婚約破棄
俺は、突然の出来事に、ただ呆然と見守る事しか出来なかった。
「お前は、貴族である事を笠に着て、純粋で可憐なコレットに嫌がらせをしていたようだな!」
先ほどまで和やかな雰囲気のパーティー会場は、今や騒然としている。
「お前のような、醜い性根の女はうんざりだ!お前の有責とし、婚約を破棄する!」
俺がちらりと顔色を伺うと、エレノアは怒りの形相で、手の中にある扇子をメリメリと捻り上げていた。
一体、どうしてこうなった……?
◇◇◇
三月の、春季休講目前のある日。上位学部生の雑務、もとい崇高なる奉仕活動として、教養学部の講義補助を言いつけられた俺は、束になった書類を持ってせっせと講義棟の廊下を歩いていた。
こういう地味な仕事は嫌いじゃない。やれば終わるからな。終わりの見えない行列を整えたり、群がる学生をクロードから引き剥がしたりする仕事より、全然マシだ。思い出すだけで胃が痛い。
「ですから、私はそのようなつもりでは――」
「では、どのようなつもりでしたの?」
と、進行方向から、聞き覚えのある声がした。
角を曲がると、そこにいたのはなんとエレノアだった。他にも女生徒が二人いる。
……うわぁ、嫌なタイミングで遭遇しちゃったな。
エレノアとは幼馴染だが、いかんせん気位が強い。こんなの、揉め事の匂いしかしないじゃないか。
しかしだ。俺は、エレノアが犯罪者にならないように導く使命、というか、なんというか、まぁそこそこ穏便に平和に暮らして欲しいと思っている。エレノアが悪質な犯罪まがいの嫌がらせを実行する前に、ここはビシっと止めておこう。それが、兄貴分(?)である俺の役割だ。
「エレノア、こんな所で立ち話か?」
声をかけると、三人の視線がこちらを向いた。
「あら。ルーク様」
「もしかして、何か揉め事か? よければ上位学部生として話を聞くが」
「まぁ、お気遣いありがとうございます。ですがご心配なく、少々行き違いがあっただけですのよ」
なんてことないようにエレノアはうふふと笑っているが、向かいに立つ女生徒は顔色が真っ青だ。いじめの現場を目撃したとしか俺には思えないのだが。
「ただ、こちらの方が、先ほど私の友人に対して『分不相応だ』と仰ったのです」
ん? なんか話が変わってきたぞ。エレノアの横で顔を赤くして俯いている女生徒――彼女がエレノアの友人ってことか。
「ですから、私は、ただ――」
詰められていたと思われる女生徒の反論を、エレノアは遮った。
「悪意がなかった事は存じておりますの」
「……え?」
「ですから、謝罪を求めているだけですの」
詰められていた令嬢は、拍子抜けしたような顔だ。
「それだけ、ですか?」
「それだけですわ。ただし、ここで謝ってください。丁度ルーク様も証人になってくださるとの事ですし」
「……分かりました。申し訳ありませんでした」
「私ではなく、彼女に」
「……ごめんなさい」
言われた令嬢は、友人に頭を下げた。
「それでは、もうよろしいでしょう。皆さん、講義の後でお疲れでしょうし」
エレノアはそう言って、その場を解散させた後、俺に向き直った。
「お仕事の途中でしょうに、お気遣いありがとうございました」
「いや、俺居なくても問題なさそうだったけどな」
前も、エレノアって意外に女生徒に慕われているよな、って思った事あったけど、こういう仲裁めいた事もやっているのか。
俺が、うんうん、とエレノアの成長をしみじみ感じていたら、ジトっとした目で睨んできた。
「何ですのルーク様、その顔は」
「いや、ほらさ! エレノアって前も女生徒に慕われていたし、こういうの偉いなー! って思っただけだよ!」
パチリ、と扇子を閉じる音が響く。目の奥が全く笑っていない可憐な笑顔に、俺は思わず後ずさりした。
「しゃ、社交術っていうの? 俺やクロードはさ、なんだかんだ周りに気を使われる方だからさ。改めてエレノアの気配り……俺にはない強みを持っているな~! なぁんてさ。は、ははは……」
俺がまくし立てた言葉に、ふぅ、と呆れたような小さなため息をついたあと、可憐な微笑みでエレノアは言った。
「ルーク様も、学生であることを理由に社交をおサボりすぎですわよ。春季休講中に、私主催で社交パーティーを開く予定がございますの。招待状を出させていただきますので、必ずご出席くださいませね」
