ヘイジング
入学はいつでもOKなレガリア大学とはいえ、ある程度新入生の多い時期ってのはある。
それが、春と秋だな。
季節は巡り、春。
学術都市の夜風は、冬の名残を微かに含んでいてまだ少し冷たい。
俺は学生街から学園都市の一等地にあるタウンハウス(実家が手配してくれた借家だ。正直一人で住むには広すぎる)への帰り道、見知った男の影と出くわした。
「……あぁん? ルークじゃねえか。こんな時間に一人でめずらしいな?不用心だぞ」
「リュシアンさんこそ。夜遊びすか?」
暗がりから現れたのは、整った顔立ちにどこか投げやりな雰囲気を纏った上位学部生、リュシアン先輩だった。
伯爵家の令息で、喧嘩が滅法強いうえに次期研究員の呼び声も高いという、とんでもないスペックの不良学生である。
「まぁ、そんな所だな」
にやっと笑う先輩は、シガレットのスモーキーな香りの奥から、ほんのりと女物の香水の匂いを漂わせている。あらあら、お盛んな事で。
そんなこんなで偶然出会った先輩と、なんやかんやでちょっとした立ち話のつもりが、気づけば俺たちは街灯の下で熱い学術討論を繰り広げていたのだった。
「ルーク、あの講義で教授が言ってた『古代法における契約の優先権』の話は、お前どう思う?」
「え? ああ……俺は正当な登記が先だと思うんすけど」
「甘いな。あの時代の法解釈なら、宣誓の儀式自体が不可逆な効力を持つはずだろ」
二人とも引かずにあーだこーだと言い合っているうちに、リュシアン先輩がニヤリと口端を上げた。
「……よし、今から大図書館行って原典確認するぞ」
「えっ、今からですか!? もう夜中ですよ!?」
「鍵なら閲覧室の脇から入れる手がある。巡回も一階の中央ホールまでしか行かないしな。行くぞ」
流石は不良兼天才先輩、行動力が違う。俺たちはそのまま学内に忍び込み、夜の大図書館へと向かうことになった。
──静まり返った夜の大図書館。
目的の閲覧室エリアへと足を運んだその時、俺はふと足を止めた。
(……ん?)
本来なら真っ暗なはずの廊下の奥、個室閲覧室のひとつの扉から、橙色の光が漏れていたのだ。
さらには、ゲラゲラという不快で下品な笑い声。
俺はリュシアン先輩に目配せをしてから、こっそりと扉の隙間に近づく。安酒とタバコの臭いがプンと漂ってきた。
(おいおい、図書館で酒盛りかよ……ダサいなぁ)
そして、部屋の中をそっと覗き込んだ俺は……。
息をのんだ。
室内のテーブルと椅子を占領しているのは、酒瓶を片手に煙をくゆらせる上級生たち。そしてその中央には、地べたに座らされている一人の小柄な少年がいた。
銀髪のストレートヘアに、理知的な翡翠色の瞳。
そして……繊細な銀縁の眼鏡。
(まさか、ライナー……!入学していたのか!)
しかし、今の彼の姿は悲惨だった。
上着は脱がされ、頭から冷水でも浴びせられたのか全身がびしょ濡れになっている。さらに、顔やシャツには嫌がらせでかけられたのか、黒いインクが痛々しく滴っていた。
机も椅子も与えられず、地べたに座り込んだまま、屈辱に唇を噛み締めながら何やら必死に暗唱していた。
「──な、ならび、に……同法第三条に基づく……権限の……っ」
「ギャハハ! 声がちいせえよ新入生! まだまだ酒が足りないのかな~?」
二十代前半の学生達が愉快そうに、ライナーの頭の上で酒のグラスを傾けている。
……あーあ。あの顔ぶれは、モルダウの同郷会か。基礎課程に何年も居座ってる万年留年組が、悪質なヘイジングを今どきまだやってるのか。見たとこ、完璧に暗唱できるまで帰しませんってとこか?
ライナーの瞳には、屈辱の中にも、負けてたまるか!って感じの青い光を灯しているのだが…。
う~ん。相手は単にイジメを楽しんでいるだけだから、努力や根性なんて意味ないんだよなぁ。
「……ルーク、何見てんだ?」
後ろから追いついてきたリュシアン先輩が、俺の肩越しに中を覗き込む。
「……ちっ。バカ共が、夜の図書館を汚してんじゃねえよ」
「……ですね。リュシアンさん、原典の確認の前に、ちょっと雑用かたづけちゃいますか」
俺は肩をすくめ、苦笑いを浮かべながら、その重い扉を勢いよく蹴り開けた。
──ドォンッ!
