第24話 運べないものを、配る
翌朝、天幕の前で全員が輪になった。
わたくしも輪に入った。リィズさんが手首を取って脈を見て、一晩寝たなら歩ける、ただし荷は半分だ、と言った。半分に減らした荷は、ボルドさんが黙って担いだ。
依頼は峠の街道の魔物駆除だ。残りは六日ほど。放り出せば違約になるし、街道が塞がったままだと荷も通らない。
「戻るか、続けるか」
グレン様が言った。
「戻っても、俺たちに穀物は買えん」
ボルドさんが先に答えた。
「三倍だ。七人ぶんを買うのが精一杯だろう」
「峠の向こうの村なら安いわ」
リィズさんが地図を広げた。
「二日で着くわね。買って戻れば四日」
◇
わたくしは地図の上の距離を測った。
「荷馬車二台で、運べるのは百人ぶんの十日ほどです」
「百人か」
「はい。王都は十万を超えます」
誰も何も言わなかった。
「一度運んで、また買いに戻れば、二十日で二百人ぶんです。そのあいだ商会が値を上げなければ、の話ですが」
「上げるな」
ボルドさんが言った。
「上げます。こちらが運べば運ぶほど、あちらは値を上げます。運べる量には限りがあって、あちらの倉には限りがありませんので」
◇
わたくしは膝の上で綴じ本を開いた。最初の頁から順にめくると、八十日ぶんの数字が並んでいる。北の十四日、西の十八日、湿地の十二日、そしてこの峠。
毎日、三つの数字を書いてきた。残りの量と、残りの日数と、次に足せる場所までの距離。この三つで足りない日は、四つ目を探す。掘れるもの、拾えるもの、捨ててあるもの。
この三月ほど、わたくしがやってきたのは、結局のところ全部「運ぶ量を減らす」ことだった。豆を朝から水に浸けたのは、夜に沸かす水を減らすためだ。毛布で煮たのは薪を減らすため。灰で洗ったのは水を減らすため。草の根を掘ったのは、荷の外から食べ物を足すためだった。
運べる量には限りがある。だから、運ばずに済む方法を増やしてきた。ヴァルガンさんは運ぶ道を全部押さえている。押さえていない場所は一つだけだ。
「運ぶのでは、勝てません」
わたくしは顔を上げた。
「配ります」
◇
「配るって、何を」
ニコさんが首を傾げた。
「作り方です」
「作り方」
「草の根の灰汁の抜き方。毛布で煮る方法。白樺の皮で火をつけること。灰で器を洗うこと。どれも、買わずにできます」
リィズさんが眉を寄せた。
「それ、飢えの足しになるの」
「なります。ただし、全部ではありません」
わたくしは指を折った。
「王都の周りに、草の根はいくらでも生えております。誰も食べないので、誰も採りません。あれを食べられるようにすると、麦を買う量が二割ほど減ります」
「二割」
「二割です。三倍の値でも、二割減れば払える方が増えます」
「たった二割か」
ボルドさんが言った。
「たった二割です」
わたくしは頷いた。
「ですが、二割ぶん買わなくなると、商会の側では売れ残ります。売れ残ると、値を下げるしかございません。下げれば、また買える方が増えます」
「下げなかったら」
「下げなければ、倉で腐ります。穀物は生きているものですので、置いておくと目減りします」
わたくしは綴じ本を閉じた。
「あの方は、飢えを売っておられます。飢えなければ、商品ではなくなります」
言いながら、井戸の縁で聞いた声を思い出していた。腹が減れば、値は上がる。それだけのことです。
あの方は本当のことしか言わなかった。本当のことを並べて、こちらに選ばせる形にして、どれも選べないようにしておく。選べる道を一本増やせば、その形は崩れる。増やすのは、大きな道でなくていい。二割ぶんの細い道で足りる。
◇
その人は、しばらく黙っていた。
「一つ聞く」
「はい」
「それは、何日かかる」
「わかりません」
