全学自由討論会
俺は思うのだ。
目立たず、騒がず、波風を立てずに平穏な大学生活を送り、最低限の成績でスマートに上位学部へ進む――それこそが、ルーク・フォン・ヴェルディエ侯爵令息たる俺の目指すべき高貴なる平穏な生活なのだと。
だがしかし。このレガリア大学という場所は、俺のささやかな平穏を容赦なく打ち砕いてくる――。
な~んて黄昏れていると、クロードから声をかけられた。
「ルーク。今日の全学自由討論会の共同テーマ、君が担当する後半の動的均衡モデルのデータ分析だが、これで相違ないか最終確認してほしい」
いつものように整った顔立ちに秀麗な微笑みを浮かべ、分厚い羊皮紙の束を俺の机に置いたのは、クロード・フォン・ヴァルテンベルク。同じく侯爵家の令息であり、この世で最も非の打ち所がない(と思ってたんだが最近あやしい)俺の幼馴染だ。
「……ありがとう。完璧すぎて、お前のパートナーとして、俺のハードルが上がるのが唯一の難点かな」
俺たちが教養学部に在籍してから早三年。
俺とクロードが揃って専門高等学部へ進むこと自体は、入学前からの既定路線だ。
そもそも、この学府に来た目的である帝王学・領地経営論は、上位学部で学ぶ内容だからね。
進学の為に必要なのは、各教養科目の修了印と、学位試験の合格だ。
その学位試験の内容とは、教授陣の前で行われる口頭試問。だが、お偉い教授陣が揃い踏みする機会なんてもんは限られていて、年に二回、春と秋にしかない。
その秋のチャンスこそが、今日の全学自由討論会ってわけ。
秋の収穫祭シーズンで人が溢れる時期ってのもあって、学外からの見物人も大挙して押し寄せてくる。レガリア大学が誇る、年に一度のビッグイベントだ。
実はクロードとは、今年の春くらいから「秋には上位学部に上がろう」って話で意見が一致し、ここ半年近くあれこれ準備していたのよ。
ただ、問題があるとすれば――。
「これで今日の全学自由討論会で成果を証明すれば、二人揃って上位学部だ。これで、同じ研究室で心置きなく学びを深められると思うと楽しみだよ」
う~ん、 ありがたいんだけどさ。
クロードという超絶ハイスペック超人が隣にいるだけで、俺の「目立たずそこそこの評価で進学したい」という慎ましい野望が粉々に粉砕されるんだよな。
当のクロードは、そんな俺の気を知ってか知らずか、サファイアブルーの瞳をきらきら輝かせ満足そうにしてるけど。
「なぁクロード、俺たちの共同論文『領地経営と動的均衡』だけどさ……内容が学生らしくないというか、ちょっとやりすぎというか、……これだと教授陣にめちゃくちゃ目を付けられそうなんだが?」
「ふふっ、何を言っているんだいルーク。僕たちの論文なんだから、目立って当然だろう? 堂々と教授陣を論破すればいいだけの話だ」
こらっ、爽やかな笑顔で恐ろしいことを言うんじゃありません!
