星瞳の滴 - 後
女装での潜入調査という悪夢のような打診をされ、鬱々と過ごすこと三日。
登校してすぐ、いつもの伝令役の生徒から一枚のメモを手渡された。『13時に指定の場所へ来られたし』との指示だ。
とうとう来てしまったか……。俺は胃をしくしくと痛ませていたが、隣のクロードはなぜかどこかご機嫌な様子だ。定期的にこいつの正気を疑う瞬間があるが、今がまさにそれである。
俺は自分の馬車を帰らせ、クロードの馬車に同乗して学生街の裏通りにある一軒の建物へと足を踏み入れた。
扉の向こうには、優雅にお茶を嗜むエレノア――そして、まったく予期していなかった人物が待ち構えていた。
「あ~ら、来たわね! 金髪がクロードちゃんで、黒髪がルークちゃんでしょ? 今日はシリルくんから直々に頼まれてるから、張り切っていくわよ!」
「ガ……ガレさん!? なぜここに……って、いや、そういうことか!」
高級サロンを展開する美容界のトップランナー、『ガレ商会』の令嬢を協力者として引き込む。それがシリル委員長の秘策というわけか。いや、しかしなぁ。
「いやでも、いくらガレさんでも限界があるでしょう? 俺たち、男としても高身長な方ですよ、さすがに女装には無理が――」
「ほ~っほっほっほっほっほ! 甘いっ! 甘黍のシロップよりも甘いわね! この私を誰だと思っているの!? 世紀の大天才・マルグリット・ガレよ! 今日はガレ商会一のスペシャルスタッフも連れてきているんだから、大船に乗ったつもりでいなさい!」
「インです」
「ヤンです」
俺と同じ黒髪黒目ではあるが、使い込まれた古い象牙のような肌をし、寸分違わぬ容貌をした異国の双子だ。
「シリルくんは本当に話がわかるコなのよ! 彼の手厚い資金援助のおかげで、あと一歩だった私の究極の研究は爆発的に加速し、ついに完成したの! その名も――『ゴージャス・モニュメンタル・アメージング・エクストラバガント若返りコールドクリームVer1.0』よっ!」
「ゴージャス……え、なに?」
「これだから素人は困るのよ! いい? この『ゴージャス・モニュメンタル・アメージング・エクストラバガント若返りコールドクリームVer1.0』を用い、90分間のプロの手による特別な施術を施すことで、5時間半の間だけ『3歳』若返ることができるのよ!!」
「は……っ!? え、なに、若返り!? 本気で言ってるのか!?」
突拍子もない内容に俺が絶句していると、隣でクロードが思案するように顎に手を当てた。
「もしや……ガレ女史の生み出した『ゴージャス・モニュメンタル・アメージング・エクストラバガント若返りコールドクリームVer1.0』の特殊成分と、熟練の術師による施術が組み合わさることで、時限的な肉体若返りを成功させたのか……!」
「ふふん! さすがクロードちゃん、理解が早いわね! よろしい、3点あげるわ!」
「俺はもう何一つついていけないよ……って、あっ、まさか」
「ルークちゃん、やっと気がついた? あなたたち、確か今18歳でしょう? 3歳若返れば15歳――ままだ身体の成長途中だった頃でしょう? 骨格も引き締まって、身長だってそれなりに縮むんじゃないかしら?」
「いや、ちょっと待ってください! それって人体的に危険じゃないんですか!? 本当に大丈夫なんですか!?」
「大丈夫よ! シリルくんも少し前に実験台……コホン、試作品を試したけれど、今も元気に委員長をやっているでしょう?」
「ふふふ、15歳のルークにまた会えるとはな。なんだか少し気恥ずかしいよ」
「クロード! なんでお前までノリノリなんだよ!? 俺がおかしいのか、世間がおかしいのかわからなくなってきたぞ!」
「さぁさぁ、悠長に喋っている時間はないわよ! 隣の部屋に施術台が二つ用意してあるから、用意してある下着一丁になってうつ伏せで寝て待っていなさい! エレノアちゃん、サロンでの会合は何時だっけ?」
「17時に貴族街のサロンですわ」
「ルークちゃんったら、本当に時間がないんだから! 今は13時。15時前に施術を終わらせて、16時過ぎには着替えとメイクも完了させないと間に合わないわよ! さぁさぁ、行った行った!」
背中をポンポンと叩かれ、俺とクロードは隣の部屋へと押し込まれた。
部屋の中央には二つの施術台が置かれ、その間は厚手のカーテンで仕切られていた。無駄にプライバシーへ配慮されているのが逆に落ち着かない。
カーテンの向こうからは、クロードが躊躇いなくスルスルと衣類を脱ぎ捨てる衣擦れの音が聞こえてくる。くそっ、俺も腹をくくるしかないか。
観念して服を脱ぎ、渡された面積の極めて少ない下着一枚になると、顔の部分に穴が開いた施術台へうつ伏せに横たわった。
「本日担当させていただきます、ヤンと申します。よろしくお願いいたします」
頭上から静かな声が聞こえた直後、背中に冷やりとした感触が走った。例のコールドクリームだろう。
ヤンの細くしなやかな指先が、背筋に沿って滑らかに圧をかけていく。じわじわと心地よい熱が皮膚の奥へと染み込んでいき、凝り固まっていた筋肉が解けていくのが分かった。――きっ、気持ちいい……!!
