできるわけでございますが、やはり問題となるのはその元となる材料であるのであろうかなとか連想できるわけでございます。
自由自在に変形して、ある程度の弾力を併せ持ち、さらに特定の条件で硬化する、可逆的にその成り立ちを、性質を変えることができる物質という、すでにそれそのものが、とて血もない、進歩した科学によってしか作成することができない物質となってしまうわけでございまして、なるほど、それを存在させるだけで、多くの労力が必要となるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
ただ、時間さえかければ好きなように造形し、動かすことができる、可能性もあるわけでございますので、可逆的ではない創造はすでになされつつある、と見ることもできるのではなかろうかなとか、まあ、知らずに賢者の石を手に入れている人類とか、面白そうではあるかなと、笑って、おしまいです。
「神の御業であることは躊躇する理由にはならない、のでしょうね」
「できるのであるならば、やらないではいれらない、人も多いです」
「超えていくkとを期待している神もいるのでしょうな”旦那様”
好奇心こそ原動力、これはまあ根底にありそうではありますな”奥様”」




