↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/30

第23話 食べろ

 二十日後の朝、受け渡し所には人が多かった。


 ダリウス様が付けた条件のせいだ。帯同者は補給の受領に立ち会い、数量と封の状態を記録する。灰の牙が初めてそれをやるというので、ギルドの職員が三人も見に来ていた。


 わたくしは麻袋を一つずつ卓に下ろした。


 「豆、六袋。封は麻紐。ほどけた跡なし」


 書記の方が書き取る。


 「穀の粉、四袋。封は麻紐。四袋目の紐に結び直しの跡あり」


 「……直しますか」


 「直しません。記録に残してください」


   ◇


 十六袋を検め終えたところで、入口に人影が立った。ヴェラ・キーンさんだった。


 銀の茶器は持っていない。手ぶらで、袖の折り返しに小さな汚れがついている。


 「見学に来たのよ」


 「どうぞ」


 「あなた、本当に全部数えるのね」


 「数えます。数えると出ますので」


 その方は卓の脇に立って、記録を覗き込んだ。


 「四袋目、結び直しの跡」


 「はい」


 「……中身は」


 「合っております。ですから、そのまま持って参ります」


 ヴェラさんは、しばらく黙っていた。


 「合っているなら、書かなくてもいいでしょう」


 「書きます」


 「なぜ」


 「次に合わなかったとき、比べるものが要ります」


 その方は記録の紙を見た。日付と、袋の数と、封の状態が並んでいる。それだけの紙だ。


 「これ、毎回やるの」


 「毎回やります」


 「面倒でしょう」


 「面倒です」


 わたくしは次の袋を下ろした。


 「ですが、面倒なものは真似されにくうございます。真似されにくいものは、こちらの側に残ります」


   ◇


 全部を検め終えて、記録に署名した。署名欄の下に、受け渡し側の欄がある。ギルドの職員の方が羽根ペンを取ろうとした。


 「わたくしが書くわ」


 ヴェラさんが、そう言った。職員の方が戸惑った顔をした。


 「ヴェラさんは金の穂の方でしょう」


 「立会人よ。第三者の署名も要るはずでしょう」


 「……たしかに、規定にはございますが」


 ヴェラさんは羽根ペンを取って、名前を書いた。角の払いが揃っていて、線の太さが変わらない。あの帳面の最後の行と、同じ字だった。


 書き終えて、その方はペンを置いた。


 「これでいいでしょう」


 「ありがとうございます」


 「勘違いしないで」


 ヴェラさんは袖を直した。


 「あなたのためじゃないの。わたくしが書いた紙が、二枚とも同じ日付で残るようにしただけ」


 「二枚、と申しますと」


 「補給点で書くほうと、ここで書くほう」


 その方は入口のほうを向いた。


 「同じ日に、離れた場所で書けるわけがないでしょう。次に誰かが受領を書き足したら、その日わたくしがどこにいたかで嘘が出るわ」


 「……ご自分を、証拠になさるのですね」


 「ほかに持っているものがないもの」


 その方は歩きだして、扉のところで止まった。


 「匙、返したわ」


 「道具を、ですか」


 「全部よ。茶器も、鍋も」


 「お仕事は」


 「金の穂は辞めた。今日から自分の道具を買うところからね」


 振り向かないまま、その方は言った。


 「三十六で下働きからやり直すの。笑うなら笑って」


 「笑いません」


 わたくしは頭を下げた。


 「五年ぶんの腕は、道具に付いておりません」


 扉が閉まる音がした。


   ◇


 北の峠へ入ったのは、出発から六日目だった。三年前、十一人が越えた道だ。地図では細い線が一本引いてあるだけで、実際には岩と雪の斜面が続いている。


 わたくしはこの遠征に、いつもの倍の準備をしてきた。練り物を三十枚焼き、白樺の皮を買い足し、水を五日ぶん積んだ。三年前の隊は、この道で補給を絶たれた。同じことが起きるとは限らない。限らないが、起きた場合の献立を立てておくのが母のやり方だった。


