銀の天秤
「……で? なんで俺までこんな気合の入った格好をしてるわけ?」
夜の帳が降りた旧市街。石畳の路地に佇む歴史ある館を前に、俺は自分の袖口に仕込まれたカフスボタンを弄りながら呟いた。
「当然だろう。今夜の敵は『伝統派の大貴族』で構成される『銀の天秤』だ。彼らの美学に則った装いで踏み込んでこそ、叩き潰した時の絶望感が際立つ」
上質な仕立てのシックなタキシードを着こなしているクロードが、事もなげに言いのける。 ……いや、絶望感の演出に気合を入れないでほしい。
「ま、形から入るのも悪かねぇ。格の差ってやつを見せつけてやらなきゃな」
リュシアンさんに至っては、漆黒のコートを羽織り、完全に『これから獲物を狩りに行く猛獣』の顔をしている。 三人並んで歩いていると、通りかかる夜警が思わず目を逸らし、反対側の路地へ引き返していくレベルの圧だ。
「よし、行くぞ」
サロンの重厚なオーク材の扉の前に立つ。 扉の横には、小さな小窓と、気取った身なりの門番の男が立っていた。
俺たちが近づくと、門番はもったいぶった芝居じみた口調で、問いを投げかけてきた。
「ようこそ、若き優秀なる客人方。『夜明けを待つ天秤は何を測る?』」
俺が「えーっと……」と応じようとした瞬間、リュシアンさんが一歩前に出た。
「『星の重みと、王冠の価値だ』」
「ほう……見事だ。では第二の問い、『天秤の支柱を支えるのは?』」
「『1472年の勅令に基づく、大公国の関税法第4条だ』」
今度はクロードが冷ややかに言い放った。密書に散りばめられていた暗号数字の元ネタである、超マイナーな古法典の一節だ。
「素晴らしい! そして……合格だ。ようこそ、『銀の天秤』の気高く高尚なる集いへ――」
門番は大げさに胸を張り、重厚なドアを恭しく開けた。
「どうも」
俺たちは、普通に中へ入った。
◇
絢爛豪華なサロンの中では、高そうな薄口のワイングラスを傾けながら、仮面をつけた十人ほどの学生たちが優雅に談笑していた。壁際には歴代総裁らしき肖像画が並び、その下の書棚には、銀色の箔押しがされた揃いの冊子が何冊か収められている。
なんかもう、入った瞬間から「俺たちには歴史があります」って圧がすごくて胸焼けがしそうだ。
俺達の入室に気がつくと、上座に座る豪奢な仮面の男が、満足そうに立ち上がった。
「来たか! 我らの試練を乗り越え、今宵新たな同志となる天才たちよ! 歓迎しよう、我が『銀の天秤』の聖域へ……!」
イタタタタ。こいつ、かなり自分の世界に酔ってるなぁ……。
「さて」
俺達の影に隠れていたリュシアンさんが、ゆったりとした足取りで部屋の中央へと進み出る。
「『銀の天秤』だか何だか知らんが……お前ら、よくも俺の可愛い後輩達の寝床に不法侵入を仕掛けてくれたな?」
その顔を見た瞬間、仮面たちの間に激震が走った。
「リュ、リュシアン……!? 誰だ、こいつにバラした奴は!!」 「待て、話し合おう! これは崇高なる儀式で……!」 「我々はただ、そう、将来の指導者となり得る君たちに『試練』を与え、栄えある我らの傘下に引き入れてやろうと……」
この焦り方を見る限り、リュシアンさん、ホントに『秘密結社クラッシャー』として有名なんだな……。
圧倒的な猛獣の覇気に押され、仮面集団が悲鳴めいた声をあげながらジリジリと後ずさっていく。
「その『試練』とやらについて、一つ聞いてもいいだろうか」
クロードが静かに前へ出た。
「君たちは、自らを『将来の指導者を選別する側』だと言ったね」
「そ、そうだ! 我ら銀の天秤は、百年にわたり――」
「では何故、その高尚な選別のために、侯爵家の使用人や出入り業者を買収する必要がある?」
「それは……候補者の警戒を掻い潜ることも試練の一環で……」
「なるほど。君たちは、侯爵家に正面から招待状を届けるだけの信用もなく、使用人を金で転ばせなければ接触すらできない。それを『試練』と称しているわけか」
「なっ……!」
「随分と安っぽい『高尚』だね」
クロードの冷ややかな言葉に、仮面の男はぐっと押し黙った。
「ついでに、こいつも酷ぇな」
いつの間に移動したのか、リュシアンさんが壁際の書棚から銀色の冊子を一冊抜き取っていた。
「お前らが代々受け継いできたとかいう『銀の天秤・教義録』。ざっと読んだが、ツッコミどころ満載だ。特に第三章の『王権と貴族の均衡論』、あれを書いたのは誰だ?」
「あ、あれは初代総裁が遺した至高の論理……!」
「ハッ、論理破綻してんだよ。前段の租税論と後段の権力分立論が真っ向から矛盾してる」
「くっ……ぐぬぬぬ……!」
クロードとリュシアンさんがちょっと話をしただけで、「新人を選別してやる側」だったはずの幹部たちは一人、また一人と心が折れて膝から崩れ落ちていく。 この人たち、どこまで本気でやってたんだろ……と俺がぼんやり眺めていると。
「あ、あの……ルーク様! 我々は本当に、あなた方の才能を評価して勧誘しただけで……!」
幹部っぽい仮面の男が這いつくばって、なぜか俺の足元で助けを求めていた。
「ごめんね。俺、ただの巻き込まれなんだ」
すっと一歩引いて、俺は穏やかな笑みを向けた。
「あ、でもこれだけは言っておくね。うちの執事と護衛、めちゃくちゃ仕事が早いから。次に変な手紙仕込んだら……、覚悟はしておいてね」
◇
十分後。
「銀の天秤」の高尚な議論とやらは見る影もなく、仮面の学生たちは互いに責任を押しつけ合いながら、「こんな話は聞いていない」「そもそも今の総裁になってからおかしくなった」などと醜い仲間割れを始めていた。
「……帰るか」
「ですね」
「えっ、これでいいの?」
俺が尋ねると、リュシアンさんは振り返りもせずに鼻で笑った。
「ほっとけ。三日もすりゃ消えてる」
「ふぅ……一仕事終えた後の夜風は美味いな」
満足そうにシガレットを一服し、紫煙をくゆらせるリュシアンさん。
「ええ。非常に有意義な時間でしたね」
爽やかに微笑むクロード。
「……ねえ二人とも。これで終わりじゃないんだよね? あと二つ残ってるんだよね?」
俺の問いかけに、二人の麗人は顔を見合わせ、実に凶悪で楽しそうな笑顔を浮かべたのだった。




