引っ越し祝い
三月上旬の、よく晴れた休日。今日はクロードと貴族街へショッピングに出かける予定だ。
今月の半ばには春の口頭試問があり、それを終えれば月内は春季休講となる。月末には、リュシアンさんの例の新居にお呼ばれされているので、その時に持参する引っ越し祝いを選ぼうというわけだ。
もっとも、リュシアンさんは自分の世界というか独自のこだわりがある人だから、喜んでもらえるものを探すのは相当大変そうだ……と俺は少し心配している。当のクロードは「腕が鳴るね」なんて余裕そうな顔をしているけれど。
外に出ると、まだ風は少し冷たい。俺は明るいキャメルカラーのロングコートを羽織り、家を出た。上質なウール地の端正な仕立てで、春の訪れを感じさせる明るい色味がお気に入りだ。
いつものように徒歩でクロードの屋敷へ向かい、車寄せに用意されていた馬車へと乗り込む。勝手知ったる他人の家、といった体でくつろぎながらクロードを待っていると、間もなくドアが開いて乗り込んできた。
「お待たせ、ルーク」
「全然待ってないぞ。……そのコート、よく似合ってるな」
クロードは、陽光のような金髪がよく映える、深紺のスタンドカラーコートを着ている。首元をすっきりと見せる立ち襟が、気品ある立ち姿を引き立てていた。
「ふふ、ありがとう。ルークも、春らしくて素敵な装いだね」
俺たちが乗り込んだ馬車が静かに走り出し、車内でのんびりとした会話が始まる。
「酒や茶みたいな消耗品にするか、折角だし長く使ってもらえるようなものにするか、悩ましいね」
「生活に必要な物は今さら揃っているだろうしな。長持ちする物にするなら、場所を取らない小物類がいいだろうなぁ」
「押さえておきたいお店はあるかい?」
「消えものなら、酒か葉巻だよな。お茶も悪くないけど、飲んでるところをあまり見たことないから、好みがわからないぞ」
「ついでだし、紅茶店に行ってみようか。僕もたまには執事任せじゃなく、自分で見てみたいし」
「ああ、自分用のな。……たしかに、俺もいつも執事が勧めてくるのを『じゃあそれで』って言ってるだけな気がしてきたわ」
「ふふ、ルークの執事は君の好みを完璧に把握しているからね。気にならないなら、それでいいと思うけれど」
「いや、なんか俺、急に自分が心配になってきたぞ。もうちょっと自分の意志を持って生きた方が良くないか? え、俺、大丈夫か!?」
「っふふ、ルーク、いや、そんな……ふふっ、大げさな、くっ、ふふ……っ」
クロードが完全にツボに入って腹を抱えている。失礼だな。まぁ極論、俺が一番に考えるべきは未来の領地経営のことだし、それ以外はどうでもいいと言えばどうでもいいことなんだけどさ。
そんな話をしていたら、ゆっくりと馬車が停まった。貴族街のショッピングストリートに着いたのだ。整備された石畳に足を下ろし、コートの襟を整える。
「ちょうど、目の前に紅茶店があるね。ここでいいかい? 覗いてみよう」
高位貴族の家には大抵置いてある、見覚えのある看板の紅茶店だ。余談だが、俺は店名を覚えるのが苦手というか、覚える気がなかったりする。自分が気に入れば、店の名前なんてどうでもいいと思っている口だ。
広々とした店内には、壁際の棚に天井までびっしりと、百を超えるであろう漆黒の紅茶缶が整然と並んでいる。ほら見ろ、こんな中から選ぶのが大変だから執事任せになっちゃうんだって。
俺たちの身なりから高位貴族だと察したのだろう。他の客がカウンターで茶葉を選んでいる中、俺たちは奥のゆったりとしたソファ席へと案内された。
「本日は、どのような品をお求めでいらっしゃいますでしょうか」
「えーっと、プレゼント用なんだけど……」
「贈答用でございますね。お相手の方のお好みをご存知でしたら、お薦めの茶葉をご提案させていただきますが」
「好みか……うーん」
俺が言葉に詰まっていると、隣でクロードが助け船を出してくれた。
「お相手は、僕たちが普段お世話になっている大学の先輩なんだ。普段は強い蒸留酒と葉巻を好まれていてね。あと、とても知的な方で、静かな場所での読書も好まれるんだよ」
