↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/30

第20話 言いかけて、やめる

 坑道の魔物を退けるのに、四日かかった。


 わたくしは坑道へは入らない。入口の外に竈を作って、出てくる人たちを迎える係だ。


 戦って帰ってくる人間は、腹が減っているのではない。空っぽになっている。空っぽの人に重いものを出すと、受けつけない。


 だから最初の一杯は薄くする。薄いものを飲ませて、体が動きはじめてから濃くする。


 二日目の夕方、ハンスさんが最初の一杯を飲み干して、二杯目を求めた。


 「早いですね」


 「今日は浅かった」


 三日目は、二杯目まで一刻かかった。四日目は二刻かかった。


 わたくしは綴じ本にその時間を書いた。深く入った日ほど、二杯目までが遅い。


 この時間は、たぶん疲れの深さそのものだ。本人に聞いても「平気だ」としか返ってこない。冒険者というのはそういう人たちで、痛みや疲れを申告する習慣がない。


 だから器で測る。


 二杯目までが二刻を超えたら、翌日は坑道へ入れないほうがいい。そう思ったので、四日目の夜にリィズさんへ数字を見せた。


 「これ、なに」


 「二杯目までの時間です」


 リィズさんは表を追って、それから小さく息を吐いた。


 「……ハンスとボルドが遅いわね」


 「はい。お二人がいちばん重い荷を担いでおられます」


 「明日、坑道が通らなかったら止めるわ。わたしから隊長に言う」


 治癒師のこの人は、脈を取り、顔色を見る。わたくしは器を数える。測っているものは違うのに、同じ二人が浮かんできた。


   ◇


 四日目の夜に、坑道が通った。


 集落の人たちが酒を出してくれた。ボルドさんとハンスさんが受け取って、ミルカさんは断り、リィズさんは一口だけ飲んだ。


 ニコさんは酒より肉を選んだ。


 「セラさん、これ焼いていい?」


 「焼いてください。わたくしは今日は休みます」


 「え、いいの」


 「集落の方が作ってくださいます。わたくしが横から口を出すものではありません」


 言いながら、少し落ち着かなかった。


 五十日あまり、毎日七人ぶんを作ってきた。作らない夜がどういうものか、思い出せなくなっている。


   ◇


 わたくしは輪から離れて、竈の片づけをしていた。


 灰を集めて、袋に入れる。鍋の底を擦る。砥石を出して、包丁を研ぐ。明日から帰路なので、研いでおいたほうがいい。


 背中で足音がした。足音のしない人が、わざと音を立てて近づいてくる音だ。


 「食っていないのか」


 「あとで頂きます」


 言ってから、自分でおかしくなった。


 「……お互いさまでございますね」


 その人は、少し黙った。それから、笑ったような息を出した。この人が笑ったのを聞いたのは、初めてだった。


   ◇


 その人は竈の縁に腰を下ろした。


 「今日はいい夜だ」


 「はい」


 「みんな、食っている」


 「はい」


 「……こういう夜が、三年前にもあった」


 わたくしは砥石を動かす手を止めなかった。止めると、この人は続けない気がした。


 「峠を越える前の晩だ。村で酒を出してもらった。十一人いた」


 刃が砥石を擦る音だけが続いた。


 「あのとき俺は、荷を見なかった」


 「はい」


 「宴の翌朝に出た。荷は積んであったし、数は聞いていた。聞いた数を、そのまま信じた」


 「聞いた数が、違っていたのですね」


 「わからん」


 その人は膝の上で手を組んだ。


 「いまでもわからん。誰かが減らしたのか、最初から足りなかったのか、俺が聞き違えたのか」


 「帳面は、残っておりませんか」


 「無い。あのとき持っていた紙は全部、峠で捨てた。荷を軽くするのに」


 紙は軽い。軽いものから捨てるのではなく、要らないものから捨てる。要らないと判断されたのが紙だった。


