1433_間者は猫、可愛いは正義。
不細工は邪悪とかになるのでありましょうか。生きてください貴女は美しい、の逆は、死んだ方がよろしいのでは、醜い、になるのでありましょうね、そう考えると、かなり世間は厳しいのではなかろうかとか、まあ、何をもってして美醜を判断するのかという点で、相違がありそうではございますが。多方面へ喧嘩を売っている場合ではないような気がしつつ始まる今日のゴブリンでございます。
徹頭徹尾可愛いとはこういうことかと常に突きつけられているような環境と申しますか対象がここに存在する、尊い、などと崇拝しておいた方が精神的に楽なのでありましょうかね。今日も元気可愛いですな。
美しいとはどういうことであるのでありましょうかね、とか、まあ若さ溢れる疑問を恥ずかしげもなく提示したりするわけでございますが、基本むだ話であるならば、適当な題材ではなかろうかとも予想できるわけでございます。曖昧模糊としていて結論が出そうにないか、人それぞれでそれが出てきそうなところが、娯楽としては最適なのかもしれません。
整っている、澄んでいる、規則性があるならびをしている、均されている、同じ形をしている、左右対称である、平均的である、揃っている、新しい、無垢である、とかなんとかあたりで描写できるような存在やら概念をもってして美しいと言える、のでありましょうかね、ただ作り物めいた、と付け加えられてしまうと、それは肯定的な美しさではなくなるとかでありましょうか?
乱れている、ばらばらの大きさ、淀んでいる、乱雑なならび、凸凹している、ささくれている、均一ではない、左右で形が違う、古い、汚れている、混ざっている、あたりをもっていして醜いとか表現されるのであろうかなとか、趣があるという表現を付け加えると、肯定的な印象を与えるわけでございますが、その場合は醜いとは言わないことが多そうではあります。
美醜を語るときに、醜いの方は、それが肯定的に捉えるような要素がある場合には、そのような表現をしない傾向にある、ように観察されるわけでございます。一方で、美しいは、否定的な意味で表現されるときにも、変わらず美しいという言葉をそのまま使用することがあるように、観察されるわけでございます。
つまるところ、美しいという言葉そのものに、昔からか、いつしかからか、は判明しないけれども否定的な意味合いが含まれているということであろうかなと予想するわけでございます。これは整然としている様子が冷たい印象を与えることがある、この連想があるのではなかろうかなとか、人間味がない美しさ、などという、温かみがない、鮮烈な印象が、否定的に捉えられるような場面があるのであろうかなとか予想するわけでございます。
醜いの方というと、これを人間味溢れる魅力として捉える場面が少ないように観察されるわけでございまして、そのままは肯定的な表現として使用し辛いのではなかろうかなとか予想するわけでございます。そうでもなく、醜さが迫力となり、感情を揺さぶらせる要因となることもまたあるように観察されるわけでありますので、肯定的に使用できなくもない、のではとも予想できるわけでございます。
文脈によって、美醜の評価が変化することは当然でありまして、美しさは冷たさを、醜さは暖かさを表現する場面もありそうでございますれば、この辺り、一概にどちらが良いかとは言えない場合もありそうではございます。もっともだいたいにおいては、美しさが利であり、醜さは損であることが多いことも確かなのではなかろうかとは、予想するわけでございますが。
美しくとも歪んでいることはありますし、まっすぐと醜いものもまたあるのであろうかなとか予想するわけでございますが、可愛いは、どうやっても可愛いままであるのではなかろうかなとかふと思いついたりするわけでございまして、なるほど、確かに一定の基準にはなるのであろうなとか、ぼんやりと思い描きつつ、おしまいです。
「神様が可愛ければ、完璧ではないでしょうか」
「美しい間違いもあるわけです」
「威厳の代わりに親しみを、なるほど面白い戦略かもしれませんな”旦那様”
間違いはある意味破滅的な美しさがありますからな”奥様”」




