1453_回文の怪文、変態飛行、ぶーん。
題名を回文にしようとする試みがなかったわけではないわけですが、労力に効果が見合わないのではなかろうかという予想のものと断念した経緯がございます。諦めに至った時間は数秒でございますが。前から読んでも後ろから読んでも同じ文章になるという仕組みは、それをする言語によって難易度が変わるのであろうかなとは簡単に予想できるわけでございまして、一文字ごとに発音が大体割り振られている言語はこれは有利であろうなとかぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
言葉を覚えるきっかけにはなりそうではありますな。しかしどこで覚えたのですかという発言もそろそろ多くなってきたようで、いやほんとうにどこで耳にされたのでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
発音にこだわらなければ、文字を逆から並べても意味が同じになる表記はありそうでございますし、実際に幾つか観察できるわけでございますが、音にした場合に逆からも同じものになるという言語は確かに珍しいのではなかろうかとか想像するわけでございます。そもそも日本語に似ているような言語体系が極めて少ないことが予想されるわけでございますが故に、音まで含めた回文が存在する可能性が他言語には極めて少ないというこれまた予想があるわけでございます。
ただ、発音だけに注目するならば、他言語でも回文が存在するのではなかろうかという予想が立つわけでございまして、それを表記すると逆からはとても読めないわけでございますが、無理にでも発音次第では、なんとか逆にすることができる、可能性があるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
それに何の意味があるのかは、別問題として、言葉遊びとしては、韻をふむようなものに近い、拍子を楽しむような、音楽性のある語句の並びで楽しむような娯楽の延長線上にある、技術ではなかろうかなとか予想するわけでございまして、道化師あたりが、逆立ちしながら、歌うようにして披露するあたりが、映像としては、ふさしわいのかしもれないとか、まあ、ぼんやりと想像するわけでございます。
文章の終わりの発音が、初めの発音として使用可能なものであるかどうかも回文がしやすいかどうかの指針になるのではなかろうかとは、まあ普通に、予想できるわけでございます。かすれるような、とても文頭には使用できないような結びで発言がしめられてしまっているものも多そうでございますので、そうすると、逆から発音することがかなり不自然なものになってしまうのであろうかなとか想像するわけでございます。
逆さ言葉を常に使用している子供とかそのような特徴づけをするならば、使用言語は日本語でなければ難しいのではなかろうかとか想像するわけでございますが、他言語の逆さまに発音することが難しい、かなり不自然になるものであったならば、さらに意味不明度が増すわけでございますので、不気味な雰囲気を演出するには向いている可能性があるわけでございます。
むしろ逆さ言葉を不自然ではない程度に聞き取れる言語というものが珍しいのではなかろうかという予想もできるわけでございまして、この辺り独自性の表れであると言ってもよろしいのではなかろうかとか、まあ、誇れるかどうかは別にして、そのような評価もできるのではなかろうかとか、有利か不利かは別としてありそうでございます。
さらに突き詰めるのであれば、それを構成する音をだいたい内包していれば、順番が前後しても問題なく意味を理解出来るのわけでございまして、なるほど、違和感は感じるもののだいたい正しく情報を伝達できるとなると、これはまあ結構強固な言語なのかもしれないとか、ぼんやりと勝手に評価してみたところで、おしまいです。
「賛美する語彙が多いと宗教書が厚くなる傾向にある、かもしれませんね」
「状態を表す単語が結構多いようですので、使い分けに苦労するようです」
「回文で賛美するような遊びもできそうではありますな”旦那様”
直感で使用していると言うと他言語を母国語にする方々に驚愕されますな”奥様”」