すごいな。言っていることは全て事実なのに、これだけ聞いても全くリュシアンさんのことだと判別できない。あの人、普段の『暴力』の成分が強すぎるんだな、きっと。
店員は「少々お待ちください」と恭しく一礼して去っていった。しばらくして戻ってきた時には、一抱えほどもある大きな紅茶缶を三種類、二人がかりで運んできてくれた。
ローテーブルの上に大きな缶と小皿が並べられ、一種類ずつ小皿に茶葉が出されていく。
「まずはこちらから。どうぞ、小皿をお手に取って香りをご確認ください。こちらは柑橘とハーブ、さらにラベンダーを加えたブレンドになります。ラベンダーは心を鎮める効果が高いので、普段からお忙しい方にも大変人気でございます」
香りを試してみると、柑橘の爽やかさの後から、ラベンダーの甘く重い香りがじわっと追いかけてくる。俺は花が入った紅茶は『花を食べている』ような気がして正直あまり好みではないのだが、表情を見る限り、クロードは気に入ったようだ。
リュシアンさんもストレスは凄そうだし、案外悪くないのかもしれない。「知的な読書家」という情報だけでこれを提案してくれたのかな。あとの二つも楽しみになってきた。
「続いてはこちら。高地で採れる、春に映えるさわやかな品種です。緑がかった明るい水色で、心地よい渋みとフルーティーな香りが特徴となっております」
う〜ん、俺はこれ結構好きだけど、リュシアンさんのイメージとはかけ離れすぎている。「春」とか「さわやか」とか「フルーティー」とか。あの人に合う言葉があるとすれば「バイオレンス&デカダン」なのだが、そんなバイオレンスな紅茶が存在するわけもない。やっぱ紅茶は微妙なのかな。
「そして、最後にこちら。東の国のお茶に着想を得た、非常にエキゾチックな当店オリジナルの品でございます」
ふーん、どれどれ。東の国のお茶とはどんなものかと、俺は小皿に顔を寄せて香りを嗅いでみたのだが――
「っ……これ、リュシアンさんが好きな『くさい奴』だ!!」
思わず声が出た。焦げた木のような、スモーキーで重厚な香りが鼻腔をくすぐる。
「はい。こちらは柑橘のフレーバーティーに、独自の燻香を含ませたものでございます。普段からスモーキーなウイスキーや重めの葉巻を好まれる方でしたら、この香りは間違いなくお気に召していただけるかと」
「クロード、これ! これ買おう!」
「ふふ、そうだね。じゃあ、これを贈答用に。それと最初のラベンダーのものを、僕の自宅用で頼むよ」
「かしこまりました。茶葉のみのご購入でよろしいでしょうか? 贈答用でしたら、当店オリジナルのギフト缶に詰めてのご用意も人気となっております」
「では、ギフト缶の見本を見せてもらおうか。ルーク、リュシアンさんの新居の内装は見ているんだろう? 雰囲気に合いそうなものを選んでおくれ」
「おう!」
店員が運んできた三十個ほどの見本の中から、俺は螺鈿のような深い光沢を放つ、落ち着いた暗紫色のスクリュー缶を選んだ。あのサロンに置いてあっても浮かないはずだ。
クロードは自分用に二十杯分ほどの茶葉を包んでもらい、俺たちは店特製の紙袋を受け取って店を後にした。
「なんか、全然期待していなかったけど楽しかったな。リュシアンさんが気に入ってくれるかは分からないけど」
「ふふ、良い買い物ができたね。紅茶は確保したとして、もう少し他の店も見ていこうか」
「ああ。馬車もすぐそこだし、この荷物は先に積んでおいてもらおうぜ。身軽な方が色々見やすいしな」
俺たちはすぐ近くに待たせていた馬車の御者に紙袋を預けると、再び並んで歩き出した。
本屋に革小物店、銀細工専門店に刀剣店までちらっと見て回ったのだが、どうにもピンとこない。
「なんだろう、悪くないんだけど、『これだ』って感じでもないんだよな」
「そうだね。無難に、リュシアンさんの好みそうな蒸留酒か葉巻にでもするかい?」
「だなぁ。紅茶があるから、酒だと飲み物ばかりになるし、シガーの方がいいかな?」
「だったら、僕も入ったことはないのだけれど、あっちの細道に専門店があったはずだよ」
