パイセン
ひとり、ふらりと俺は時計塔の裏に向かった。
誰にでも、時には深呼吸が必要なのだ。
ポケットの中のシガレットケースの存在を感じながら、大抵は誰もいない時計塔の裏にたどり着くと、そこには先客がいた。
亜麻色の髪を靡かせ、紫眼を妖しく光らせている。
アルテンブルク公国の伯爵家嫡男にして、弁論の冴えも、素行の悪さも学内随一。
血筋・容姿・才能の三拍子が揃った(俺も揃ってるつもりだが)、二歳年上のリュシアン・フォン・グラフェンベルク先輩だ。
そういや、この人も俺の夢に出ていたな。
「すみません、お邪魔しま~す」
「ルークか。ハッ、相変わらずだらけた顔しやがって」
まぁ!失礼な!
艷やかな黒髪に、アンニュイな黒目。母親譲りな中性的な面立ちの美少年なんですけど!
いつも隣に『光の貴公子(笑)』がいるから目立たないだけなんですけど!
「リュシアンさん、久しぶりですね。研究の方はどうなんですか?」
木に寄りかかる先輩から一メートルほど距離を置き、横並びにしゃがみ込む。いわゆる、うんこ座りってやつだ。
「チッ、別に興味もねーこと聞いてくんじゃねぇよ」
「え~?……んじゃ、興味あること聞きますね。赤い暖炉亭のイルゼちゃん、どうでした?」
俺はシガレットに火をつけながら、いたずらっぽく横目でチラリと見ると、先輩の形の良い眉がピクリと跳ねた。
「お前な……」
呆れられている。
「いやいや、誰にもなびかないことで有名な看板娘を容易く落とすとは、流石だな~って思いましてね。よっ、色男!」
本当にこの人、クロードとはまた別のベクトルでかっこいいんだよなぁ。
高貴な野良猫みたいな雰囲気で、見た目は優男なのに言葉は辛辣、喧嘩も強い。
プレイボーイだけど上手に遊んでるあたりは流石だし、何より、むやみに人を寄せ付けないくせに実は面倒見がよくて優しい。
「……そう言うお前は、いつもつるんでる『いい子ちゃん』を放っておいていいのか?」
「あぁ、クロードですか……? ははは、ダイジョウブダトオモイマス」
ほんと、この人ってば。
興味のないこと、望んでいないことでも、頭が良すぎて見聞きしたものをすべて天才的頭脳が勝手に処理しちゃうんだろうな。それはそれで、ストレスがすごそうだし、普段は大図書館に引きこもっているのもわかる気がする。
なんかさ、先日のクロードとのやり取りを誰かに見られていたらしく(学内なんだからそりゃそうなのだが)、ちょっとした噂というか、妄想というか、願望みたいなのが流行ったらしくて。その話が、恐らくこの人にも届いたんだろう。
当然、エレノアからも「フケツ!!サイテー!!」と汚い物を見るような目で見られた。
思い出したら、遠い目になってしまう。
「……リュシアンさん、年頃の女の子が気に入りそうな、おすすめのプレゼントあります?」
「なんで今の話の流れでそうなるんだ?相変わらずイカれてんな、おめぇはよ」
ふっ、と鼻で笑い、紫煙をくゆらせながら、呆れつつもどこか温かい目で先輩は俺を見た。
俺、割とこの人に気に入られてる方だと自認してるのよね。ちょっと自慢なの。
「あ、そういえば。今度、研究員に枠が空くんですよね? リュシアンさんも立候補するって噂を聞いたんですけど、本当ですか?」
「…ん? あぁ、そうだな。来年あたり空くらしい。ある教授から打診もされたしな。グラフェンベルク伯爵もまだまだ現役だし、あと数年ここでダラダラ過ごすにはちょうどいいから、受けるつもりだ」
「ってなると、史上最年少研究員じゃないですか? 歴史に名を残しますね! よっ、天才!」
優秀な人が正当に評価されるのって、自分のことみたいに嬉しいんだよな。
テンションを上げる俺を見て、先輩は呆れたように息を吐いた。
「何言ってるんだ。お前も、お前のツレも、真面目にやれば修士号くらいすぐ取れるだろうが」
「ん~、クロードは割とモラトリアムを満喫したい系ですからね。俺もそれに付き合ってるというか。まぁ、のんびり行きますよ」
「はん。まあ、それぞれ家門の事情ってのもあるから深掘りはしねぇけどよ。待ってるから、とっとと上がってきやがれ」
「じゃあな」と言って、細長い指でシガレットの吸い殻を器用に弾き飛ばすと、先輩は去っていった。
は~。明日のエレノアへの謝罪品、どうしようかなぁ。