「えっ、いやいや、俺は俺で色々あるからさ~」
「もう、そうやって逃げてばかり。男性には男性の社交がありますが、女には女の社交術がありますの。少しお勉強されてはいかが? 専門で学ばれている領地経営論にも関わることですわよ」
エレノアは俺に何度も念を押し、艶やかな仕草で去っていった。
え~、面倒くさいなぁ。
◇◇◇
エレノア主催の社交パーティー当日。
「……ハァ、結局断れなかったな」
俺は自分のタウンハウスの鏡の前で、パーティー用の上着の襟を整えながら深いため息をついた。
今日だって本当はゆっくり馬たちと戯れたりしたかったのだが……あそこまで念を押されては、すっぽかすわけにもいかない。俺は重い足取りで馬車に向かった。
今日の会場は、貴族街にある人気の高級レストラン。絢爛豪華なシャンデリアが眩しい光を放ち、磨き抜かれたフロアにはドレスや礼服に身を包んだ若き貴族たちが集っていた。下位学部の優秀な生徒から上位学部生まで、エレノアの顔の広さが窺える盛況ぶりだ。
「やあ、ルーク。約束通りちゃんと来れて、偉いじゃないか」
女性の視線を集めながらクロードが寄ってきた。
「おいおい、子供じゃないんだぞ。それに、来なかったら後が恐ろしいだろ。……というか、お前こそエレノアのパーティーに来るなんて珍しいな」
「ふふ、ルークが参加するって先に言い出したんじゃないか。でもご覧よ。単なる夜会に見えて、下位学部と上位学部の顔合わせや、各家の利害調整が見事になされている」
クロードの視線の先では、エレノアが色とりどりの貴族たちに囲まれ、堂々と談笑していた。誰一人として蔑ろにせず、なおかつ『主催者』としての威厳を崩さない。
なるほど……これがエレノアが言っていた「社交術」か。
今の状態を見ていると、あの夢のようにエレノアがコレットに危害を与えるって方が違和感だよな。絡みもないし。全部、俺のイカれた妄想として片付けるほうが、精神衛生上にもよさそうだ。
「おっ、ライナーも居るじゃあないか。声かけに行こうぜ」
冷たくも見えそうな怜悧な眼光で会場を見渡していたライナーの元に向かった。
「よう、ライナー。お前がエレノアと絡みあるとは思わなかったぜ」
「ああっ! ルーク様にクロード様も! お会いできてうれしいです!」
表情を崩して年相応の反応を見せるライナーに、思わず頬をゆるめてしまう。久しく会っていない弟を思い出して和むなぁ。
「以前お二人に招待していただいたサロンの参加者は、全員呼ばれていますよ。直接の会話は殆どしていないのに、覚えていただいていて光栄です」
へぇ。エレノアはクロード主催のサロンに呼ばれてはしゃいでいただけかと思っていたが。ちゃんと、その時の参加者をチェックしていたんだな。
「ライナー、その後勉強の方はどうだい?」
「はい、クロード様。明確な期限目標が出来たので、逆算して学習計画を立てて進めています」
「それはいいことだね。でも君は少し根を詰めすぎるところがあるから、無理はしないように」
「あ、ありがとうございます!」
ライナーはちゃんと特待生に向けて勉強を頑張っているようだな。
「クロード様、ルーク様、ライナー様。本日はお越しいただきありがとうございます」
「やあ、エレノア。今日のドレスも素敵だね。君の輝く肌を引き立てている」
「まったく、ルーク様。無用なおべっかはやめてくださいまし」
褒めただけなのに、じっとりとした目でエレノアに見られている。なぜだ、解せぬ。
「ブロンディエル様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「同じ下位学部生ですもの。どうぞエレノアとお呼びくださいまし」
「ありがとうございます、私の事もライナーとお呼びください」
「ライナー様の優秀さは、聞き及んでおりますの。よろしければ私の友人にも、ご紹介させていただきたく――」
「いい加減にしろ、カレーナ!」
静寂を切り裂く大声が会場に響き渡る。
音楽が止まり、視線が一斉に中央へ集まった。声を張り上げたのは、見覚えのある男。たしか、男爵家の嫡男、ギュンター・フォン・ハルテンだ。
そして顔を真っ赤にした彼の傍らには、守られるように腰に手を回された小柄な女生徒――コレットの姿があった。
ん? コレット? なんで?