 わたくしなら捨てなかった、とは言わなかった。言えば、この人を責めることになる。


 それに、たぶんわたくしも捨てた。十一人で六日ぶんを十日に伸ばす道の途中で、紙を抱えて歩ける人間がどれだけいるだろう。


   ◇


 わたくしは包丁を布で拭いた。


 「わからないままで、三年」


 「ああ」


 「お辛かったでしょう」


 「辛いのとは違う」


 その人は首を振った。


 「わからんから、決められない。誰を責めればいいのか決められない。決められないから、置いておくしかない」


 置いておくしかない。


 わたくしは、父の帳面のことを思った。あの夜、わたくしも聞かずに置いた。聞かなかったから、三年前の父が何を選ばされたのかを、この六十日まで知らずにいた。


 「グレン様」


 「なんだ」


 「わたくしは、置いておくのが下手です」


 「知っている」


 「ですので、毎日書きます。書いておけば、あとで数えられますので」


 その人はしばらく黙っていた。


 「……あのとき、お前がいれば」


 言葉が、そこで止まった。


   ◇


 止まった先を、わたくしは待った。


 あのとき、お前がいれば。


 その続きは、何通りもある。四人は倒れなかったかもしれないし、二人は戻ったかもしれない。あるいは、最後の食料を一人で食べずに済んだかもしれない。


 どれも、言ってしまえば嘘になる。誰にもわからないからだ。


 わたくしは砥石を布に包んだ。包んで、荷の底へ入れた。この人の言葉を待つあいだ、手を動かしていたかった。


 この人はそれを知っている。知っているから、止めた。


 わたくしも同じことを考えていた。もしあの隊に炊事番がいたら。もし誰かが荷を毎日数えていたら。


 考えたところで、証明する方法がない。証明できないものを口に出すと、それは慰めの形をした作り話になる。作り話は、その場では効く。効いたぶんだけ、あとで剥がれる。


 母は、味の話でそういうことを言った。足りない日に「おいしいでしょう」と言ってはいけない。言われた側は、その日は頷く。次の日から、こちらの言うことを半分に割って聞くようになる。


 「……いや」


 やはり、そう言った。


 「すまん。今のは無しだ」


 「はい」


 「無しだが」


 その人は立ち上がった。立ち上がってから、こちらを見た。


 「いま、いる」


   ◇


 その夜、片づけを終えてから、わたくしは残り物の汁を温め直した。


 二人ぶんある。集落の方が多めに作ってくださったので、当たり前に余っていた。


 鍋を持って輪へ戻ると、その人はまだ竈のところにいた。


 「残っております」


 「ああ」


 いつもと同じやり取りだ。五十日あまりで、たぶん四十回は繰り返した。


 繰り返すたびに、少しずつ短くなっている。最初は説明が要った。いまは一言で足りる。


 わたくしは綴じ本を開かなかった。


 書かなくても覚えていられることが、少しずつ増えている。


 明日から帰路だ。湿地を六日かけて戻り、それから王都へ。契約は残り十月ある。


 十月のあいだに、この人は何度「残っております」と言われるのだろう。何度目かで、言われなくても手が動くようになるのだろうか。


 そこまで考えて、わたくしは鍋の蓋を閉めた。


 急いで確かめようとすると、煮えるのは遅くなる。

 グレンが「あのとき、お前がいれば」を言いかけて止めるのは、その続きが全部嘘になるからです。四人は倒れなかったかもしれないし、倒れたかもしれない。誰にもわかりません。わからないものを言葉にすると、慰めではなく作り話になります。


 止めたうえで「いま、いる」とだけ言えたので、この人はたぶん少し進みました。


 次回、帰路の湿地で、銀の匙を拾います。


 【今日の遠征飯】(集落の方の馳走)/制約:なし/ひとこと:作らない夜の過ごし方を、五十日あまりで忘れておりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。