「本日のクリームは、ネロリと甘橙のアロマを調合しております。どうかお力を抜いて、そのままお休みくださいませ」
柑橘と花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。緊張で張り詰めていた意識はあっという間に弛緩し、俺は抗うすべもなく深い眠りへと落ちていった。
◇
「――様、ルーク様。お目覚めください」
「はっ……!?」
肩を優しく揺すられ、俺は跳ね起きそうになった。いったいどれくらい眠っていたのだろう。すでに施術は終了したらしく、肌に付着していたクリームも綺麗に拭き取られていて、全身が驚くほど軽やかでさっぱりしている。
「施術は滞りなく完了いたしました。私は一旦退出いたしますので、鏡でご確認のうえお着替えください」
ヤンが深々と一礼して部屋を出て行った。
立ち上がろうとして、即座に猛烈な違和感を覚えた。身体がやけに軽い。いや、軽いというより、骨格そのものの重みや筋肉の質感が根底から変わっている。
やけに大きく感じる服を着てから備え付けの全身鏡の前に立ち、俺は思わず絶句した。
そこに映っていたのは、三年前の「15歳の俺」だった。
頬のラインは若干の丸みを帯び、首筋も一回り細い。本当に身長が縮んでいる!
「ルーク、着替えは終わったかい?」
カーテンが引かれ、隣の区画からクロード姿を現した。俺は二度見どころか三度見した。
「お、おい……お前、大丈夫か……!? 外を歩いたら一発で誘拐されるぞ!?」
そこに居たのは、繊細なガラス細工を思わせる中性的な美少年だった。色素の薄い金髪と透き通るような白肌、まだ男らしさの定着していない華奢な骨格。18歳の今でも別格に整った顔立ちだが、15歳のクロードはどこか浮世離れした儚さすら漂わせている。
「ふふ、どうしたんだいルーク。君こそすっかり可愛らしくなったね。普段から毎日顔を合わせていると、お互いの成長には気づかないものだ」
「そっか……それに、今は180越えで身長差もほとんどないけど、入学したての頃はお前の方が少し背が高かったんだっけ」
「そうだったね。でも僕は、今の君と同じ目線で話せる高さの方が好きだよ」
俺が167センチくらいで、クロードが171センチといったところか。お互い見上げたり見下ろしたりする視線に新鮮さを感じながら、ぶかぶかの服の袖を引っ張った。
「身長だけじゃなくて、明らかに骨格まで縮んでるよな。肩幅が全然違う……」
お互いの変化を観察し合っていたその時、パァン!と勢いよく扉が開いてガレさんが踏み込んできた。
「ほらほらほら! 感心している時間はないわよ、き・が・え! エレノアちゃんが手配してくれた、15歳のご令嬢にぴったりの最新トレンドドレスがあるんだから! イン、ヤン、やってしまいなさい! コルセットはキッツキツに締めるのよ! 泣いても許しちゃだめ! おしゃれはガ・マ・ンなんだからねっ!」
「「承知いたしました」」
返事と同時に、双子が容赦ない手つきで襲いかかってきた。
まず身につけさせられたのは、繊細なレースが施された最高級絹の肌着だ。肌触りこそ極上だが、感触に浸る余裕など一切与えられない。
「失礼いたします」と囁いたヤンが、硬質な鯨骨入りのコルセットを俺の胴体に巻きつけた。
「ふ、ふぐっ……!? 苦しっ――」
紐がギチギチと音を立てて引き絞られる。腹の中身を丸ごと押し上げられているような圧迫感で、まともに息も吸えない。
「だめよルークちゃん! 15歳の乙女のウエストは、両手で抱えきれるほど細くなくちゃ! ほら息を吐いてっ!」
ガレさんの容赦ない掛け声とともに紐がさらに引かれ、背中で固く結ばれた。隣を見ると、クロードも呼吸を浅くしてコルセットに身を包まれている。
