新フェロー誕生
大講堂の喧騒がふっと引き、冷ややかに澄んだ緊張感が広壇を包み込んでる。
登壇したのは、亜麻色のゆるふわな髪をなびかせた青年――リュシアン先輩だ。
極上の美形、妖しく光るアメジストパープルの瞳、優雅な立ち振る舞い。一見すると気品あふれる貴公子そのものだ。
「先輩、相変わらずかっこいいなぁ~」
俺がのんきに呟くと、隣のクロードがフッと口元を緩めた。
「見た目だけではなく、能力も本物だ。彼の弁舌に耐えられる教授が、この学府に何人いるか見ものだね」
壇上に立ったリュシアン先輩は、炯々(けいけい)たる眼差しで審査員席を緩やかに見渡した。その唇には、いつもの余裕たっぷりな笑みが浮かんでいる。
「この度、僕が発表する研究成果は――『旧帝国時代の印章ルーン解読による、旧家系譜の再定義』です」
優雅で通る声。だが、その言葉に真っ先に反応したのは、古代魔導語の権威として知られる保守派の重鎮、アルベルティ教授だった。
「まさか!あのルーンの解読に成功したとでも言うのか!」
「ええ、さすがはアルベルティ教授、お察しがよろしい。何の話かわからない聴衆の皆様のために、簡単にご説明させていただきましょう。遡ること16年前。旧帝国王都――現在の『死都』より、とある探検家が、貴重な旧帝国時代の羊皮紙と黒金印章を持ち出すことに成功しました」
『死都』という言葉が出た途端、講堂内に不穏などよめきが広がった。
300年前に半ば地獄と融合し滅んだ旧帝国の王都は、今なお『死都』と呼ばれる、忌まわしき死の領域と化している。
「だが、あれは『禁書庫』に封じられる程、強烈な死都の魔気を残していたはずだ……!」
「はい。そこは僕の血統魔術と相性がよかったらしく、何の障害にもなりませんでしたがね」
「馬鹿な……! 聖庁の専門家ですら浄化しきれず、接触できる者が限られた遺物だぞ。十六年もの間、幾人もの研究者が解読を試みて果たせなかったものを……!」
「ええ。ですが、十六年間誰もあの印章を読み解けなかった理由は、魔気だけではありません。解読には『ルーン学』の知見だけでなく、旧帝国時代の貴族血脈史――とりわけ、現在では傍流とされている家系についての知見が必要だったからです」
また別の教授が口を挟む。
「そもそも、誰が学生に禁書庫……それも、封印収蔵区の遺物など触らせたのだ! 学生のおもちゃじゃないんだぞ!」
「私が推薦しました」
保守的な考えの多い教授陣の中で、比較的リベラル色の高いバウアー教授がおっとりと声を上げた。
「彼をフェロー候補者に推薦したのは私です。彼なら扱えるのではないかと思い、この研究テーマを提案したのも私です」
「だとしてもだ! 候補者への推薦権と禁書庫の閲覧許可は別だろう!」
「許可したのは私だ」
今日の全学自由討論会で、審査員席に座りながらも一言も声を発さなかった男性――大図書館長が声を上げた。
「当該遺物は収蔵以来十六年間、大図書館の管理下にある。候補者による閲覧・解析にも、すべて私が立ち会った。当然、印章にも封印にも、改竄の痕跡はない」
大図書館長の発言を受けて、異論を唱えていた教授は押し黙ってしまった。
そこからは、リュシアン先輩の独壇場だった。
現在主流とされている貴族血脈史の誤りを、軽やかに指摘していく。当然、保守派の教授たちが顔を真っ赤にして異論を唱えるも、先輩は『死都』の遺物という揺るぎない旧帝国の資料を盾に、全て論破していった。
「他に、僕の学説に異論のある方はいらっしゃいますか?」
――誰も、答えなかった。
やがて、審査員席の最奥に座る大学総長が、ゆっくりと立ち上がり、乾いた拍手を鳴らした。
「……実に見事だ。長きにわたり封印されていた死都の遺物を解き明かし、我ら貴族……神胤の血脈史を正してみせるとは。文句のつけようがない」
総長は左右の審査員へ視線を巡らした。異議を示す者は一人としていない。
主査を務めるアルベルティ教授が、口惜しげに声を上げた。
「……審査員一同、異議なしとする」
「学府の規定に基づき……リュシアン・フォン・グラフェンベルク。大学創設以来、最年少――十九歳での研究員就任。満場一致でこれを承認する」
総長から宣言がなされると、静寂に包まれていた講堂から、どっと大きな歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「やれやれ……これでようやく、くだらない学生行事から解放されますね。認可、感謝いたします」
リュシアン先輩は口元に薄く皮肉げな笑みを浮かべながら、優雅に頭を下げた。
壇上から降りてきたリュシアン先輩は、会場を気怠げに歩き、俺たちの元へと近づいてきた。
「はー……、どいつもこいつも頭が硬すぎて欠伸が出るな」
亜麻色の髪をサッとかき上げながら、ガラ悪く吐き捨てる先輩。
だが、俺と目が合うと、いつもの意地悪い、しかしどこか親しげな笑みを浮かべて俺の肩をポンと叩いた。
「おいルーク。俺の茶番は終わりだ。……次は、お前とクロードの番だぞ。俺を退屈させないくらいの発表は見せてくれよ?」
「……リュシアンさんの後の発表とか、やりづらくて仕方ないんですけど」
俺が呆れ顔で愚痴ると、リュシアン先輩は「ハッ、期待してるぜ」と端麗な顔立ちに似合わない不敵な笑みを残し、ひらりと手を振って去っていった。
俺は苦笑しつつ、隣で静かにサファイアブルーの瞳を燃やすクロードと視線を交わした。
◇
リュシアン先輩がフェローの座を認めさせた後の大講堂は、正直言って完全に「出涸らし」のような空気だった。
そんな惨状の中で回ってきた俺とクロードの共同口頭試問だったが――まあ、結果から言えば。何の問題もなく、あっけなく通った。
なんせ、半年間の二人の努力の甲斐もあるが、算術・幾何が得意なクロードと、論理・修辞が得意な俺が組んだ事で、穴が一つもなかったからな。
『……文句のつけようがない。満場一致で本論文を承認し、両名に学士の資格を授与する』
大学総長からのその一言であっさりと審査は終了。
こうして俺とクロードは、下手に目立つことも(リュシアン先輩のおかげで霞んだとも言う)、余計なトラブルに巻き込まれることもなく、無事、教養学部を修了して専門高等学部への進学を決めたのだった!
