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婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


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第8話 これだけは切らすな

 西の遠征は、十八日だった。


 北の十四日より四日長い。四日長いということは、七人ぶんで二十八食ぶん多く運ぶということだ。人は増えないのに荷だけが増える。


 わたくしは受け渡し所の床に麻袋を並べて、一つずつ検めた。


 豆が六袋、穀の粉が四袋。干し肉は三袋あって、塩が一袋。油は小壺で二つだった。


 棒と紐で釣り合いを見て、綴じ本に書き込む。表と合った。今度は一日ぶんも欠けていない。


 北の帰りに一日ぶん足りなかったことを、わたくしは受け渡し所で一度だけ言った。係の人は帳面を繰って、記録では合っている、と答えた。それきりだ。誰も悪くないことになると、話はそこで止まる。


 だから今度は、渡される前に検めることにした。


 検め終えて、欠けていないのを確かめて、それでも手が止まった。


 豆の袋の口を縫った糸が、新しい。


 他の袋は麻紐で縛ってあるだけだ。この一袋だけ、口を折り返して縫ってある。縫い目は細かくて、間隔が揃っている。荷役の人の手つきではない。刺繍を習った者の手つきに近かった。


 「セラさん、何してんの」


 ニコさんが荷車の陰から顔を出した。


 「縫い目を見ております」


 「……縫い目」


 「一度開けて、また閉じた袋です」


 ニコさんは袋をつまんで、裏返した。


 「中身は合ってるんでしょ」


 「合っております」


 「じゃあ、いいじゃん」


 「はい」


 いいはずだった。中身が合っているのだから、開けて閉じたこと自体は落ち度ではない。数え直したのかもしれないし、湿気を見たのかもしれない。


 それでも、六袋のうち一袋だけというのが引っかかる。


 わたくしは係の人に聞いてみた。西の遠征ぶんの補給は、どこから回ってくるのか。


 「うちの倉じゃないですよ。西向きは商会から直で入ります」


 「どちらの商会でしょう」


 「そこまでは。表に印がありますでしょう」


 補給表の署名欄には、麦の穂を丸で囲んだ朱印が押してある。父の帳面の背にあったものと、同じ形だ。


 わたくしはその袋を荷車のいちばん上に載せた。上に載せておけば、道中でもう一度開けられたときに気づく。


   ◇


 出発の朝、荷の割り振りを決めた。


 十八日ぶんの水は運べない。西の街道には水場が三つあると地図にある。三つの間隔は四日、六日、五日。いちばん長い六日を持ちこたえられる量を、常に確保しておかなければならない。


 「六日ぶんの水と、十八日ぶんの食糧。これを七人で割ります」


 「重いわね」


 リィズさんが荷を持ち上げて、すぐ下ろした。


 「重うございます。ですので、油を減らしました」


 「油を?」


 「油は熱を伝えるだけで、腹には残りません。減らしたぶんは豆で埋めます」


 「じゃあ味は」


 「落ちます」


 言い切ると、リィズさんが少し笑った。この人が笑ったのを見たのは初めてだった。


 「正直ね」


 「嘘をつくと、次の遠征で信じていただけません」


   ◇


 荷を括り終えたところで、ボルドさんがわたくしの荷を見て言った。


 「その壺は何だ」


 布に包んだ小さな壺が、いつも荷の底にある。


 「塩です」


 「塩なら袋にあるだろう」


 「別に持っております」


 ニコさんが横から覗き込んだ。


 「え、なんで二重に持ってるの。重くない?」


 「重うございます。ですが、これは減らしません」


 壺は掌に乗るほどの大きさで、蓋は蝋で留めてある。母が使っていたものだ。


 「母のものです」


 「あー、形見か」


 ニコさんが納得した顔をする。納得されると、少し違う気がした。


 母は死ぬ前に、これといった言葉を残していない。厨房の棚を指して、それだけは切らすな、とだけ言った。切らすなと言ったのは塩のことであって、壺のことではないのだ。


 思い出のために持っているのだと思われるのは、たぶん母の意に沿わない。あの人は、使えないものを棚に置くことを嫌っていた。


 けれど、そう説明するのも面倒だった。


 「はい。形見です」


 ボルドさんが、それ以上は聞かずに斧を担ぎ直した。この人はいつも、聞かないでいてくれる。


   ◇


 三日目までは、何事もなかった。


 道は平らで、水場は地図どおりの場所にあった。西の風は乾いていて、干し肉が傷まない。


 乾いた土地の献立は、湿った土地の献立とは組み方が違う。北では傷ませないことがいちばんの仕事だったが、西では戻すことがいちばんの仕事になる。乾物は水を吸って初めて食べ物になり、水は運ぶしかない。つまり西では、献立の半分が水の割り振りだった。


 わたくしは毎朝、綴じ本に三つの数字を書いた。残りの水、残りの日数、次の水場までの日数。この三つが揃っていれば、その日の献立はほとんど自動的に決まる。決まるところまで持っていければ、あとは手を動かすだけでいい。


 変わったことが一つだけある。


 夕餉のあと、あの人が自分で器を籠へ入れるようになったのだ。


 北の遠征の最後の夜からそうしている。置いていくのではなく、立ち上がって、こちらまで歩いてきて、籠へ入れる。それだけのことなのに、隊の空気は少し変わった。


 ニコさんはそれを見て、何も言わずに二杯目を取りに来る。以前は一度こちらの顔色を窺ってから来ていたので、その一拍がなくなった。


 リィズさんは、器を洗う手を止めなくなった。止めなくなったということは、驚かなくなったということだ。驚かれないというのは、この隊ではたぶん、悪くない位置にいるという意味になる。


   ◇


 四日目の夕方に、最初の水場へ着いた。


 湧き水が石の間から出ている。冷たい。わたくしは水筒を満たしながら、次の区間のことを考えていた。


 ここから次の水場まで六日。いちばん長い区間だ。


 「セラ」


 顔を上げると、その人が立っていた。


 「はい」


 「六日ぶん、足りるか」


 「足ります。ただ、洗い物の水は使えません」


 「どうする」


 「灰で拭きます。焚火の灰を布に取って、器を擦ると脂が落ちます」


 「それで足りるのか」


 「足ります。ただ、灰は毎晩出ますので、焚火を絶やさないでいただきたいのです。火を落とすと、翌朝の洗い物ができません」


 「火の番を増やす」


 「お願いいたします」


 その人は少しのあいだ黙った。


 「前の炊事番は、水で洗っていた」


 「はい」


 「途中で足りなくなった」


 わたくしは水筒の口を閉じた。閉じてから、その人の顔を見た。


 「何日目でしょうか」


 「……いや」


 その人は言いかけて、やめた。やめてから、水場のほうへ歩いていった。歩き方はいつもと同じで、足音がしない。


 わたくしは綴じ本を開いて、その日の欄に一行だけ書いた。


 ――水が足りなくなった遠征が、過去にある。


 書いてから、その一行をしばらく見ていた。


 書いても、まだわからない。ただ、わからないことの形が少しずつ細かくなってきている。

 北の十四日は「時間」との戦いでしたが、西への十八日は「量」で決まります。水場の間隔がそのまま献立を決める土地です。


 塩の壺については、セラ自身がまだ正しく説明していません。形見だと言ったほうが早かったからです。母が言ったのは、もう少し実用的なことでした。


 次回、遠征の途中で懐かしい顔に会います。懐かしくはありませんが、知っている顔です。


 【今日の遠征飯】油を減らして豆で埋めた粥/制約:六日ぶんの水/ひとこと:味は落ちます。落ちると先に申し上げておきます。

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