次に頭から被せられたのは、淡い勿忘草色のシルクタフタで仕立てられたデイドレスだった。
胸元には控えめながら上品な生成りのレースが幾重にもあしらわれ、ウエストから広がるスカートには細やかなプリーツが施されている。年頃の貴族令嬢らしい可憐さと清純さを凝縮したような、まさに最高級の一着だ。ふんわりとした裾が、歩くたびに可愛らしく揺れる。
「はい、次は髪とメイクよ! 座りなさい!」
ドレッサーの前に押し付けられると、手際よくハーフアップのブルネットの鬘が頭部に固定された。俺の地毛である黒髪は綺麗にネットの中に収められ、精巧なフェイクヘアと馴染んで完璧なブルネットヘアの少女へと仕上がっていく。
「お肌のベースは素肌感を活かしてパウダーを中心に……目元はアイラインで少し垂れ目に見せましょう。唇には薄桃色のグロスを重ねて……よしっ!」
ガレさんの筆さばきによって、鏡の中の「俺」はどんどん変貌を遂げていった。
最後に、ドレスと同色のリボンがヘアスタイルに飾られ、爪にはほんのりと桜色のマニキュアが塗られた。
「……できたわ! ガレ商会の総力を結集した、二人の『美少女』の誕生よ!」
鏡の中に居たのは――どこからどう見ても、良家のお坊ちゃまなどではなく、可憐で品のある若き貴族の令嬢だった。隣に立つクロードに視線をやると、彼は艶やかな栗色のロングヘアのウィッグを付け、シックなローズピンクのドレスを見事に着こなしていた。
俺は椅子から立ち上がろうとしたが、ウエストの締め付けに思わずくの字に曲がった。
「ク、クロード……俺、内臓がどこかに消えちゃったかもしれない……」
「すごいね、女性の美への執念……いや、努力というべきか……。息を吸うのも一苦労だよ」
「ふふん、分かればよろしい! さあエレノアちゃん、お待たせ! あなたの『ご友人』をお連れしたわよ!」
「――まぁ!なんてお二人ともかわいらしいの!すてきっ!素敵ですわっ!お名前!お名前を教えてくださいましっ!お友だちになりましょう!」
「落ち着け、エレノア、俺とクロードだ。バカな事やってるんじゃない、これから潜入捜査なんだぞ?」
「う~ん、喋るとちょっと微妙よね。あと、仕草よ仕草。そんな立ち方しないで。扇を持って、こうよ、こう。私の作品として、もっと自覚もちなさいよ」
「でも、ルーク。たしかに名前は必要かもね。名前をもじって、君はルーシー、僕はクローディアでどうだい?」
「もう、なんでもいいよ」
「ルーシーとクローディア。とってもかわいいですわ!」
「エレノアはこれでいいの?俺にはわからないよ」
「いつものクロード様とは、摂取できる成分が違うのですわ!」
「ふふ、エレノアさん。本日はどうぞよろしくお願いいたしますね?」
クローディア――いや、クロードがソプラノの美しい裏声で微笑んでみせると、エレノアは「尊い……っ」と胸を押さえて卒倒しかけていた。クロードの適応力の高さと裏声の完成度が無駄に高くて怖い。
潜入捜査、本当に大丈夫なんだろうか……。
「はいはいそこまで! ルークちゃん、クローディアちゃん、いいわね? 今回のサロン『星瞳の会』は、美容の奇跡を謳う怪しい新興サロン。ふたりはエレノアちゃんの『地方から出てきた親戚の令嬢たち』という設定よ」
ガレさんが真剣な顔で指を立てる。
「ルークちゃんは『極度の人見知り』で通しなさい。声を低く出してバレたら一発アウトなんだから、頷くか首を振るだけでいいわ。喋る役はクローディアちゃんとエレノアちゃんに任せること! いいわね?」
「はい、はい」
「よろしい! それじゃあエレノアちゃん、ふたりをお願いね。乙女の純情を踏み躙るような商売、断固許すまじなのよ!アタシはここで吉報を待っているわ!」
「はい、お任せくださいませ!」
