リュシアンさんち
俺は今日クロードと一緒に、とある貴族街のアパルトメントに来ている。重厚な門をくぐって管理人に軽く会釈し、階段で二階に登る。
ライオンを模した真鍮製のノッカーを叩いてしばらくすると、スライド式の小さな覗き窓がカタリと開き、鋭い紫目がこちらを覗き込んだ。
「来たか」
鍵がガチャリと回る音とともにドアが開いて、家主が迎えてくれた。
「「リュシアンさん、こんにちは!」」
今日は待ちに待った、うきうきリュシアンさんの新居訪問の日だ。
部屋に入ると、煙草の甘くスモーキーな香りの奥から、ほんのり柑橘の爽やかな香りが感じられる。
「うわぁ、リュシアンさんの匂いがしますね!」
俺の何気ない言葉に、リュシアンさんは喉の奥を「ぐっ」と詰まらせてから、呆れ顔で言った。
「……おい、クロード。お前の教育不足だぞ」
「はい、ルークには後で言っておきます」
クロードはくすくす笑っている。何か変なこと言ったかな?
「……まあいい。立ち話もなんだ、中へ入れ」
リュシアンさんは半ばあきらめたように息を吐くと、俺たちを奥のサロンへと促した。
「お邪魔します!」
例のベルベットのローソファに腰掛ける前に、俺は手提げから綺麗にラッピングされた化粧箱を二つ取り出し、リュシアンさんに両手で手渡した。
「これ、今日のお礼と新居祝いです。こっちが紅茶で、こっちは、開けてからのお楽しみで!クロードと二人で選んだんです!」
「手ぶらでいいって言っただろう……。ありがとな、せっかくだから飲むか」
「リュシアンさん、お茶淹れられるんですか?」
「……お前、飲めやしない土産買ってきたのか? そもそも、それくらい出来るから、従者を帰してわざわざ隠れ家用意したんじゃねーか」
「あはは、たしかに」
「そろそろお前らが来る頃だろうと思って、丁度湯を沸かしていた。適当に座って、少し待ってろ」
「はーい」
「ふふふ、でも、ルークに紅茶缶を任せてよかったよ。濃いチャコールグレーの壁紙に、バーガンディの絨毯。そして、このソファ。あのサンプルの中だったら、今回選んだ缶が僕も一番合うと思うよ」
「だよな、クロードにもそう言ってもらって安心したよ」
クロードと話をしていたら、リュシアンさんがトレイにティーポットとティーカップ三脚を乗せて戻ってきた。トレイからは、どこか薪を焚いたような独特な香りが漂っている。
「……おい、お前ら。これ、どんなお茶か知ってて選んだのか?」
「いいえ、紅茶店で茶葉の香りは嗅ぎましたけど。ね、クロード」
「淹れながら俺も少し味見してみたが……俺は好きだが、お前ら飲めるのか? まぁ、いい、無理だったら残せ」
「はーい、いただきます」
リュシアンさんが気に入ってくれたようでうれしいな。そんな事を考えながら一口飲んだ瞬間、今まで経験した事がないような強烈な燻香が、鼻から喉へ一気に充満してむせ返りそうになった。
「うぐっ……! うわ、これ、すっご!」
「すごいね……。茶葉を嗅いだだけの時とは比べ物にならない。熱湯で香りが立ってるからかな?」
「まだ、まだずっと鼻の中に煙がいる……!」
「……だろうな。ガキ舌ども、少し待ってろ」
今日三回目の呆れ顔を見せながら、リュシアンさんは席を外した。
暫くして、リュシアンさんは氷と淡い黄色の液体が入ったグラスを二つ、手に戻ってきた。
「ほら、口直しにこれでも飲んでろ」
「はぁい、ありがとうございます。……って、うまっ!」
「爽やかな中に、仄かな甘みがありますね……。これ、もしかしてコーディアルですか?」
「コーディアル?」
「ああ。クロードは知っているだろうが、俺の出身国は気候柄ハーブの栽培に適しているんだ。コーディアルってのは、ハーブや果実から作る濃いシロップみてぇなもんだ。お前らが飲んでるのは、それを炭酸水で割ったものだ」
「へー、リュシアンさん、こういうのも飲むんですね」
「たまたま、前の家から出てきたんだ。最後の片付けをしていたらぽろっとな。お前らも来るから一瓶くらい置いておこうと思ったんだが、正解だったな」
「ふふ、お気遣いありがとうございます。本当に美味しいです」
「ああ、気に入ったなら、実家に連絡して送らせてもいいぞ。種類もたくさんあるからな」
「えー!お願いしたいです!」
「俺にとっても、悪くない話だ。実家には、レオポルド大公国の侯爵家と仲良くしていますアピールになるからな」
リュシアンさんは、どこか諦念を感じさせる苦笑いを浮かべた。前に言っていた、それぞれの家門の事情ってやつがあるのかな。
「ふふ、リュシアンさんにはお世話になっているので、どうぞ僕らの名前でよければお使いください」
「ああ、クロードは話が早くて助かる」
「えー、どういう意味ですかそれ!」
