1470_マネーの猫、招き猫、にゃーん。
猫の鳴き声が肯定の意味になる世界もあるのですね、とか、応援の意図としてのそれもあるとかなんとか、共通の認識として尊いものであるとか、価値のあるものであるとかが、設定されているのであろうかな。嫌いという方もおられるとは想像できるわけでございますが、それを勢いで駆逐していく感覚もまたあるわけでございまして、すでに世界はあの獣によって征服されてしまっているのではなどという妄想を浮かべながら始まる今日のゴブリンでございます。
幼児に猫耳とか、破壊力しかない装いなわけでありますな。今日も元気可愛いですな。
虎は大きな猫であるという乱暴な意見もあるわけでございますが、猫になった虎は、牙を抜かれた獣のような、弱体化してしまった、何かのたとえになってしまうわけでございますが、ここに猫の貴重性やら、希少性やら、純粋な可愛らしさが正義という価値観が加わると、肯定的な意見になってしまうこともありそうな、ないような、まあ、にゃーん?
勝負事の中で、勝敗を超越した価値観のもたらしてしまうということは、これはもう無敵になったと言っても過言ではないのではなかろうかとか、想像してしまうわけでございまして、無限に相手に忖度してしまうような存在に成り上がった場合、これはもう勝負する必要がないのではなかろうかなという展開に向かう可能性が高いわけでございまして。
加虐的な嗜好を助長する可能性があることが難点であろうかなとかは予想するわけでございますが、それすらも超越する可愛らしさというものが存在するならば、それは猫かそれに連なる何かであるのではなかろうかなどと、妄言を吐く者が存在するくらいには、大きな力を持つ集団になっている可能性がある猫好き達であるのではなかろうかなとか想像するわけでございます。
これは一種の洗脳ではなかろうかなどという危惧もあるわけでございますが、思考放棄による平和維持、これはそれほど珍しいものではなくその対象と申しますか、装置としての猫は確かに存在するのではなかろうかとか、予想するわけでございます。その可愛らしさの要素を追求していくことで、暴力的な思考を抑制することができるのではなかろうか、などという動機で、猫学会というものが隆盛を誇っている、などという妄想もはかどるわけでございます。
現実的には、冗談の域を出ないわけでございますが、人が全て猫的思考を身につけたならば、世界は刹那的に平和になるのではなかろうかなという意見も、それなりの説得力を持つのではなかろうかと予想するわけでございまして。悩みをなくするには人類猫化計画が必須なのであると、狂的科学者が暗躍する日も近いのではなかろうかとか、すでにそれは行われている最中であるのではとか、夢想すると楽しいものがあるわけでございます。
無差別に感染する人猫化症状病原体とか、結構な空想話で取り扱われているものであるそうでございまして、まあ、病気ならばしょうがないよねと、嬉々として猫になる人類とかもありそうでございます。人がいなくなり猫だらけの世界とかになりますと、お世話するものがいなくなって、猫的には不幸なのではなかろうかなとか想像するわけでございますが、なるほど猫の奉仕種族としての人間は必要なのであろうかなとか、連想するわけでございます。
古いき始まりの猫とか、猫の旧神とか、きっとどこかに存在するのであろうなと予想するわけでございまして、もしくは猫の原型とかでありましょうか。猫の要素を抜き出して抽象化して、取り入れることによって訪れる平穏とか平和とかは、その中に取り込まれてしまえば、可愛らしいものになるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
野生の度合いが高すぎる猫化はそれはそれで殺伐としそうな気もしますので、飼いならされた、人間に可愛がられることを生存戦略としているにゃーんを元にした、人の変身が今求められている、としたならば、ある意味終末が近いのかもしれない、などと、適当なことを呟いていておしまいです。
「人は、神様にとっての猫なのかもしれませんね」
「この子やっぱり可愛い」
「ぶさ猫もそれはそれで可愛らしいですから”旦那様”
戻ってきてください”奥様”」」