ガレさんに見送られ、俺たちは手配された貴族用の貸し馬車へと乗り込んだ。
◇
馬車が貴族街へ向けて走り出してからも、俺の受難は終わらなかった。
「ルーシー、膝が開いていましてよ! 脚を揃えて、少し斜めに流すのです。 あと、肘を外に張らないでください! 扇は胸元で優しくゆらゆらと」
コルセットの締め付けのせいで浅い呼吸しかできず、背もたれに寄りかかることすら許されない。少しでも油断するとエレノアから「いけませんっ!」と扇で膝をペシッと叩かれる。
一方で、お隣のクローディア様はどうだ。
栗色のロングヘアをなびかせ、シックなローズピンクのドレスの裾を優雅にさばきながら、すでに完璧な名家のご令嬢になりきっている。
「ルーシー、姿勢を伸ばす時は背筋を意識するよりも、頭の頂点を上から吊るされているイメージを持つと楽ですわよ」
「……お前、なんでそんなに順応が早いの……?」
「うふふ、何事も観察と実践です。エレノアさんや、高位貴族女性の立ち振る舞いを思い出せばよろしいのですわ」
「さすがクローディア様! 完璧ですわ!」
エレノアが目を輝かせて拍手を送る。俺だけがただただ苦痛に耐える時間だった。
馬車が減速し、石畳を蹴る馬の蹄の音がゆっくりと変化していく。
やがて馬車が完全に停車した。
なんて事はない、俺は入った事はないが、貴族向けのカフェサロンだ。今日はここの個室で待ち合わせだという。
「ルーシー、いきましょう」
「……ここからは喋らないからな」
店内に入り、近づいてきた従業員にエレノアがなにかしら伝えると、先導されて二階の個室に案内された。
そこには、既に先客が居た。特に特徴のない、30代半ばに見えるふくよかな女性だ。
「ごきげんよう。本日は、ご無理を言って短期間で再び『星瞳の会』に招いていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、エレノア様の御親戚のご令嬢を、お二人もご紹介してくださるなんて。こちらこそ恐縮いたします」
「ご紹介させていただきますわ。こちらがクローディア。こちらがルーシー。ルーシーはとても人見知りなので……、申し訳ございませんが、予めご容赦いただければと」
俺は、とりあえず不安で死んでしまいそうな顔(当社比)をして、ペコリとお辞儀しておいた。
「かわいらしいお嬢様方ですね。私も若いうちは、人と喋るのが苦手でしたのよ。お気になさらず、ご無理をなさらないで」
なんていうか、普通に人の良いおばさんって感じだよなぁ。やばい薬売ってるようには思えない。
とりあえず、俺達は各々席について、おばさんが注いでくれたお茶を飲んで一息つく。
店員は室内にはいないので、人払いをしているのかもしれない。
「エレノアさん、新たに紹介をしていただいたということは、『星瞳の滴』をお気に召していただけた、ということですかしら?」
「……ええ、主催者様。さっそく使わせていただき、その効果の程を二人にも共有したくて。ただ、減るのがもったいなくて本日は使ってきていないのですけれど……。だって、購入制限がございますでしょう?」
「ふふ、購入制限も、ご自身でご利用していただく分には本当は問題ないのですよ。特別な技術で作っておりますので開発にも年月がかかった商品ですの。ですから、転売防止のための制限なんです。エレノア様でしたら、多めに手配させていただくことも可能ですわ」
「まぁ! でしたら是非融通していただきたいですわ。でも、とても効果の高いものでしょう? 沢山使用しても、お身体に影響はないものでしょうか? 強いお薬ですと、副作用が心配で……」
「『星瞳の滴』は治験も当然しっかり行っておりますので、ご安心してご利用ください」
「えーと……主催者様、でよろしいでしょうか?」