わたくしは正直に言った。
「灰汁の抜き方は、一度見れば覚えられます。ですが、見せる相手が十万人おります」
「間に合わんな」
「間に合いません。ですから、全部を助けようとはいたしません」
顔を上げた。
「いちばん先に倒れる方から順に、届けます」
◇
「順に、とは」
リィズさんが聞いた。
「三年前の峠と同じです。均等に配ると、いちばん重い荷を担ぐ方から倒れます」
その言葉を言ったとき、リィズさんの手が止まった。
「王都でいちばん重い荷を担いでいるのは、日雇いの方々と、子どもの多い家です。まずそちらへ持って行きます」
「どうやって探すの」
「配給の記録がございます。ギルドではなく、市の救貧の帳面です。あれには誰が何人家族かが書いてあります」
「読めるの」
「読める者がおります」
わたくしはニコさんを見た。
救貧の帳面は、市の役所が持っている。年に二度、家ごとの人数と収入を書き取って綴じるものだ。屋敷にいたころ、父が寄付の名簿で似たものを見せられていた。あれは配るための帳面ではない。取りこぼしを数えるための帳面だ。数えて、置いてある。置いてあるものは、誰かが使うまでただの紙でしかない。
◇
ニコさんが目を丸くした。
「おれ?」
「配給表を読んで育ったと仰いました」
「読めるけど、あれ孤児院のやつだよ」
「同じ形です。市が作らせておりますので」
ニコさんはしばらく黙って、それから立ち上がった。
「……おれ、あの表きらいなんだけど」
「はい」
「足りない日が先にわかるから。わかっても、どうにもできないし」
その人は弓を担ぎ直した。
「でも今回は、わかったら動けるんだよね」
「動けます」
「じゃあ、いい」
「依頼はどうする」
ボルドさんが聞いた。グレン様は地図を見ていた。
「六日で終わらせる」
「六日? 十日はかかるぞ」
「四人で夜も動く。ミルカとハンスと、ボルドと俺だ」
「無茶ね」
リィズさんが言った。
「無茶だ。だが、依頼を落とすとギルドの信用が落ちる。信用が落ちた隊の言うことは、誰も聞かん」
その人はわたくしを見た。
「聞かせたい相手が、十万人いるんだろう」
わたくしは頷いた。
信用というものを、これまで数えたことがなかった。数えられないものは扱えないと思ってきたし、いまも思っている。ただ、この人が六日と言えば、たぶん六日で終わる。それは数字ではなく、八十日ぶんの器の減り方から知っていることだった。
◇
わたくしは荷を組み直しはじめた。六日ぶんの食事を、四人が夜も動く前提で組み直す。夜に動く人間は、昼だけの人間の一・五倍を食べる。
数えながら、少しだけ手が震えた。寒さのせいではない。
この八十日、わたくしは七人ぶんを数えてきた。七人ぶんなら、間違えても取り返しがつく。誰かに一杯多く渡してしまっても、翌日に戻せばいい。これから数えるのは、それより桁が二つ多い。間違えれば、戻せない。戻せないところで数を扱うのは、初めてだった。
「セラ」
顔を上げると、その人が立っていた。
「七人ぶんを数えられる人間は、七百人ぶんも数えられる」
「根拠がございません」
「無いな」
その人は荷を担ぎ上げた。
「だが、俺は八十日ぶん見ている」
セラがこの三月やってきたのは、全部「運ぶ量を減らす」ことでした。豆を歩きながら戻すのも、毛布で煮るのも、灰で洗うのも、荷を軽くするためです。運ぶ道を押さえている相手には、運んで勝つことができません。
ニコが「あの表きらいなんだけど」と言ってから引き受けるところが、この回でいちばん書きたかった場面でした。
次回、四人が峠へ入ります。三人は王都へ戻ります。
【今日の遠征飯】夜通し動く四人ぶんの組み直し/制約:一・五倍/ひとこと:運べる量には限りがあります。作り方には、ありません。




