鉄と鉄
秘密結社『銀の天秤』の崩壊から三日後。
俺達は再び、リュシアンさんの縄張りである大図書館三階最奥のソファー席に集まっていた。
ふと視界の端に、『古代ルーン・帝國語対照大辞典』が置かれている固定閲覧台が入ってくる。
……あまり気にしないようにしているんだけどね。ちょっとモヤモヤしちゃう。
「さて、次は『鉄と鉄』ですね……。士族系の学生が集い、血統や伝統よりも、実力と規律を重んじると聞きます」
クロードが手元にある『密書』を広げる。
飾り気のない分厚い紙に、無骨な鉄灰色のシーリングワックスが圧し折られたデザインだ。
「はぁ。”自称”実力主義の軍事オタクどもか。面倒くせぇな」
リュシアンさんは退屈そうに脚を組み、煙草の煙を吐き出している。
「で、その脳筋どもの集会場所はどこなんだ?」
「旧市街の北端にある、放棄された旧騎士団演習場です。……今夜の深夜、彼らの『新入儀式』が行われるとのこと」
「騎士団の練習場ねぇ……。ルーク、手紙の暗号は解けたか?」
「えっ、ええと……手紙の裏に書かれた数字の羅列、これ『古代の作戦図』の格子座標番号ですよね? 座標を繋ぐと『子刻、北門の演習場、練習用の木剣を持参せよ』って読み解けます」
「正解だ。相変わらず呑み込みが早くて助かるよ、ルーク」
クロードが満足そうに頷く。
暗号解読って、いつから貴族の必須スキルになったの?……待って? さくっと暗号解読できちゃってる俺も、十分あっち側の住人じゃない? ヤバい、感覚が麻痺してきた。
「しかし、練習用剣を持参ねぇ……。よし、決まりだ。今夜の深夜、その演習場に検分に行くぞ」
「あの、リュシアンさん。『鉄と鉄』って武闘派なんですよね? 『銀の天秤』みたいに議論で泣かせる感じじゃないと思うんですけど……」
「何を言ってるんだルーク」
リュシアンさんが生贄を前にした悪魔のような笑顔を浮かべた。
「軍事学ってのはな、一番『論理と現実』がモノを言う世界なんだよ」
「つまり彼らの場合、自慢の軍事論が机上の空論だと分からせて、その上で、実技でも敗北させればいいと」
「結局は、前と同じだ。前提そのものを崩しちまえばいい」
「なるほど。今回崩すのは、『実力を重んじる集団』という前提……」
「分かってきたじゃねぇか」
「ありがとうございます」
これ、俺いる? なんかもう、二人に丸投げでいいんじゃないかな?
◇
深夜零時、旧市街北端。
月光すら届かない、うす暗い旧騎士団演習場にやって来た。
荒れ果てた木造の演習場の中では、松明の火が揺らめき、革胴や防具を着込んだ団員と入会候補らしき学生たちが、合わせて二十人ほど集まっていた。彼らの手には、演習用の木剣やフルーレが握られている。
中央に立つのは、鋼鉄の飾りがついた大剣を地面に突き立てた大柄な男だ。こいつが恐らく、『鉄と鉄』の総長なのだろう。
俺たちが演習場の中に足を踏み入れると、総長は待ってましたとばかりに、朗々とした大声で問いかけてきた。
「よくぞ暗号を解き明かした! 今宵我が『鉄と鉄』の門を叩く新進気鋭の志士たちよ、その姿を示すがいい!」
そして、物陰からゆったりと歩み出た俺達を見るや、満足そうに頷いた。
「ほう……ヴァルテンベルク侯が神童に、リュシアン様までおられるとは。歓迎しよう! 我ら『鉄と鉄』は家柄ではなく真の実力を重んじる結社だ。さあ、持参した木剣を構えよ! 我らの試練を受けてもらう!」
秘密結社の人って、こんなんばっかなの? それとも結社に入るとこうなっちゃうの? 俺、絶対に合わないわ……。昔、リュシアンさんがこの手の連中を壊滅させたって気持ちが少し分かってきたような……。
演習場の壁には、大きな作戦図が貼り出されている。リュシアンさんは楽しげに低く笑いながら、そこへ歩み寄った。
