↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/30

第5話 皿を下げるのは、いつもわたくし

 六日目の朝から、わたくしは綴じ本の後ろに表を作った。


 誰が、いつ器を返したか。それだけを書く表だ。


 料理をする人間にとって、返ってくる器は成績表に近い。空になる速さは味の話で、残る量は体調の話で、返す順番は序列の話になる。屋敷にいたころからそうしていた。


 六日目の夕餉では、こう並んだ。


 一番はニコさんで、三杯。二番がボルドさん。三番と四番は斥候のミルカさんと盾持ちのハンスさんで、この二人はいつも並んで食べて、並んで返してくる。五番がリィズさん、六番がわたくし。


 七番がいない。


   ◇


 七日目も、八日目も、同じだった。


 あの人は最後になる。最後になってから、器を持って立ち上がる。持っていくのではなく、置いて、それから立つ。


 わたくしは表の余白に、別のことを書き足しはじめた。


 その人が匙を取る回数。取って、置く回数。


 七日目は、取って置くまでが二度あった。八日目は三度。取ってはいるのだ。口に運ぶ手前で止めている。


 止める場所が、いつも同じだった。


 誰かがまだ食べているあいだは、取る。全員が食べ終わると、置く。


 逆だと思っていた。人前で食べられないのなら、皆が食べているうちは箸が進まず、人が減れば食べられるはずだ。


 あの人は、その逆をしていた。


   ◇


 八日目の昼、ニコさんが表を覗き込んできた。


 「なにこれ。数字ばっかり」


 「器が返ってくる順番です」


 「そんなの数えてどうすんの」


 「わかることがあります。たとえばミルカさんは、坂を登った日だけ二杯になります」


 ニコさんが目を丸くした。


 「ミルカ、そんなこと言ってた?」


 「言っておられません。数えると出ます」


 「……すげえな」


 ニコさんは表に指を這わせて、それから一つの行で止まった。空欄になっている行だ。


 「ここ、隊長?」


 「はい」


 「ここだけずっと空なんだ」


 「はい」


 ニコさんは表から指を離した。離してから、なんでもないことのように言った。


 「隊長さ、おれが食べてるときは見てるよ」


 「見て、とは」


 「見てるっていうか、待ってる感じ。おれが二杯目もらいに行くと、ちょっと安心した顔する。気のせいかもだけど」


 わたくしは綴じ本を開き直して、その一行を書き足した。


   ◇


 九日目の夕餉で、わたくしは器を配る順番を変えてみた。


 いつもは隊長へ最初に出す。それを、最後にした。


 結果は同じだった。皆が食べ終わったところで、あの人の器は膝の上で止まった。


 「無駄よ」


 リィズさんが、火の向こうから言った。


 「順番は、四人目の子も試したわ」


 「四人目、と申しますと」


 「あなたの前にいた炊事番。三月保ったから、いちばん長いわね」


 リィズさんは自分の器を洗いながら話している。こちらを見ていない。見ないで話すときのこの人は、少しだけ言葉が多い。


 「その子は温かいうちに食べさせようとしたの。だから隊長を先に呼んだ。次の子は、逆に一人にしてあげた。その次の子は、隣に座って一緒に食べようとした」


 「どなたも、駄目でしたか」


 「駄目だったから、辞めたのよ」


 器がぶつかる音が二度した。


 「あのね。あなたが今やってることは、みんなやったの。順番も、時間も、献立も。全部やって、全部だめだった。それでも辞めなかった子はいない」


 「はい」


 「はい、って」


 リィズさんが、そこで初めてこちらを向いた。


 「なぜ書き留めてるの」


 わたくしは綴じ本を閉じた。


 「わからないからです」


 「わからないことを書いても、わかるようにはならないわ」


 「なります」


 言い切ってから、少し驚いた。自分の声が思ったより低かった。


 「数えれば、揃わないものが見えます。揃わないところにだけ、理由があります」


 リィズさんは何も言わなかった。洗い終えた器を布で拭いて、わたくしの籠へ入れた。入れてから、一度だけ息を吐いた。


 「……好きになさい」


 その夜、薪を割っていたボルドさんの横に座った。斧の音は規則正しい。話しかけてよい合図がどこにあるのか、わたくしはまだ掴めていなかった。


 「ボルドさん」


 「うむ」


 「隊長は、遠征の外ではお食事を」


 斧が止まった。止まってから、また同じ調子で動きはじめた。


 「街でも同じだ」


 「では、ずっとですか」


 「三年ほどな」


 三年。わたくしが婚約していたのと、同じ長さだった。


 「何かが、あったのですね」


 ボルドさんは薪を一本立てて、真ん中で割った。割れた面が白い。


 「あんたが聞く相手は、俺じゃない」


 それきり、斧の音だけが続いた。わたくしも立たなかった。立たずに、割れた薪を積む係になった。


   ◇


 十日目の夜。


 わたくしは、器を下げなかった。


 あの人が石の上に器を置いて、見張りに立つ、と言って歩いていったあと、わたくしはその器をそのままにした。


 布をかけただけだ。虫と埃を防ぐためで、それ以上の意味はないふりをした。


 そして、寝床へ入った。


 鍋も匙も洗って、片づけて、明日の豆を水に浸けて、それから火を落とした。落としながら、石の上の白い布だけは見ないようにしていた。


 毛布に潜っても、目が冴えている。


 この十日で、わたくしは自分の献立が悪いのではないと知った。ニコさんは三杯食べるし、ボルドさんは硬くないと言い、リィズさんは数字が合っていると言った。ミルカさんもハンスさんも、残したことは一度もない。


 残っているのは一つだけだ。


 あの人の器が空にならない理由が、料理の側にない、ということ。


   ◇


 夜半に目が覚めた。


 冷えている。山の夜は、毛布を一枚多くしても足りない。わたくしは起き上がって、火の跡へ手をかざした。灰の下がまだ温かい。


 それから、石の上を見た。


 布は、かかったままだ。


 わたくしはそれをめくった。


 器は空だった。


 匙が、器の底に伏せて置かれている。伏せて置くのは、食べ終わったという印だ。屋敷の使用人たちがそうしていた。誰が教えたのでもなく、食べ終えた人は皆そうする。


 空の器を、両手で持った。


 冷たい。とうに冷めている。それでも、たしかに空だった。


 見張りの方角を見た。木立の影が濃くて、人の姿は見えない。あの人がいつ戻って、いつこれを食べて、いつまた出ていったのかは、わたくしには測れない。


 測れないけれど、一つだけ決まったことがある。


 この人は、食べられないのではない。


 わたくしが見ているところでは、食べられないのだ。


 器を胸の前で持ち直した。持ち直しながら、次の疑問がもう出てきていた。


 一人でなら食べられる人が、なぜ「一緒に食べること」を、わざわざ条件の一行目に書いたのだろう。


 しかも、あの三行のうち、その一行だけが本人の字だったという。


 わたくしは空の器を抱えたまま、木立の影をもう一度見た。影は動かない。答えの出ないものを抱えて眠るのは、これで十日目だった。

 セラの武器は包丁ではなく、たぶん綴じ本のほうです。彼女は毎日、誰が何番目に器を返したかを書いています。料理人が数える人でもあるというのは、この物語では最後まで効いてくる設定です。


 リィズが「四人目の子」の話をしたのは、いじわるではありません。この人は、辞めていった四人ぶんの理由を全部覚えています。


 次回、ニコがなぜ三杯食べるのかがわかります。数の話です。


 【今日の遠征飯】(記録のみ)/制約:十日目の冷え/ひとこと:伏せた匙は、食べ終わったという印です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。