↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/30

第9話 記録には、そう残っておりますが

 五日目の昼に、中継所へ着いた。


 西の街道の中ほどに建つ石積みの小屋だ。ギルドが置いていて、遠征隊はここで通過の記録を出す。人数と日数と、荷の残り。書いて出すだけの手続きで、ふつうは半刻もかからない。


 その半刻が、今日は終わらなかった。


 「――帯同者の欄が、埋まっておりませんね」


 声を聞いた瞬間に、手が止まった。


 窓口の向こうに、ダリウス・メルロー様が座っていた。


 驚きは思ったほど大きくなかった。胸が跳ねたのは半拍ぶんで、そのあとに来たのは鍋の火が強すぎるときと同じ感覚だった。何かを下ろさなければならない、という感覚だ。


 この一月、あの方のことを考えなかったわけではない。ただ考える時間が短かった。荷を数え、水を割り振り、器の返る順番を書いていると、一日が終わる。三年ぶんの相手のことは、その合間に少しずつ薄くなった。


 薄くなっていたことに、こうして顔を見るまで気づかなかった。


   ◇


 「ご無沙汰しております」


 わたくしは先に頭を下げた。下げないという選択もあったが、下げないほうが長引く。


 「セラ嬢。……いや、失礼。今はヴィンター殿とお呼びすべきか」


 「セラで構いません」


 「そうもいきません。ここは公の場ですので」


 ダリウス様は羽根ペンを置いて指を組んだ。三年間で何度も見た仕草だ。これから正しいことを言う、という合図。


 「わたしは先月、遠征査定官を拝命しました。帯同者の資格を検める役目です」


 「おめでとうございます」


 「祝われる筋のものではありません。規定です」


 規定です、という言い方も、変わっていなかった。


 「では、規定について伺います。わたくしの欄の、何が埋まっていないのでしょう」


 「炊事担当としての証明です。ギルドの認定を受けた者であれば認定番号を、そうでなければ、雇用主の推薦と実績の記録が要ります」


 「契約書はございます」


 「契約は雇用の証明であって、資格の証明ではありません」


   ◇


 その言い方は、いつもどおり正しかった。


 わたくしは荷から綴じ本を出して、窓口に置いた。


 「実績の記録でしたら、こちらに」


 ダリウス様が表紙を見た。表紙には何も書いていない。


 「これは」


 「北の遠征十四日ぶんの、配った量と残した量と返された順番です。西の遠征も五日ぶん書いてございます」


 「……日誌ですか」


 「帳面です」


 ダリウス様は綴じ本を開いた。開いてから、しばらく黙っていた。


 この方は数字を見ると黙る。三年間でそれだけは学んだ。屋敷の卓で家計の話になったとき、この方は必ず一度黙ってから間違いを一つ見つけて指摘した。そしてその指摘はいつも合っていた。


 周りはこの方が査定官になったのを家の力だと思うだろう。メルロー家は古く声も大きい。実際、屋敷でもそう囁かれていた。あの方がどんな役目に就いても、家が押し込んだのだと言われる。


 けれど、この方が黙って数字を追う姿を見たことがある人間は、たぶんわたくしだけだろう。


 あの方は数字を疑わない。数字が合っていれば、そこに書かれた人間の身分も評判も見ないし、合っていなければ相手が誰であっても撥ねる。それは長所であり、同時にこの方の弱いところでもあった。


 なぜなら、数字は誰かが書くものだからだ。


 書く人間が正しいとはかぎらない。そこだけが、この方の帳面には抜けている。


 「十日目の欄が、他と書き方が違いますね」


 顔を上げずに、ダリウス様が言った。


 「はい。その日は、器を下げませんでしたので」


 「なぜ」


 「下げない場合に何が起きるかを、確かめておりました」


 ダリウス様は綴じ本を閉じて、こちらへ滑らせた。


 「実績としては、認めません」


 「はい」


 「ただし、記録としては読めます」


   ◇


 そこへ、後ろから足音がした。足音がしないほうの人が、わざと音を立てて歩いてきたのだとわかった。


 「隊長のグレン・アーレンスだ」


 「存じております。S級の方は名簿の上のほうにおられますので」


 「炊事担当の推薦は、俺が出す」


 「雇用主の推薦は、身内の推薦です。規定では加点になりません」


 「では何が要る」


 ダリウス様は少し考えるふりをした。ふりだ。この方は考える前に答えが決まっている。


 「実地の査定を行います。帰路にもう一度ここを通られますね」


 「十日後だ」


 「では十日後に。同じ荷、同じ人数、同じ日数で七人ぶんの食事を組み立てて見せていただきます。組み立てられなければ、帯同者の欄は空のままです」


 「空のままだと、どうなる」


 「次の遠征から、この方は同行できません」


 火の気のない小屋の中が、少し静かになった。


 「わかりました」


 わたくしが言うと、ダリウス様が初めてこちらを正面から見た。


 「随分と、あっさりしていますね」


 「泣くとお思いでしたか」


 同じ言葉を二度使った。使ってから、少しだけ胸がすいた。


   ◇


 窓口を離れるとき、ダリウス様がもう一度だけ口を開いた。


 「セラ嬢。念のため申し上げますが、わたしはあなたを落とそうとしているのではありません」


 「存じております」


 「規定を適用しているだけです」


 「はい。規定は、誰にでも同じように当たりますので」


 わたくしは頭を下げた。下げながら、この方の言うことがまた正しい形をしているのを聞く。


 正しい形をしているものは、正しいとは限らない。この一月で、それだけは覚えた。


   ◇


 小屋を出ると、ニコさんが石段に座って待っていた。


 「なんか揉めてた?」


 「十日後に、試験を受けることになりました」


 「試験」


 「七人ぶんの食事を、その場で組み立てます」


 ニコさんが顔をしかめた。


 「それ、いつもやってることじゃん」


 「はい。いつもやっていることです」


 「じゃあ楽勝だ」


 そうだといい、と思った。


 いつもやっていることを、いつもどおりにやればいい。それで通らないなら、通らないほうが間違っている。


 ただ一つだけ、引っかかることがある。


 あの方は「同じ荷で」と言った。同じ荷というのは、十日後にわたくしたちの手元に残っている荷のことだ。


 わたくしの帳面には、十八日ぶんの割り振りが書いてある。十日後にどれだけ残る予定かもそこから出る。けれど、それはわたくしの帳面の中にしかない数字だ。ダリウス様は綴じ本を五日ぶんしか読んでいない。


 十日後の残量がいくつになるかを、あの方はまだ知らないはずだった。


 知らないのにそれを条件にした。条件にできるということは、残量が読めるということだ。読めるのは、こちらの帳面を見た者か――荷を積んだ者だけになる。


 わたくしは荷車を見上げた。いちばん上に載せた、口を縫い直した袋が、そこにある。


 縫い目は、まだほどけていない。

 ダリウスは悪い人物ですが、無能ではありません。この人が査定官になれたのは家の力ではなく、数字に正確だからです。セラだけがそれを知っていて、そのことは第14話で効いてきます。


 「泣くとお思いでしたか」を二度目に使わせたのは、第1話の彼女とはもう立っている場所が違うからです。


 次回、いちばん長い六日の区間に入ります。水場に着く前に、荷が軽くなります。


 【今日の遠征飯】中継所の湯を借りた粥/制約:他人の竈/ひとこと:借りた火は、返せません。だから丁寧に使います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。