第3話 食えないものを、食える形に
夜明けの二刻前に起きた。
昨日の夕方、街道でワイバーンを一頭落としている。若い個体だった。ボルドさんが斧で首を割って、リィズさんが鱗と牙を外した。取るのはそこまでだ。売れる部位だけ持って、残りは置いていく。
置いていかれた中に、尾がある。
わたくしは灯りを近づけて、その付け根を見た。皮の下に、親指の先ほどの膨らみが二つ並んでいる。毒腺だ。
尾が食えないと言われるのは、肉そのものに毒があるからではない。ここが潰れるからだ。切るときに刃が当たれば、毒は血にのって肉の隅々まで回る。だから誰も切らないし、切らないうちに、尾は食えないものになった。
食えないものと、食える形にしていないものは違う。母はそこを何度も言った。前者は諦める理由になるけれど、後者はただの手間の話でしかない。
包丁を研いだ。昨日のうちに研いである。それでも、もう一度研いだ。刃が滑らかであるほど、押す力が要らなくなる。押す力が要らなければ、腺は潰れない。
水を張った桶を二つ並べて、片方に灯りを寄せた。手元が見えないところで刃を入れるのは、腕ではなく運の話になる。
膨らみの外側へ、指の幅ぶん離して刃を当てた。押さずに引く。押せば潰れる。
刃は骨に当たるまで一息で下ろした。途中で止めると、止めたところから漏れる。母はそれを「迷いの汁」と呼んでいた。迷った手つきは、必ず味に出るのだと。
尾の付け根が、音もなく落ちた。
息を吐いてから、毒腺のついた側を火の届かない岩の上へ運ぶ。あとで埋める。埋めるところまでが仕事だ。獣が掘り返さない深さを、指の関節で測っておく。
残った尾を三つに分けて、血を抜いた。血の抜けない肉は、どれだけ煮ても獣の匂いが残る。抜き終えてから、南の実の汁に浸けた。
母が言っていた。硬いものは酸で締める。締めてから、時間で戻す。
あとは待つだけだ。待つ時間は、料理の中でいちばん長くて、いちばん人に見えない。
東の空が白みはじめたころ、鍋に火を入れた。
◇
「なにこれ」
最初に起きてきたのはニコさんだった。鼻を鳴らしている。
「なんか、いい匂いなんだけど」
「まだ半分です。あと一刻ほど」
「一刻」
ニコさんは焚火の横に座り込んだ。座り込んでから、動かなくなった。
二番目に起きてきたリィズさんは、鍋を見て、それから岩の上を見た。埋める前の毒腺が、まだそこにある。
「あなた」
「はい」
「あれ、尾でしょう」
「はい」
リィズさんはわたくしの前に立った。背は同じくらいだ。それなのに、見下ろされている感じがした。
「ここで一人でも腹を下したら、遠征は終わりよ。わかってる」
「わかっております」
「わかってないから作ったんでしょう」
言い返さなかった。この人の言うことは正しい。七人のうち一人が動けなくなれば、六人で運ぶ荷が増える。それは計算でわかる。
「毒腺は潰しておりません。これから埋めます」
「腺の話をしてるんじゃないの。誰も食べたことがないものの話をしてるの」
「はい」
「じゃあ、なぜ作ったの」
わたくしは鍋の蓋を取った。湯気が上がって、リィズさんの顔にかかった。
「捨てられていたからです」
リィズさんの眉が寄った。答えになっていないと思ったのだろう。わたくしにとっては、これが答えのすべてだった。
「あの尾は、昨日ここに置いていかれました。鱗と牙は売れるから運ばれて、尾は運ばれない。運ばない理由は、重いからでも遠いからでもありません。食えないと決まっているからです」
「決まってるのよ。実際に」
「決めたのは、試した人でしょうか」
リィズさんは答えなかった。
「わたくしは試しました。腺を潰さずに外せるかどうか、それだけです。潰れていれば、この鍋は埋めます。掘る場所はもう決めてあります」
「潰れていない、と言い切れるの」
「言い切れます。腺は二つとも、形のまま岩の上にございますので」
◇
鍋の中身を配ったのは、日が昇りきってからだった。
誰も器を取らなかった。
ニコさんは取りたそうにしている。けれど、リィズさんが立ったままなので手を出せない。ボルドさんは石の上に座って、こちらを見ていた。
沈黙は、思っていたより長く続いた。
わたくしは自分のぶんを先に食べようとした。毒見のつもりだった。それが筋だと思ったからだ。
器を持ち上げたところで、横から手が伸びた。
ボルドさんだった。
「先に食う」
「ですが」
「あんたが先に食ったら、これは毒見になる」
ボルドさんは器を受け取って、匙を入れた。
「毒見の飯は、うまくならん」
一口。
それから、二口目までが早かった。
「……ボルド」
リィズさんの声が硬い。ボルドさんは答えずに、三口目を食べた。四口目のあとで、ようやく口を開いた。
「硬くない」
それだけだった。
ニコさんが弾かれたように器を取った。取って、すぐに食べて、すぐに顔を上げた。
「なにこれ、肉じゃん」
「肉です」
「いや、そうじゃなくて、こんなの食ったことない。えっ、うまい。ねえリィズ、これうまいよ」
リィズさんは動かなかった。動かないまま、しばらくして器を取った。取ってから、匙を入れる前にこちらを見た。
「わたしは、認めるとは言っていないわ」
「はい」
「数字が合っているとは言った」
そう言って、リィズさんは食べた。
二口目まで、間が空かなかった。
わたくしは岩の上へ行って、毒腺を布に包んだ。包んでから、決めておいた場所を掘る。関節二つぶんの深さまで掘って、埋めて、上に石を載せた。
「それも仕事なの」
背中でリィズさんの声がした。
「はい。ここまでで、ひと品です」
器が返ってきた。数えた。
六つだった。
その人は、少し離れた岩の上に座っている。膝の上に器があって、匙は器の縁に置かれたままだ。
湯気は、もう上がっていなかった。
わたくしは近づいた。近づいて、そこで足を止めた。器の中身は、ひと匙ぶんだけ減っている。
減っていた。昨日は減っていなかった。
「グレン様」
「……ああ」
「お口には」
「合う」
それだけ言って、その人は器を石の上に置いた。置いてから立ち上がった。
「見張りに立つ」
「今日は、まだ日が高うございます」
「ああ」
その人は行ってしまった。
わたくしは石の上の器を見た。ひと匙ぶんだけ減った器を、しばらく見ていた。
合う、と言った。
合うのに、置いていった。
器を下げて、鍋の横へ運ぶ。運びながら、昨日と今日で何が違ったのかを数えていた。昨日は減っていなくて、今日はひと匙ぶん。増えたのはたしかだが、増え方が小さすぎる。
口に合わないなら、ひと匙も減らないはずだ。合うのなら、ひと匙で止まる理由がない。
減らないのではなく、減らせないのだと思った。
けれどわたくしはまだ、その違いをうまく言葉にできていなかった。
「毒見の飯は、うまくならん」というボルドの一言だけは、書く前から決まっていました。この隊で最初にセラの側へ回るのは、いちばん口数の少ない人であってほしかったからです。
ワイバーンの尾は本当に食べられません。潰さずに外せば、という条件がつくだけです。誰も試さなかったのは、試す理由がなかったからでした。
次回、隊は山道へ入ります。日暮れまでに火を入れられる時間が、半分になります。
【今日の遠征飯】ワイバーンの尾の酸締め煮/制約:夜明け前の二刻と、毒腺二つ/ひとこと:捨てられていたので、拾いました。