だがまあ、クロードと足並みを揃えて上位学部に行く以上、中途半端な出来でクロードの足を引っ張るわけにもいかないしなぁ。やれやれ、こうやって俺の平穏が遠ざかっていくんだよなぁ……。
と、俺が一人で胃を痛めながら羊皮紙の束をめくっていた、その時。
「あ、あの……。ルーク様、と、クロード様……」
開けっぱなしにしていた部屋の扉の影から、おずおずと細身の人影が現れた。
眼鏡の奥に理知的な瞳を輝かせ、艶めく銀髪をさらりと流すその姿は、ライナー・フォン・ロゼンタールだ。
半年ほど前、リュシアン先輩とふらふらしていたところ、悪質なヘイジングをされている現場に遭遇し、少しばかしおせっかいさせてもらった縁がある。
縁と言えば、他にも選友会仲間だって事も言えるが……、いや、この記憶は封印しておこう。
「よっ!ライナーか。どうした?なんか悩み事か?」
「いえ、その……。全学自由討論会の準備でお忙しいと伺いまして……。その、 以前、ルーク様に助けていただいたお礼には程遠いのですが……。これ、故郷で伝統的なお菓子です。お口に合うか分かりませんが……」
包を開いてみると、ミントグリーン色をしたキューブ状の菓子がいくつか入っていた。
「ありがとな!どれどれ――」
口に入れると、見た目通りの爽やかな――ペパーミントの香りが口内に吹き抜ける。その後から、がつんとした甘みが来るのだが、ミントの爽やかさでまったく嫌にならない。
「ありがとうライナー!ミントが緊張感を解してくれるし、甘みが疲れた脳に染みるわ~」
「い、いえ、あの、ルーク様……。以前、ルーク様が、『お前なら、二年もあれば修士に行ける』と言ってくださった事、覚えていらっしゃいますか?」
あー……。
そういえば、俺の夢の中のライナー青少年が『二年で修士に行って特待生になった』って知識を根拠に、適当なことを言った記憶がうっすらあるような、ないような……。
「あぁ! もちろんだよ! ライナーみたいに優秀な奴なら、絶対行けると信じてる!」
俺はとりあえず、いい先輩!って感じの笑顔(当社比)でまたもや適当なエールを贈る。
いや、適当ってのは、「適度でぴったり合っている」って意味もあるんだからね?
「……私は、今日の討論会で皆さんの発表をしっかり勉強して、二年後に、絶対……追いつきますから……っ!」
眼鏡のブリッジを押し上げ、耳まで真っ赤にして宣言する姿が、なんだか微笑ましい。
「ああ! 期待してるよ。よし、それじゃあ俺も、後輩にかっこ悪いとこ見せられないし、今日はいいとこ見せれるように頑張るよ」
「そ、それでは失礼しますっ」
学士衣をひるがえし、そそくさといった感じでライナーは去っていった。
……ところで気になったんだけど、俺が余計な事言わなければ、ライナーが二年で上位学部になる事はなかった、とかないよね?
俺はそんな事を考えながら、ぼんやりとライナーが去っていった扉を見届けていたのだが――
「ルーク、随分と、あの子に慕われているようだね……。僕、彼と君がそんなに親しくしていたなんて、知らなかったよ…?」
「はぁ?いや、あれは、ほら、前話しただろ?不可抗力みたいなもんでだなぁ……」
冷や汗を流しながらクロードにあれこれ弁明していると、秋晴れの空に、討論会の開会を告げる鐘の音が高く響き渡ったのだった。
◇
大講堂へ続く中央広場は、まさに文字通りの「大喧騒」だった。
年に一度の全学自由討論会には、学内だけでなく、街の貴族や商人、さらには他国の学者まで見物客として大挙して押し寄せてくるから、当然っちゃ当然なのだが。
「いや~、毎年の事だけど、人熱れで目眩がしそうになるな」
「ふふっ、学内に一般人が入れる機会も少ないからね。それに、それだけ注目されているって事だ」
まったく、こんなお祭りイベントでも、いつもの『光の貴公子』を崩さないのもすごいよなぁ。
「あっ!クロード様!あと、一応…ルーク様も。 本日のご発表、心より応援しておりますわ!」
人ごみの中、見るからに高級そうな焼き菓子の小箱を両手で大事そうに抱えながら、エレノアが現れた。
が、それを冷ややかな目で迎え撃つクロード。
「あの、よろしければこれ、王都で評判の焼き菓子ですの……」
「気持ちだけ受け取っておくよ。これから壇上の打ち合わせがあるんだ、集中したい時間だからね。君は観客席で邪魔にならないよう見守っていてくれるかい?」