クローディア(仮)が愛らしい首の傾げ方で会話に割り込む。
「ええ、クローディア様。なにか気になることでも?」
「ありがとうございます。お話を聞いていますと、主催者様がこの『星瞳の滴』をお作りになられたのでしょうか? でしたら、エレノア様からお伺いしていた以上に素晴らしい方なのだと思いまして」
「ふふ、いえいえ。私はあくまでサロンの主催。この滴を生み出した偉大なお方の功績の伝道師、と思ってくだされば」
「まぁ。作られた方には直接お会いしたことがあるのですか?」
「もちろん!――」
「納品ペースはどのくらいなのです?」
「それは――――」
(よし、かかった……)
俺は隣で静かに息を潜めながら、緊張で指先を軽く痺れさせていた。
黙ってはいるが、遊んでいるわけではない。俺とクロードの「連携魔術」が、今まさにこの空間で進行しているのだ。
クロードの【活性】と、俺の【鎮静】の同時干渉。
脳内の伝達物質に干渉し、緊張や理性、抑制と快感のバランスを乱高下させ、脳汁をドバドバと溢れ出させる。理性のブレーキを急激に解除された脳は、警戒心を失い、隠すべき秘密とただの世間話の区別がつかなくなる。
効果はてきめんだった。おばさんの瞳から徐々に理性の光が失われ、口元が緩んでいく。
「ええ、ええ……偉大なるお方の目的は、この街の貴族たちの血筋を——」
あとはクロードがうまく誘導し、情報をあらかた搾り取れば勝ちだ。
その情報をシリル委員長に持っていって、あとは泳がせているこのおばさんをどう処理するか……俺たちの知ったことではない。
そう、長かった女装潜入捜査からようやく解放される——と思った、その時だった。
「ひぐっ……、ぎゃぁぁぁぁぁッ——!?」
唐突に、主催者が喉を掻きむしり、けたたましい悲鳴を上げた。
泡を吹き、白目を剥いて床に転がり、痙攣する。
「きゃぁぁぁーーっ!?」
エレノアの甲高い悲鳴が個室内を突き破る。俺は咄嗟に身を乗り出し、死体を見せないように、恐怖に怯えるエレノアの視界を自分の身体で遮った。
「おい、クロード!?」
「……しまったね。発動から効果が出るまで一瞬だ。かなり高位の『契約魔術』——いや、もしアルテンブルクで使われる『血統誓約術式』の類だとしたら……、裏に相当大物の貴族が絡んでいるかもしれない。まいったね……」
クロードは倒れた女性を見下ろし、冷や汗を浮かべながら顎に手を当てている。
「のんびり分析している場合か! 俺はエレノアを連れて外に出る。お前は現場を保全しろ! 近くに委員長が手配した学士会員がいるはずだ、応援を呼んでくる!」
◇
混乱に乗じてエレノアを無事に送り届けた後、ガレさんの店へと飛び込んで衣装を脱ぎ捨てた。
着替えを済ませた俺たちは、そのまま息を切らして大学へと戻る。今日中に報告を聞きたいと、委員長たちが残って待っているはずだ。
執務室の重厚なドアを開けると、そこにはシリル委員長だけでなく、リュシアンさんの姿もあった。彼は窓際に寄りかかり、紫煙をゆらりとくゆらせている。
「やぁやぁ、潜入調査ごくろうさま。いやぁ、まさか死んじゃうとは思わなかったよね。キミたちに情報を持ち帰ってもらってから、しばらく泳がせて裏を突き止めようとしていたんだけど……残念無念、また来週〜ってね」
軽薄な口調で肩をすくめるシリル委員長に対し、クロードが苦い顔で頭を下げた。
「……僕の不注意でした。口封じの魔術契約がされている可能性は、十分予測できたはずでした」
「ふんふん。ちなみに、何を質問したら死んじゃったか覚えてる?」
「裏で糸を引いていると思われる人物の『目的』を尋ねたところでした」
「うんうん。つまりさ、その人物は自分の個人情報と同じくらい『目的』を知られたくなかったってことだ」
俺は眉をひそめて口を挟む。
