第7話 同じ鍋から
十四日目の夕方、街の灯りが見えるところまで下りてきた。門までは、あと半日。ここが最後の野営になる。
わたくしは荷を開いて、残りを全部出した。三日ぶんを四日に伸ばして、それでも少しだけ残っている。塩を強くした日が二日あったからだ。残りは、豆が少しと、干し肉の端と、穀の粉。
それを見ているうちに、わたくしは一つのことを決めた。
今夜は、余らせる。
◇
この十四日で、綴じ本には十四日ぶんの表が並んだ。器が返る順番と、その量を書いた。二杯目に来る人と来ない人も分けて書いた。それから、匙を取って置くまでの回数まで数えた。数えられるものは、思いつくかぎり数えたつもりだ。
その表を、わたくしは夕方のあいだじゅう見ていた。
ニコさんは言った。おれが食べてるときは見てる、待ってる感じだ、と。リィズさんは言った。四人の炊事番が、順番も時間も献立も全部試した、と。
試していないものが、一つだけある。
量だ。
誰も、余らせなかった。遠征の荷は一日ぶんずつ切ってあって、余らせるのは失敗を意味する。多く作れば翌日が減るし、翌日を減らせば最終日が消える。だから炊事番は、器がちょうど空になるように作る。四人の炊事番もそうしただろうし、わたくしもこの十四日、そうしてきた。
ちょうど空になるということは、最後の一人が食べたら、もう無いということだ。あの人が匙を置く場所は、いつも同じだった。全員が食べ終わったところ。
全員が食べ終わったところで鍋が空になるなら――あの人がそこから食べる分は、誰かが我慢した分だ。
わたくしは鍋の底を見た。あの人は、食べられないのではない。減っていないのを見てからでないと、手が動かないのだ。そして遠征では、減っていないことなど一度もない。
十四日ぶんの表の、最後の行に、わたくしは一文だけ書き足した。
――量を試す。
◇
夕餉は、いつもより多く作った。残りを全部入れた。四日目の朝のぶんも、明日の朝のぶんも入れた。明日は門まで半日で、街に着けば食堂がある。今夜使い切って構わない。
配ると、ニコさんが一杯目で目を丸くした。
「多くない?」
「多うございます」
「え、いいの」
「明日は街です。門を入れば食堂がございますし、荷を軽くして下りたほうが皆様も楽でしょう」
「じゃあ遠慮しない」
「なさらないでください。むしろ、多めに召し上がっていただきたいのです」
ニコさんは不思議そうな顔をした。塩を薄くした理由も、多く作った理由も、この人はいつも先に気づく。今日は気づかせないまま食べてもらいたかった。
ニコさんは二杯目まで一息だった。三杯目を注ぎに来て、鍋を覗いて、また目を丸くした。
「まだあるじゃん」
「ございます」
ミルカさんとハンスさんが二杯目を取りに来た。ボルドさんも来た。リィズさんは一杯で止めて、それでも鍋の中を見て、こちらを見た。わたくしは首を横に振らなかった。頷きもしなかった。
器が返ってきた。数えると、六つ。
鍋には、まだ二人ぶん残っている。
◇
その人は、いつもの岩の上にいた。膝の上に器がある。今日は匙を取ったまま、置いていない。
わたくしは鍋を持って、そこまで歩いた。持って行くには重い。両手で抱えて、足元を見ながら運んだ。運んでいるあいだ、誰も声をかけなかった。
岩の前に鍋を下ろす。蓋を取った。湯気が上がって、あの人の顔にかかった。
「グレン様」
「……なんだ」
「まだ、ございます」
その人は鍋を見た。見てから、わたくしを見た。目が合ったのは、たぶん十四日で初めてだった。
「二人ぶん残っております。わたくしがまだ頂いておりませんので、そのうちの一人ぶんはわたくしのものです」
わたくしは自分の器を出して、鍋からよそった。よそってから、岩の横に腰を下ろす。
「残りの一人ぶんは、どなたのものでもございません」
「……」
「明日は街に着きます。明日の朝の分も、もう要りません。ですから、この一人ぶんは余りです」
言いながら、自分の声が少し震えているのがわかった。十四日かけて数えたものを、こんな短い言葉に畳んでしまうのは惜しい気もした。それでも、長く説明すれば、それはこの人に何かを求めることになる。
「余っております」
その人の手が動いた。匙が、器の中へ入った。
わたくしは自分の器を持ち上げて、先に一口運んだ。運んでから、二口目も運ぶ。見ないようにするのではなく、ただ普通に、隣で食べた。
少し遅れて、隣で音がした。匙が器に当たる音だ。ずっと聞いていなかった音だった。この十四日、六人ぶんしか鳴らなかった音が、今夜は七人ぶん鳴っている。
わたくしは火のほうを見ていた。見ていながら、耳だけをそちらへ向けていた。
◇
それからしばらく、二人とも黙って食べた。わたくしの器が空になった。空になったところで、隣を見ないまま鍋を指した。
「まだございます」
「……ああ」
「お注ぎしましょうか」
「自分でやる」
その人は身を起こして、鍋からよそった。よそう手つきは丁寧だった。底を掬わずに、上のほうから取っている。底には具が沈んでいる。上から取れば、汁ばかりになる。
わたくしは何も言わなかった。言わずに、鍋を少しだけその人のほうへ寄せた。
二杯目が終わったとき、鍋は空になっていた。匙が、器の底に伏せて置かれた。
「セラ」
名を呼ばれたのは初めてだった。
「はい」
「足りていたのか。今日は」
「足りておりました」
「そうか」
その人は空の器を膝に置いたまま、しばらく火を見ていた。それから、火を見たまま言った。
「昔、足りなかったことがある」
わたくしは待った。火のはぜる音が二度した。木立の向こうで、街の灯りが細く光っている。半日先にあの灯りがあると思うと、この夜は妙に短く感じられた。
続きは来なかった。
「お聞きしても」
「今日はいい」
断り方が、いつもの「あとでいい」と同じ形をしていた。ただ、今日はそのあとに一言ついた。
「……いつか話す」
その人は立ち上がって、空の器をわたくしの籠へ入れた。自分で入れたのは、それが初めてだった。
「明日、門で補給を受け取る」
「はい」
「次の遠征は、四日後だ」
◇
翌日、門の脇の受け渡し所で、わたくしは補給表を受け取った。
次の遠征は北ではなく西へ向かうらしい。日数は十八日で、人数は七人のまま。米と豆と干し肉の量が、行ごとに書き込まれている。
わたくしは指で追って、数を確かめた。十八日ぶん、七人ぶん。合っている。
合っているのに、目が下へ落ちた。署名欄の横に、朱色の印が押してある。
麦の穂を、丸で囲んだ形だった。
父の帳面の背にあったものと、同じ形をしていた。
四人の炊事番が試したのは、順番と、時間と、献立でした。誰も量を試さなかったのは、遠征で余らせることが失敗だからです。セラがそれを試せたのは、彼女が料理人であると同時に、数える人だったからでした。
「昔、足りなかったことがある」の続きは、まだ先です。彼はまだ、それだけしか言えません。
次回、西へ十八日の遠征に出ます。今度は時間ではなく、量が足りなくなります。補給表の隅に押された印を、セラは屋敷で一度見ています。
【今日の遠征飯】残り全部の煮込み、二人ぶん多く/制約:最後の夜/ひとこと:余らせるのは失敗です。今夜だけは、それを買いました。
ブックマークと評価は、次の遠征の薪代に充てさせていただきます。湿った枝でも、割れば内側は乾いておりますので。




