第2話 荷物として、数えられる
契約書は、思っていたよりずっと短かった。
冒険者ギルドの奥の部屋で、わたくしは羊皮紙を二枚渡された。一枚目には、報酬と日数と、帯同する隊の名が書いてある。二枚目には条件が三行だけ並んでいた。
一、契約の期間は一年とする。
二、その間、雇用主とセラ・ヴィンターは婚姻の形式を取る。
三、雇用主と、毎食を共にすること。
二行目で、手が止まった。
「婚姻、と書いてありますが」
「遠征に女を一人だけ帯同させるには、それがいちばん面倒がないんですよ」
職員は羽根ペンの先を紙に向けたまま、こちらを見なかった。
「ギルドの規定です。恨むならわたしではなく、規定を作った偉い人を恨んでください」
「恨むほどのことでもありません」
三年かけて婚約を続けた相手には、家庭的ではないと言われた。三行で結ばれる婚姻のほうが、いくらか正直な気がする。少なくともこちらには、何を求められているかが書いてあった。
「一つ、伺っても」
「どうぞ」
「三行目は、どちらが望んだ条件でしょう」
職員の羽根ペンが、そこで初めて止まった。
「……ご本人です。書き足したのも、ご本人の字でした」
わたくしは羽根ペンを取って、自分の名を書いた。
◇
「灰の牙」の面々と会ったのは、その三日後だった。
街の東門の外に、荷馬車が二台。積み荷の上に腰かけた大男が一人、地面に膝をついて荷紐を締め直している女が一人。あとは立って待っている。
全部で六人。わたくしを入れて、七人になる。
「聞いてはいたけどね」
最初に口を開いたのは、荷紐の女だった。四十に近いだろうか。声が低くて、よく通る。
「治癒のリィズ・マーロウよ。先に言っておくわ。荷は減らすものよ。増やすものじゃない」
「セラ・ヴィンターと申します」
「知ってる。子爵家のお嬢さんでしょう」
リィズさんは荷紐を締め終えて、立ち上がった。それからわたくしの足元を見た。靴を見ている。
「三日目で豆ができるわ。五日目で歩けなくなる。そのときは荷馬車に乗せるけど、そのぶん誰かの荷が地面に降りるの」
「では、豆を作らないようにいたします」
「そういう話じゃないのよ」
誰も笑わなかった。積み荷の上の大男が、鼻から息を抜いただけだった。
「ボルド・ケインだ」
名乗ったのはそれだけで、あとは何も言わない。歳はリィズさんよりさらに上に見えた。腰に短い斧を二本提げていて、片方の柄が新しい。
「隊長は」
「先に道を見に出てる。じきに戻るわ」
戻ってきたその人は、思っていたより静かに歩く男だった。背は高い。けれど足音がしない。膝から下に力を入れない歩き方をしている。
「グレン・アーレンスだ」
「セラ・ヴィンターと申します」
「契約は読んだか」
「三行とも」
その人は少しのあいだ黙った。それから、わたくしの荷を見た。顔ではなく、荷を。
「重い」
「はい」
「減らせるものがあれば、減らせ」
「砥石は残します」
返事はなかった。ただ、行くぞ、とだけ言って先頭へ歩いていった。
わたくしの荷は、鍋が二つと、包丁と、砥石と、塩壺と、乾物の綴じ本。それに、七人ぶんの三日ぶんの食糧。
肩に掛けたところで、思っていた倍の重さが来た。
鍋は嵩ばかりで軽い。実際に軽いのだ。重いのは水だった。遠征では水を運ぶ。運ぶ量は人数と日数で決まっていて、それは誰の裁量でもない。
三歩で、右肩が下がった。
誰も手を貸さなかった。貸さないのが当然という顔をしている。荷は自分で持つものだからだ。ここでは、それが礼儀に近いのだろう。
「半分持つ」
声がしたのは、四歩目のときだった。
振り向くと、いちばん背の低い少年が立っている。十七か、それより下かもしれない。弓を背負っていて、髪が跳ねていた。
「ニコ・ハーラン。弓」
「ですが、あなたにも荷が」
「重そうだったから。それだけ」
ニコさんはわたくしの返事を待たずに、袋の紐を掴んだ。掴んでから、少し驚いた顔をする。
「これ、水だ」
「はい」
「みんな最初に鍋を持ちたがるんだよ。鍋のほうが料理っぽいから」
そう言って、ニコさんは水の袋を担いだ。担ぎ方が上手い。腰の上に載せて、背中で受けている。荷を運び慣れた者の担ぎ方だった。
その日の野営は、街道から半刻ほど外れた窪地だった。
風が抜けない場所を選ぶ。煙が溜まるのは難点だが、火が消えないほうが大事だ。ボルドさんが黙って石を三つ並べてくれたので、その上に鍋を据えた。
干し肉と、豆と、乾かした根菜。初日は無難にやるべきだと思った。誰の口にも合わないものを、初日に出す理由がない。
火加減だけは、譲らなかった。豆は強火で煮ると皮が割れて、割れると汁を吸わなくなる。吸わない豆は、腹に溜まっても力にならない。
配ると、皆が食べた。
ニコさんが最初に空にした。空にしてから、こちらへ器を差し出してくる。
「もう一杯ある?」
「ございます」
二杯目も、すぐに空になった。三杯目のとき、リィズさんが横から言った。
「その子、いつもそうだから。気にしないで」
「一日ぶんの量は決めております。三杯までなら、明日に響きません」
リィズさんの手が止まった。
「……計算してるの」
「はい。七人で、三日ぶんです」
それだけだった。リィズさんは何も言わずに自分の器へ戻る。けれど、たしかに手は止まったのだ。
やがて器が返ってきた。数えると、六つあった。
六つだ。七人いる。
隊長は、火から少し離れたところに座っていた。膝の上に器が置いてある。中身は減っていない。減っていないまま、湯気だけが消えていた。
グレン・アーレンス。挨拶のときに名前だけ聞いた。それ以外は、まだ何も知らない。
わたくしが近づくと、その人は器を持って立ち上がった。
「見張りに立つ」
「お口に合いませんでしたか」
「……いや。あとでいい」
器はそのまま、火のそばの石の上に置かれた。中身が入ったままだ。
誰も何も言わない。ニコさんも、リィズさんも、こちらを見なかった。見ないようにしているのがわかる程度には、皆がこれに慣れていた。
わたくしは石の上の器を下げた。手のひらに、まだ少し温かさが残っている。
◇
「明日の献立は」
寝る前に、リィズさんが聞いた。義務のような聞き方だった。
「ワイバーンの尾を、と考えております」
火のはぜる音が、ひとつ落ちた。
ボルドさんが初めてこちらを向いた。ニコさんは口を開けたまま止まっている。
「あれは食えないわよ」
リィズさんが言った。
「毒があるの。誰でも知ってる」
「はい。存じております」
わたくしは砥石を布に包んで、荷の底に入れた。
「ですから、明日は早く起きます」
「荷は減らすものよ」というリィズの一言は、この隊の価値観そのものです。七人が七人ぶんだけ生きて帰るために、彼らは長いあいだ足し算ではなく引き算をしてきました。そこへ、足し算しかできない人間が一人入ります。
次回、セラは夜明け前に起きます。ワイバーンの尾には、たしかに毒があります。ないとは誰も言っていません。
【今日の遠征飯】干し肉と豆と根菜の煮込み/制約:初日/ひとこと:無難は悪い判断ではありません。一度だけなら。