俺は、突然の出来事に、ただ呆然と見守ることしか出来なかった。
コレットは、従属学生用の袖のない学士服姿だ。このきらびやかな会場に居る姿は、異物以外の何者でもない。よく止められずに入ってこれたな、などと変に冷静な頭で考えてしまう。
「お前は、貴族である事を笠に着て、純粋で可憐なコレットに嫌がらせをしていたようだな!」
「ギュンター様、あの、私なら大丈夫です! それに、勘違いだと思うんですけれど……」
「その従属学生に、名前呼びを許していらっしゃるの? 嫌がらせですって? 私が何をしたとおっしゃるの?」
相対しているのがカレーナ嬢であろう。彼女の顔は扇子で半分隠れてよく見えないが、あれって先日エレノアが庇っていた友人じゃないか?
先ほどまで和やかな雰囲気のパーティー会場は、今や騒然としている。
「……あの無礼な平民、こんなところで何をやっているんだ?」
流石のクロードも、いつもの穏やかな笑みを崩して怪訝な顔だ。
「忘れた頃に現れますね……」
ライナーは冷たい目で状況を観察している。
それにしても、あんまりいい噂を聞かない男ではあったが、こんな所で痴話喧嘩か? ハルテン家の見通しは暗いな。家に帰ったら執事に伝えておこう。
「うるさい!お前のような、醜い性根の女にはうんざりだ! お前の有責とし、婚約を破棄する!!」
……あーあ。こんな衆目を集めて威勢よく言うことじゃないだろ。
俺がちらりと顔色を窺うと、エレノアは怒りの形相で、手の中にある扇子をメリメリと捻り上げていた。あの高級そうな扇子、絶対に中で骨が何本か折れたぞ。
「失礼しますわ」と一言残し、エレノアは騒ぎの元へ、気品のある足取りで向かっていった。
「ハルテン様。本日はカレーナさんとご一緒にご招待したはずですが……そちらの方は?」
「お、おお、エレノア様、本日も麗しい。挨拶が遅くなって申し訳ございません。しかし、もう婚約者ではないので、私とカレーナは関係ないのです」
「質問に答えてくださる?そちらの方は?」
「彼女はコレットです。お聞き下さい、エレノア様。カレーナは、彼女が平民だからといって、嫌がらせを散々していたのです!」
「嫌がらせ、とは?」
「細かい事を当てこすりしたり、無視をしたりです! 弱い立場のコレット相手だからするのです!」
「あ、あの、私のせいで、喧嘩しないでください! 私、二人に仲直りして欲しくて、一緒に来たんです!」
「あぁ、コレット、なんて君は美しい心を持っているんだ……」
「……うわぁ」
思わず声が漏れ出た。隣を見ると、クロードも心底軽蔑したような冷ややかな目で二人を見つめている。
「……カレーナさん」
「はっ、はい」
「ハルテン様は、こうおっしゃっておりますけれど。貴方のご意見は?」
「……」
「無言は、肯定と受け取られても仕方ございませんわよ?」
「はっ、ははっ。ほらみろ。そういう女なんだ」
「――エレノア様、私、まったく身に覚えがございません!」
「なっ、なんだと! 嘘をつけ!」
「ハルテン様、落ち着いてくださいまし。カレーナさんは『身に覚えがない』とおっしゃっているだけですわ」
「だから、それが嘘だと言っているのです」
「『嘘』とは断定できませんわ。だって、カレーナさんが『嫌がらせ』とやらを認識していない可能性がございます。認識していないものを自覚する事はできませんでしょう?」
「そ……それは、詭弁です! 本人がどう思っていようが、嫌がらせは嫌がらせです!」