「じゃあ、試しに行ってみるか」
俺たちは路地を一つ折れ、一ブロック隣の細道にひっそりと佇む喫煙具の専門店へと入っていった。
店内は少し薄暗く、重厚で渋い空間だ。棚に並べられたパイプやライターといった小物を、思わず興味深く眺めてしまう。
気がつくと、クロードがガラスケースの一角を熱心に覗き込んでいた。
「クロード、気になるものでもあったか?」
「いや、見事な海の泡だと思ってね」
クロードの視線の先には、白いパイプがいくつか並んでいた。それぞれに、とてつもなく精巧な彫刻が施されている。
「うわ、すっごいな……」
俺が思わず感嘆の声を漏らすと、奥から店主らしき落ち着いた佇まいの人物が出てきた。
「お若いのに、よくご存じですね。……そう、通称『海の泡』と呼ばれる海泡石でございます。柔らかく繊細な彫刻加工がしやすいのが特徴でしてね。今は真っ白ですが、使い込むうちに煙草のヤニが染み込み、表面が美しい琥珀色へと変化していくのですよ。ご自身の手で『育てる』楽しさも格別です」
「育てる楽しさ……」
なんか、こだわりの強そうなリュシアンさんに合っている気がする。
「表に出していない秘蔵品もございますので、よろしければご覧になってください」
そう言って店主は奥の引き出しから、さらに十数個のパイプを恭しく並べ出してきた。
へえ、と思いながら、物珍しさと芸術鑑賞が入り混じった感覚でパイプを眺めていく。繊細な幾何学模様が彫り込まれたもの、神の顔を模したもの、おどろおどろしい髑髏のものまでさまざまだ。見ていて飽きない。
――そして、その中の一点に、完全に目を奪われた。
それは、蠢く魔獣と精霊のモチーフ。細部まで狂気じみた緻密さで彫り込まれており、どこか優雅で、どこか暴力的だ。
「クロード、これだわ。これ以外考えられない」
「ふふ、そうだね。最初は真っ白なこれが、リュシアンさんの手で琥珀色に染まっていく……うん、想像するだけで恐ろしいほど似合っているよ」
「あの、これをプレゼント用でお願いしたいんですが。相手は愛煙家なんですけど、パイプを吸っているところは見たことがなくて」
「なるほど。でしたら、すぐにお楽しみいただけるよう『一式セット』でご用意するのがよろしいかと。パイプ煙草の葉と、葉を整えたり火種を押さえたりするタンパーもご一緒に。あとは、長くご愛用いただくためのメンテナンス用モールと、書斎の机に置くためのパイプレストですね」
「じゃあ、全部つけてください。煙草葉は……確か『太くて重い葉巻が好き』って言ってたかな」
「なるほど。でしたら、まずは重厚な燻香のきいたものがよろしいでしょう。葉巻とはまた味わいが異なりますが、普段のお好みからでしたら、こちらが入りやすいかと」
店主はどこか楽しそうに、手際よく品物を揃えてくれた。
魔獣のパイプと、それに合わせて型取られた本革張りのハードケース。深く重厚な香りの煙草葉に、銀製でシックな装飾が施されたタンパー。そして重厚な木製のパイプレスト。ロングマッチとお手入れ用のモールはサービスで付けてくれるそうだ。
「そうそう、別途加工代はかかりますが、名入れも可能ですよ。お相手のイニシャルや家紋などを刻印されてはいかがでしょう。この石は使い込むと琥珀色へと育ちますから、数年後には彫り込んだ文字の影が際立って、一層美しく浮かび上がるのですよ」
「うわ、それ最高じゃん! クロード、リュシアンさんのイニシャル入れてもらおうぜ」
「ふふ、いいね。喜んでくれる顔が目に浮かぶよ」
職人の手作業で慎重に刻印を入れるため、仕上がりには二週間ほどかかるとのことだった。ちょうど新居のお祝いに持っていくタイミングにも、誂えたようにぴったりだ。商品は出来上がり次第、俺の屋敷へ届けてもらうよう手配し、俺たちは満足感とともに店を後にした。
「いやー、なんだかんだ良いものが見つけられてよかったな!」
「うん、月末が楽しみだね」
何事もなく平和な買い物を終えて、爽快な気分で馬車へと向かう俺たちだった。
――たまには、こんな休日もいいでしょう?