「お前ら、そこに誇らしげに掲げてる『新・防衛要塞陣形図』……あれ、お前が考案したのか?」
総長がドヤ顔で胸を張る。
「そうだ! 我が結社が誇る、いかなる大軍をも退ける完璧な要塞防衛陣形だ! 隙などどこにも……」
「隙だらけなんだよ、雑魚」
リュシアンさんは冷ややかに作戦図を指で弾いた。
「まず、この左翼。狭隘地に兵を詰め込みすぎだ。前列が崩れたら後ろは前にも出られねぇ、負傷兵も下げられねぇ、交替の部隊も入れねぇ。……で、退路はどこだ?」
「な……」
「ねぇのかよ。じゃあ敵に火でも放たれりゃ、逃げ場もなく全員焼き芋だ」
リュシアンさんは呆れたように作戦図を指で叩く。
「こっちは補給路と増援の進路が同じ。戦闘が始まって人と荷車が行き交い始めたら、ここで詰まる。お前、兵隊を盤上の駒かなんかだと思ってんのか?」
「ぐっ……!」
「実力がどうとかほざいておきながら、実際に人間を動かすことを何一つ考えてねぇ。どうせ実際の用兵経験なんて一度もねぇんだろ?」
「な、なに……!? ぐっ……!?」
「リュシアンさん。彼らも理屈だけでは納得しないでしょう」
クロードが総長たちを見回した。
「彼らは『実力』を重んじるそうですから」
「ハッ。じゃあ、その実力ってやつも見せてもらうか」
リュシアンさんは楽しそうに目を細めると、壁のラックから演習用の木剣を一本ひょいと取り出した。
「お前らの使ってるその『騎士団流』の構え。型に拘りすぎて、左脇ががら空きなんだよ。……そこのお前、フルーレを構えてみろ」
言われた団員の一人が、圧倒的な圧に押されて思わず練習用の細剣を構える。
リュシアンさんは木剣をだらりと下げたまま歩み寄ると——一瞬の残像を残して、相手の腕の支点を木剣の柄で軽く叩いた。
ガタンッ!
「あぐっ!?」
細剣が呆気なく床に転がり、金属音を立てる。
「無様だな。作戦計画は欠陥だらけ、個人の剣技もお遊びレベル。……で? お前らなんだっけ? 騎士団ごっこの集まりだっけ?」
「あ、あり得ん……我らの要塞陣形と剣技が、こうもあっさりと……」
膝をつく総長。
なんだか、数日前も全く同じような光景を見た気がするな……。
俺はそっと溜息をつき、膝から崩れ落ちた彼らの元へ歩み寄った。
「……あのさ、総長さん?」
「ヴェ、ヴェルディエ殿……! あなたは、我らの志を理解してくださるのでは……!」
「えっ、なんでそうなるの?」
きもいなぁ。どこまで自分に都合の良い世界を妄想しているんだろ。
「俺から一つだけ言うならさ。『実力のある者を認める』っていうのが本当に君たちの信条なら――」
俺は床に転がった細剣を指さした。
「今の結果も、ちゃんと認めた方がいいんじゃない?」
「ぐっ……!」
「それとも、自分たちが勝った時だけ実力主義なの?」
「……俺、抜ける」
「俺も……」
「なんか、恥ずかしくなったわ」
一人の声を皮切りに、武闘派(笑)の結社は解散し始めるのであった。
◇
「ふぅ……脳筋どもは動きが単純で助かるな」
満足そうにシガレットを一服し、紫煙をくゆらせるリュシアンさん。
「ええ。効率的で何よりです」
爽やかに微笑むクロード。
この二人の容赦なさと比べると、俺ってつくづく繊細で常識人なんだなぁって実感するわ。
「……ねえ二人とも。次で最後でいいんだよね?」
なんの気なしの、確認のつもりで俺が言うと、二人の雰囲気がガラリと変わった。
「ああ……残るは最後のひとつ」
リュシアンさんの目が、暗闇の中で猛獣のようにギラリと光る。
「差出人不明、漆黒の蝋に『夜梟』の刻印……『夜梟の爪』か。あいつらだけは、ちょっとばかり強めのお仕置きが必要かもしれねぇな」