 立てておくと、荷が増える。増えた荷は自分で担ぐことにした。隊の誰かに担がせれば、その人の力がそのぶん減る。


 二十日ぶんの荷に、備えのぶんが乗った。峠の斜面は雪が残っていて、足が沈む。沈むたびに、腿から力が抜けた。三日目から、豆ができた。リィズさんが最初に言ったとおりの場所に、言ったとおりの日数でできた。


 六日目の夕方に、目の前が白くなった。


   ◇


 気がつくと、毛布の上にいた。


 「起きた」


 リィズさんの声がした。


 「……申し訳ございません」


 「謝らなくていいわ。荷を持ちすぎたのよ」


 起き上がろうとして、手をつかまれた。


 「動かないで。今日はもう終わり」


 「夕餉が」


 「作らせないわ」


 わたくしは天幕の外を見た。火が焚かれている。誰かが薪を割る音がする。その音が、いつもと違った。


   ◇


 天幕の入口が開いて、その人が入ってきた。器を持っている。


 「グレン様」


 「作った」


 「……どなたが」


 「俺だ」


 器の中を見た。湯に練り物を割り入れて、塩を振っただけのものだ。練り物は焦げていて、湯は多すぎる。


 「うまくない」


 その人が先に言った。


 「見ればわかる。だが、腹には入る」


 「はい」


 「食べろ」


   ◇


 その三文字を、わたくしはしばらく聞いていた。


 この人は、八十日のあいだ一度も、誰かに食べろと言わなかった。思い返してみても、一度もない。ニコさんが三杯目を取りに行くときも黙って見ていたし、リィズさんが一杯で止めても何も言わなかった。坑道から出てきたハンスさんに、休めとは言っても食えとは言わない。


 言えなかったのだと思う。誰かに食べろと言うのは、その分が余っていると保証することだから。保証できない人間は、言えない。三年前の峠で、この人はそれを一度、言えなかった。言えないまま、最後の食料を渡された。


 わたくしは器の縁を持った。焦げの匂いがする。


 「グレン様のぶんは」


 「ある」


 「本当に」


 「二人ぶん作った」


 その人は自分の器を持ち上げて見せた。中身が入っている。


 「余っている」


 わたくしは匙を取った。


 塩が強い。強すぎる。練り物が焦げているので、苦みが混じっている。おいしくはなかった。おいしくはなかったが、八十日でいちばん温かかった。


 「……塩を、入れすぎておられます」


 「そうか」


 「次からは、指の先ほどで足ります」


 「覚える」


 その人はわたくしの隣に座って、自分の器に匙を入れた。入れて、口へ運んだ。誰にも待たずに、こちらが食べ終わるのも待たずに。


 わたくしは、それを見ていた。見ていることを、その人は気にしなかった。


   ◇


 器が二つとも空になったころ、外で足音がした。ボルドさんが天幕の入口に立っていた。


 「隊長。王都から早馬だ」


 「なんだ」


 ボルドさんは紙を差し出した。差し出す手が、いつもより硬い。


 「ロッシュ商会が、王都の穀物を止めた。市場の値が三倍だそうだ」


 その人が立ち上がった。


 「三倍」


 「明日には四倍だと。街の食堂が半分閉まってる」


 わたくしは毛布から出た。出ようとして、リィズさんに押さえられた。押さえられたまま、頭の中で数えていた。


 王都の人口は十万を超える。三倍の値を払えない人が、どれだけいるのか。

 ヴェラは改心しません。「あなたのためじゃないの」と言い、自分を証拠にすることを選びます。ほかに持っているものがないから、というのがこの人の理由です。三十六で下働きからやり直すことにしたのも、たぶん誰のためでもありません。


 グレンが「食べろ」と言うまでに八十日かかりました。誰かに食べろと言うのは、その分が余っていると保証することです。三年前、この人はそれを言えませんでした。


 次回から、相手が変わります。飢えを商品にする人です。


 【今日の遠征飯】焦げた練り物の湯かけ、塩多め(作:グレン・アーレンス)/制約:作った人が初めて/ひとこと:おいしくはありませんでした。八十日でいちばん温かかったのですが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。