「えーっと……自分のことを隠したいなら、目的に限らず、全部知られたくないものじゃないですか?」
「おやおや、ルークくんは素直だねぇ。でもね、即死するほどの契約魔術を結ぶってことは、それだけ制約も大きいんだよ。特に『血統誓約』が出てきたとなるとね。フェロー・リュシアンはその道のプロだから、せっかくだから呼んでみたんだよ」
煙草の灰を落としながら、リュシアンさんがやれやれと息を吐いた。
「プロもクソもない。今のはルークがバカすぎるだけだ。誓約ってのは条件を詰めれば詰めるほど術式が強固になる。『誓約』って言葉に惑わされるな。要は指示の出し方、魔法の指向性の問題だ。……お前は、紅茶が飲みたいときに執事に向かって『飲み物を出せ』と指示するか? 」
「……しないですね。紅茶以外が出てくる可能性がありますから、ちゃんと『紅茶が欲しい』と言います」
「だろ。誓約魔法も同じだ。『俺に関することは全て何も話すな』と『俺の目的を話すな』じゃ、縛りの強さと消費魔力が段違いなんだよ」
「んー、でも以前、『細かい指示を出すという事は、行動を制限するという事』だから、指示は遊びを持たせた方がいいって話もしてませんでした?」
「どアホ。それは人間相手の話だ」
リュシアンさんは呆れたように紫煙をくゆらせた。
「術式に、人間みたいに背景や心境を読んで判断する機能はない。だから誤作動を防ごうと思えば、指示は無駄なく正確に、対象を絞り込む必要がある。結果として、狭く強い縛りになるんだよ」
「はぁ……つまり、『何も話すな』じゃなくて『目的を話すな』まで絞り込んだから、即死級の威力が出た、と……?」
「まあ、大体そんなとこだ。ったく、これだから感覚派は……」
「とにかく、死んじゃったものは仕方ないよね」
シリル委員長がへらっと笑う。
「っていうかさ、即死の誓約で縛られているほどの情報を吐かせちゃうキミたちの方が、ボクはちょっと怖いんだけどね?」
「は、はは……。あの、被害に遭った令嬢たちはどうなるんですか? 本当なら、俺たちが解決方法まで引き出せればよかったんですが……」
「被害者の治療に関しては、流石にうちの大学の専門外だね。ボクらじゃどうにもできないよ〜」
「では……」
「だから、専門家に頼むことにしたんだよ」
「専門家、ですか?」
「そう。この大陸のもう一つの大学組織——聖都レムリアの医学部では、こういった魔導被害の研究が盛んでね。ちょうど学士会の副委員長が長期視察に行っているから、『腕の立つやつを寄越して』っておねだりしておいたよ。それが本命。あとはダメ元だけど、枢機卿の第六席にも報告を入れておいた」
「す、枢機卿の第六席って、『中央七座』の一人じゃないですか!」
枢機卿——この大陸で唯一にして最大と言える宗教組織『一神教』において、教皇に次ぐ権力を持つ最高幹部だ。特に聖都レムリアの枢機卿など、一生かかってもお目にかかれないような雲の上の存在である。
「そう、だから本当にダメ元。気が向いたら特務審理官でも寄越してくれないかな〜な〜んてね。まあ、ボクはボクなりに手は打ってるから、ルークくんは気にしなくていいよ」
パン、と手を叩いてシリル委員長が話を打ち切ると、リュシアンさんが煙を吐き出して俺たちを軽く睨んだ。
「——とにかくだ。お前らの請け負った雑用は、これで終わりだ。この件にこれ以上首を突っ込む必要はない。もう遅い、とっとと帰れ」
「はい……失礼しました」
俺たちはリュシアンさんに追い出されるように執務室を後にした。
やり遂げた達成感など微塵もなく、重く嫌な余韻だけが胸に残る。俺とクロードはほとんど言葉を交わすこともなく、夜の廊下を歩き、それぞれの帰路についたのだった。
▶ 特命委員 Case 002 / 星瞳の滴 [未決終了]