「あ……はいっ! クロード様の素晴らしいご発表、楽しみにしておりますわ!」
エレノアは一瞬だけしゅん、としたものの、笑顔を振り絞って控えていた女生徒たちの元へと去っていった。
う~ん、相変わらずクロードのあしらい方、エレノアに対しては容赦ないな。
というかどうでもいいけど、俺に対しての"ついで"感があまりにもじゃない? 『一応』ってなんだよ『一応』って。
と、そこへ粗野な大声が耳に飛び込んできた。
「見ろコレット! 観客席が満員だぞ! ここで喋って教授どもに認められれば、学士号もらえるんだろ!?」
「バ、バルタザール様!いけませんっ!」
見れば、北方豪商の息子バルタザール・アイゼンヴァルドが、鼻息荒く壇上に駆け上がっていくところに、コレットが追いすがっている。
「……おいおい、正気かあいつら?」
「自由討論会は身分を問わない『無礼講』とされているけれど、あくまで"論理において出自を問わない"という意味であって、愚行を許容する免罪符ではないのだがね……」
隣でクロードが、凍りつくような冷ややかな微笑みを浮かべて呟く。うわぁ、目が笑ってない。怖ぁ。
そして、案の定というか、予想を遥かに超える惨劇が幕を開けたのであった。
「えー、諸君! 俺が提唱するのは『金さえあれば領地経営なんて誰でもできる論』だ! 複雑な税制なんぞ全廃して、一律でドカンと金を徴収すれば解決するんだよ!」
壇上で腕を組み、ドヤ顔で言い放つバルタザール。だが一瞬で、大講堂の空気が絶対零度まで凍りついた。
「……発言者、問いかける」
観客席の最前列に座っていた学生や、鋭い眼光をした教授陣が一斉に立ち上がった。
「君の言う『一律の徴収』とは、定額制か? 定率制か? 収穫変動リスクに対する補償メカニズムと、通貨流通速度の低下に伴うインフレ懸念はどう処理するつもりだ?」
「はっ……!?」
「さらに質問だ。基礎7科の『算術』および『論理学』の命題において、君の主張は前提条件の段階で循環論論理の破綻を起こしているが、どのような数理モデルで補強しているのかね?」
「あ、え、えーっと……! 金があれば、その、優秀な部下を雇えばよくて……!」
「部下を雇うコストと管理インセンティブの非対称性についてはどう説明する?」
「ひぎゃあああっ!?」
至極まっとうな突っ込みを浴びせられ、バルタザールとコレットは顔面を蒼白にしてガタガタと震え出した。
と、その時。
「なんだあの醜態はぁぁぁぁぁっっっ!!!」
雷鳴のような大声が、観客席の特別招待席エリアから響き渡った。そこに立ち上がったのは、ド派手な宝石をジャラジャラと身につけた巨体の大男だ。
「この大たわけがぁっ! 金を出して大学に入れてやればこのザマか! わしの面目を潰すにも程があるぞ! 今すぐ降りてこい、恥晒しめ!!」
「ひぃぃぃっ!? 父上ぇぇぇっ!?」
会場中に響き渡る雷のような怒号と、情けない悲鳴。バルタザールとコレットの二人は、豪商親父の手下の用心棒たちに首根っこを掴まれ、大講堂から引きずり出されていったのだった。
「……壮絶な自爆だったな」
嵐の去った壇上を呆然と見送りながら、俺はそっと深い溜息をついた。
「嘆かわしい。いくら金を積んだにせよ、最低限の知性も教養も持たない下衆を歴史ある学び舎へ引き込むとは……」
クロードが優雅に袖を整えながら、サファイアブルーの瞳を冷酷に光らせる。
「……なぁ、クロード。今の女の子見て、何か思わない?」
「何か、とは……? 金で資格を買うような愚か者の末路に、興味を抱けと?……それとも、彼女に何かあるのかい?」
やべっ、クロードに訝しまれた。
「あっ、いや、いやいや!やっぱなんでもない、気にしないで!!」
あぶね~。もしかしたら、俺の余計な一言にライナーが影響を受けたかもって考えに至ったばかりなのに。コレットの件で余計な事を言うのはやめよう。変に興味持たれたら厄介だしな。
「ふっ、おかしなルークだね。さて、見苦しいものを目にしてしまったが、そろそろ――」
大講堂の緊張感が再び最高潮に達する中、教官席の奥から、一人の青年が現れた。
その人物は、やわらかそうな亜麻色をなびかせ、たおやかなのにどこか危うさを感じさせる、美々しい姿をしていて――
そう、研究員就任をかけた、リュシアン先輩の出番である。