「ハルテン様の言い分もわかりますわ。ところで、その『嫌がらせ』とは、具体的にどのような行為なのでしょうか。心身を損ねるようなことでも?」
「よくぞ聞いてくれました、エレノア様! 可哀想に、紙束を落としたコレットが、一生懸命に拾い集めている横を……、この女は、素通りしたんだ!」
「はい? まさか、それだけですの?」
「それだけではありません! よりにもよって、コレットとバルタザールが淫らな関係であると言っていたのです!」
「……そうなんですの? カレーナさん」
「私が、まさか! そんなはしたないこと、口に出すどころか思ったこともございませんわ!」
「それこそ嘘ではないか!」
「そもそも、彼女の事を何か言った事など……、いえ、思い出しました。ハルテン様にお話した事は一度だけありますが……」
「ほらみろ! エレノア様! 醜い性根の女なんです」
「あの、彼女とバルタザール様は異性同士でしょう? 本来なら、学則上は従属学生として認められない組み合わせですから……。それが認められるほどの寄付をなさったのなら、増築された図書室はさぞ立派でしょうね、と。そういうお話なら、一度だけ……」
「ほら、聞いたでしょう、エレノア様! 異性でどうのなんて! 下品な女だ!」
「ぶっ……くっくっくっくっくっくっ」
その時、三人の声だけが響き合っていたパーティー会場に、場違いな笑い声が混ざり込んだ。
そう、犯人は、俺だ。
「ちょっと、ルーク、我慢しないとだめだよ」
「だって、あいつさぁ!……ひっ、さっきから我慢してたけど、もうだめだ、腹いてぇ」
「勘弁してくれ、ふっ、ちょっと、僕までつられ笑いしそうだよ」
「よくあの馬鹿の話聞いて涼しい顔してられるな。だってさ、『異性』って言葉聞いただけで、あいつ何妄想して興奮してるんだって思ったらさ、くっ、だめだ」
「ふふっ、ちょっと、やめなよ。彼にとっては、カレーナ嬢の言葉はそれだけ唆られるものがあったのだろうさ」
「ちょっと、まてって、笑わすなってば。あ、どうぞお構いなく。エレノア、続けてて。やばすぎるだろ、そんな変態。結婚したら何されるかわからないぜ」
「『お構いなく』って、もうルークのせいで話の腰折られちゃってるじゃないか、ふ……ふふふっ、だめだ……」
「おいおい、今度はお前がツボってるじゃないか。ほら、一旦出ようぜ」
◇
十五分後。おすまし顔で俺たちが戻ってきた時には、パーティーの雰囲気も戻っていた。
「まったく。ルーク様には呆れたといいますか、助けられたといいますか」
「やあ、エレノア。今日の髪型も素敵だね。君の美しい顔立ちが引き立っているよ」
「またすぐ、そうやってとぼけてばかり」
エレノアは呆れたようにため息をついた。
「いやしかし、さっきのあの状況から、何事もなかったように戻した手腕は見事だね」
見ていないけどさ。まぁ、後でライナーにでも顛末は聞いとけばいいだろう。
「とにかく、まだ会はこれからです。お二人とも、ごゆるりと楽しんでいらしてね」
そう言って、エレノアは凛とした背筋を伸ばして去っていった。
しかし、エレノアも淑女として成長したもんだ。子供の頃は、気に入らないことがあれば真っ先に自分が噛みついていたのにな。
「……あいつも、大人になったなぁ」
「何を親戚のおじさんみたいなこと言ってるんだい?」
「高そうな扇子、大丈夫かなぁ」
――まあ、その後の話なんだが。
案の定、クロードに人だかりが出来て、俺は『ごゆるり』する余裕なんて微塵もなかったんだがな。
だから、社交パーティーに出るの嫌なんだよなぁ。