「フッ、お前は抜けてるからなぁ」
自分ではそれなりにしっかりしてるつもりなんだけど。リュシアンさんと居ると安心して、他人に頼りがちモードになってるのかもしれん。
「そうです、リュシアンさん。よろしければ、忘れないうちにもう一つの箱も開けてください」
「ん?ああ、悪いな。折角だし、そうさせてもらうか」
リュシアンさんは器用に細長い指先で、丁寧に包まれた梱包をほどいていく。
「――これは、見事な……」
リュシアンさんも、気味が悪いくらいに精巧な細工がされた、海泡石のパイプに言葉が出ないようだ。
俺とクロードは目を合わせて頷き合う。
しかし、その後の反応は期待と違い、リュシアンさんは急に頭を抱え始めたのだ。
「……お前らなぁ」
「えっ、えっ、どうかしましたか?」
「……何か、問題でも?」
クロードも、心配そうに眉根を寄せている。
「問題っていうか……。なぁ、お前ら、こんな逸品、学生が手土産にするようなもんじゃないだろうが。ったく、クロードもこういう所はズレてんだよなぁ……」
「で、でも、リュシアンさんに絶対似合う!って思っちゃって……」
「イニシャルも刻印済みなので、返却されるのもちょっと……」
「ああ、もちろん、有り難く使わせていただく。……一生物だな、これは」
もう一度、俺とクロードは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。
「早速味わわせて貰う」と言って、リュシアンさんは道具を並べた。真新しい海泡石の白い火皿にはなるべく触れないよう、軸を持って器用に葉を詰めていく。
火皿の表面を炎でゆっくり炙りながら煙を吸い込み、膨らんだ葉を道具で軽く押さえると、もう一度火を点けた。
「――ああ、そうだ。忘れないうちに言っておく。お前ら、休講明けだがな。多分呼び出されるぞ」
「え?呼び出し?どこにですか?」
「学士会だ」
「僕たち、呼び出されるような心当たりありませんが――」
クロードも、小首をかしげている。
「お前、正気でそれ言っているのか?――まぁいい。大図書館の騒動に、巡回時に放った高等レベルの魔術行使。学士会は、お前らを他の生徒と同じ扱いにするのを諦めたんだ」
「え、でも、リュシアンさんが面倒をみてくれるみたいな話になってませんでしたっけ?」
「俺は、あくまでオブザーバーみたいなもんだからな。恐らく、お前ら用の『奉仕活動』が今後回ってくるようになる」
「特別な業務でしたら、その分学術貢献度も期待していいのでしょうか?」
「まぁ、内容によるだろうがな。学士会も変な前例作りたくないだろうから、公平さは期待していいだろう」
「もう、今やっている仕事はまわってこなくなるんですか?」
「数は減るかもしれないが、無くなる事は無いんじゃないか?俺もそこまでは知らん。決めるのは学士会の仕事だからな」
「う~ん、まあ、なるようにしかなりませんよね」
「俺の推測だが、委員長から直接の依頼になるはずだ」
「今の委員長って、どんな人ですっけ」
「……学士会の委員長にしては、目立たない奴だからな。だが、気をつけろ。そいつは、学力も爵位も飛び抜けた所があるわけではない。ただ、一点。政治手腕だけで委員長をやっている男だ」
「政治手腕……ですか?」
「そうだ。あいつは俺の知っている限り、パッとしない立場で成績も中の中だった。だが、気づけば上級貴族の派閥争いを裏で手玉に取り、今や学長すら一目置く位置にいる」
リュシアンさんはパイプの煙をくゆらせ、紫の目を少し細めた。
「あの男が人に声をかける時は、必ず二つの理由がある。『利用価値がある時』と『弱みを握った時』だ」
「……僕たちは、両方に当てはまりそうですね」
クロードが苦笑交じりにグラスを置く。大図書館の件も、高レベル魔術の行使も、見方によっては格好の『口実』だ。
「まあ、そう身構えるな。あいつは合理主義者だ。変に逆らわず、提示された条件の裏を読めば、こちらの利益に繋がる仕事を引き出すこともできる。それに言っただろ、俺がオブザーバーだ」
「はいっ、頼りにしてます!」
「よほどの内容だったら、俺も口を出すだろうが……あいつも、俺とお前らの家を相手に喧嘩を売るほど馬鹿じゃない。気楽にいけ、気楽に。最悪、消してもいいだろ。お前の魔術なら簡単だろ?」
「物騒! 物騒です! 出来る出来ないじゃなくて、やらないですよそんな事!」
「でもルーク。僕の魔法は少々目立つから、闇討ちには向いていない。だからルークが頼りなんだ」
「クロード? だめだよ、委員長さんを闇討ちしないよ? リュシアンさん、クロードにまた変な事教えて!」
やれやれ、今から休講明けが心配になってきたな――