夜の大図書館に、不似合いな重い衝撃音が響き渡る。
蹴り開けられた扉が激しく壁にぶつかり、部屋の中で酒を飲んでいた留年組が「ヒッ!?」と体を跳ねさせ、一斉にこちらを振り返った。
「な、なんだお前……っ!?」
俺は両手をポケット突っ込んだまま、軽薄な笑みを浮かべて室内へと足を踏み入れる。
「おいおい、夜中に新入生囲んで酒盛りか? ずいぶんと可愛らしいおままごとだな」
地べたに座り込んでいたライナーが、インクと水で濡れた銀縁眼鏡の奥から、驚愕に満ちた翡翠色の目を大きく見開いた。
「よっ、新入生。入学早々、ずいぶん手荒い歓迎を受けてるな」
「調子に乗るなよてめぇ! 俺たちは同郷会の伝統的な指導を──」
一人が顔を真っ赤にして立ち上がり、酒瓶を握りしめて怒鳴り散らそうとした──その時。
俺の後ろからゆっくりと歩み出てきた男の姿を見て、留年組の顔色が瞬時に土気色へと変わった。
「げっ、リュ、リュシアン……!?」
「伝統、ねぇ……?」
リュシアン先輩が、低い声でフッと鼻で笑う。
シガレットと甘い香水の匂いを漂わせながら、怠そうに留年組を見下ろすその眼光は、まるで獲物を前にした肉食獣そのものだ。
「リュシアン、お前まで、なんでここに……!?」
「新入生に対する身体的危害の強制……これを学士会に報告したら、お前たちの家門にどんな通知が行くか、楽しみだなぁ…?」
「く、くそっ……! こいつも、前から気に入らなかったんだ! 痛い目を見せて叩き出せ!」
パニックを起こした留年組の一人が、ヤケクソで木製の椅子を振り上げ、リュシアン先輩に襲いかかった。あ~あ、アホだなぁ……。
「……頭だけじゃなく、腕まで鈍いとはな」
リュシアン先輩は避けることすら最小限に、振り下ろされた椅子を片手で軽く受け止めると、そのまま腕を捻り上げて力任せに体勢を崩させた。
『ガァン!』という鈍い音と共に、留年組が一人、床に転がって悶絶する。
間髪入れず、襲いかかろうとしたもう一人の胸ぐらを掴み、そのまま壁へと叩きつけた。
「ひっ……! わかった!悪かったからっ……!」
「おいおい、もう終わりか?ご自慢の『伝統の指導』とやらを、もっと楽しませてくれよ…」
リュシアン先輩が冷徹な笑みを浮かべたまま手を放すと、壁に叩きつけられた生徒は腰を抜かして這いつくばった。
一瞬で圧倒的な格の違いを見せつけられ、残りの留年組も完全に戦意を喪失し、震えあがっている。
「パーティーは終わりだ……。お前らの散らかしたゴミを全部片付けて3分以内に失せろ」
かくして、リュシアン先輩の一言で、留年組たちは逃げるように片付けをはじめ、脱兎のごとく部屋から走り去っていったであった。やれやれ、だな。
当のリュシアン先輩は、いつのまにやら優雅に書架に背をあずけて紫煙をくゆらせている。
俺は、ぽかんとした顔で成り行きを見守っていたライナーに歩み寄り、手を貸して立ち上がらせた。
「あーいった道理の通じない手合いの言う事なんぞ、まっ正直に聞くだけムダだぞ~? ま、今日は偶然にしろ助けられてよかったよ」
呆けていたライナーだが、はっと正気に戻ったかと思うと、顔を真っ赤にし反抗的に俺の手を振り払った。
「……だ、誰も助けなんて求めていませんよ!勝手な事しないでください!」
こら!ライナー君だめでしょ!リュシアン先輩から冷ややかな殺気が飛んできていますよ!
ヒヤヒヤしながら見守っていると、ライナーはバツが悪そうに視線を泳がせ、
「……で、でも、一応お礼は言っておきます。……ありがとうございました」
と、恥ずかしそうに、俯きながら礼を述べるのであった。
よかった。リュシアン先輩の威圧感がスッと消えた。本当によかった。命拾いしたなライナー。
「はは…、いいってことよ。……ところでさ、お前、ライナー・フォン・ロゼンタール…だよな?」
「は、はい…。私のことを、ご存知なのですか?」
はい。ご存知です。平民の女の子に心を乱されて思春期こじらせちゃう事をご存知です(夢の中の話だけど)。
……なんて事は当然言えるはずもないので、それっぽく誤魔化すのだった。
「まぁ、な。モルダウ公国から優秀な生徒が入って来たって話題になってたからな。お前の事だろう?
…ほら、なんだ。目立てばそれだけ嫉妬にもあう。ここは貴族社会の縮図だと思って、人間関係も学ぶんだな。
俺は、レオポルド公国のルーク・フォン・ヴェルディエだ。今後も何か面倒事に巻き込まれそうになったら、遠慮しないで俺のとこ来いよ?」
「ヴェルディエって……侯爵家、じゃないですか。……なんで、貴方みたいに高貴な方が? 初対面の人間にそこまでする必要は無いと思いますが……」
「はは、まぁ、なんつーかさ、俺は優秀な生徒が潰されるの見るの、そんな好きじゃないんだわ。……お前をバカにしてたやつらの鼻、あかしてやれよ。お前なら、頑張ればきっと、そう、2年もあれば修士に行けるからさ!」
「2年……」
俺はライナーの肩をぽんぽん叩きながら、面倒見の良い先輩の顔(当社比)を浮かべる。
「住んでるとこどこだ?寮か?送ってくか?」
「……いえ、そこまでのお手数は不要です。ありがとうございます」
うん!自尊心の高さ故かちょっとツンツンしてるけど、ちゃんといいこじゃないか!
「おう、それじゃ、気をつけて帰れよ。リュシアンさん、行きましょう」
深く頭を下げるライナーの気配を背中で感じながら、リュシアン先輩と連れ立って部屋を出るのだった。
「……なんか、原典確認する気もなくなっちまったなぁ」
「ははは、今日は大人しく帰りますか?」
「それもなんかシャクだな……。ルーク、今から俺んち来いよ。レアもんの蒸留酒が手に入ったんだ。付き合え」
「マジっすか!行きます行きます!やったー!」
──そして翌日。
リュシアン先輩と仲良く登校する俺を見かけたクロードに詰問され、またも胃を痛めるハメになるのだった。