ま、そもそも教養学部程度で躓いているわけにはいかない立場だしね。
ってな訳で、全学自由討論会も無事終わり、これからリュシアン先輩も誘って祝勝会なのだ!
◇
俺たちは学府の敷地外にある、落ち着いた雰囲気の高級蒸留酒場の個室に集まっていた。
重厚な革張りのソファに深く腰掛け、グラスを傾けているのはリュシアン先輩だ。
ゆるふわな亜麻色の髪を少し乱し、アメジストパープルの瞳を気怠げに細めている。
相変わらず絵になりすぎる顔立ちだな。
テーブルの上には先輩が適当に注文した極上の酒と料理が、所狭しと並んでいる。
「は~い!無事に終えれた学士獲得と、リュシアンさんのフェロー就任に……乾杯っ!」
俺に合わせて、クロードとリュシアン先輩も静かにグラスを掲げる。
「……ったく。学士ごときで大層なお祝いだな、お前たち」
リュシアン先輩は皮肉げに笑いつつも、俺たちの空いたグラスに自ら上質なワインを注ぎ足してくれた。
「リュシアン先輩のおかげで、関心がすべてそちらに向いていましたからね。おかげで僕たちの発表は静かに終わらせることができました」
クロードが静かにワインを口に含みながら言うと、リュシアン先輩は鼻で笑った。
「ま、俺としちゃ、これで上級学部生のクソくだらねぇ雑務からはおさらばだ。……忌々しい行事にも参加しなくていいしな」
脳裏に『選友会』の事が思い返される。先輩には色々聞きたい事もあった気がしたが、なんとなくやめておこう。
「で? 晴れて『専門高等学部』進学だ。お前ら、専攻は『帝王学・領地経営論』あたりか?」
リュシアン先輩がアメジストの瞳で俺たちを交互に見つめてくる。
「はい。当然、ヴァルテンベルク侯爵家としての務めもありますから」
クロードが即答する。ブレない奴だ。
「俺も同じくですね。元々クロードとは『帝王学・領地経営論』を学ぶために入学したようなものなので」
「へぇ……」
リュシアン先輩はグラスの氷をカラリと鳴らした。
「ま、精々気をつけろよ。教養学部までは『お勉強』で済んだが、これからは違う。特に、お前たちのあの共同テーマ……『税制の動的均衡』だっけか?」
「ええ。何か問題でもありましたか?」
クロードが少し眉をひそめる。リュシアン先輩はニヤリと妖しげに笑みを深めた。
「内容自体は問題ねぇけどよ…。だからこそ、不都合な奴らが大勢いるってことだ。領民から搾り取ることしか能がない古臭い保守派の大貴族どもにとっちゃ、お前たちの『税収を安定させつつ領民の破綻を防ぐ』なんて理論は、自分たちの特権を脅かす危険思想に見えるのさ」
「うぅ~ん。とはいえ、実際に領地経営するのは将来の俺等ですし……。民の為ならともかく、勝手な都合でとやかく言われる筋合いはないと思うんですけど」
「まあ、何かあったら俺んとこに逃げ込んできな。暇つぶし程度には、相談に乗ってやるからさ」
リュシアン先輩は不敵に微笑むと、紫煙をくゆらせながらグラスに残った蒸留酒をぐっと飲み干した。
「……助かります、頼もしい先輩を持って光栄ですよ」
俺が苦笑いしながら答えると、クロードも瞳を輝かせた。
と、そこで俺はある大事なことに思い至る。
「あ、っていうか、これからは『フェロー・リュシアン』って呼ばないといけませんね!」
「ぶっ!げほっ、……てめぇ、げほっげほっ」
あ、煙草で盛大にむせてる。変なこと言ったかしら?
「ぅんっ、ルークからそう呼ばれるのは気持ち悪ぃ。クロード、お前もだ、普通にしろ。げほっ」
俺とクロードは顔を見合わせ、綺麗に声を合わせて言った。
「「はい、リュシアンさん!」」
ようやく呼吸を整えたリュシアンさんは、呆れたように小さく溜息をついた。
「……まあ、なんだ。お前らは言うまでもなく理解ってるだろうが……これでようやく、専門高等学部という本番への切符を手に入れたに過ぎないってことを忘れるなよ」
『本番』。
その言葉を聞いた瞬間、リュシアンさんが意図した意味とは別の意味が頭をよぎり、胸の奥に棘が刺さったような不快なざわめきが広がった。
今は十七歳の秋。
あの夢のシーンが始まる頃まで――あと一年半だ。




