第15話 規定は、誰にでも同じように
ダリウス様は、羊皮紙を三枚並べた。ギルドの控え。わたくしの綴じ本。それから、中継所に保管されていた行程の記録。
三枚を並べて、指で行を追っていく。誰も口を挟まなかった。ニコさんが何か言いかけて、ボルドさんに肩を押さえられた。砂時計の砂が、静かに落ちていた。
この方の指の動きを、わたくしは知っている。屋敷の卓で、家計の帳面を検めていたときと同じだ。上から順に追って、途中で止まり、少し戻って、また進む。止まった場所には必ず何かがある。
三年のあいだ、その指を見ながらお茶を注いでいた。注ぐ手を止めると邪魔になるので、いつも同じ速さで注いだ。あのころは、この方が何を見つけるのかにまるで興味がなかった。いまは、見つけてほしいと思っている。同じ指の動きなのに、こちらの立っている場所が変わると、まるで別のものに見えた。
指が、下から三行目で止まった。
◇
「行程の記録では、貴隊が二つ目の補給点を通過したのは第十日です」
「はい」
「控えの受領は第八日。二日、合いません」
「はい」
ダリウス様は羽根ペンを取って、控えの上に線を引いた。線は定規を当てたようにまっすぐだった。
「二日ぶん合わない受領は、受領ではありません」
その一言で、周りの空気が変わった。
「では、補給の不着として」
「そうなります。規定第九条を適用いたします」
◇
「待ってください」
声を出したのは、わたくしだった。全員が振り向いた。
「ダリウス様。第九条を適用なさると、どうなりますか」
「不着後の実地の運用をもって査定を行います。つまり、いまお示しいただいた組み立てが査定の対象です」
「わたくしは通るのですね」
「通ります。運用としては認めると、先ほど申しました」
「では、伺います」
わたくしは一歩前へ出た。
「この控えの数字は、どちらから届いたものでしょうか」
◇
ダリウス様の羽根ペンが止まった。
「……商会からです」
「ロッシュ商会でしょうか」
「西向きの補給は、すべてそこから入ります」
「ギルドは、その数字を確かめておられますか」
答えはなかった。
わたくしは綴じ本を開いて、写した十行を卓に載せた。
「これは、補給点の帳面を書き写したものです。写しですので、証拠にはなりません」
「では、なぜ出すのですか」
「原本と突き合わせていただくためです。原本は鎖でつながれております。書き換えられていなければ、この写しと一致します。一致しなければ、いつ変わったかがわかります」
ダリウス様が写しを手に取った。最後の行を、長いあいだ見ていた。
「……この行だけ、行頭が揃っていますね」
「はい。他の行は揺れております」
「同じ人物が同じ日に書いたのなら、揺れは似ます。この行だけ、揃いすぎている」
この方は数字を疑わない。けれど数字の並び方は見る。
◇
「もう一つ、申し上げてよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「わたくしどもが受け取った補給の袋のうち、一つだけ口を縫い直したものがございました」
わたくしは荷車から、その袋を持ってきた。空になっているが、口の縫い目はそのまま残っている。
ダリウス様が縫い目に指を当てた。
「細かいですね」
「はい。間隔が揃っております」
「……荷役の手ではない」
「わたくしもそう思いました。刺繍を習った者の手つきに近うございます」
誰も口をきかなくなった。ダリウス様は縫い目と、写しの最後の行を、交互に見ていた。
「セラ嬢」
「はい」
「あなたは、誰かを名指ししようとしていますか」
「いいえ」
わたくしは首を横に振った。
「名指しできるほどのものは、何一つ持っておりません。わたくしが持っているのは、揃いすぎた行頭と、揃いすぎた縫い目だけです」
「それは証拠になりません」
「なりません。ですから、お調べいただきたいのです」
◇
ダリウス様は羊皮紙を揃えて、卓の端に置いた。
「――査定の結果を申し上げます」
背筋が伸びた。
「セラ・ヴィンター。帯同炊事担当として、資格を認めます」
息が抜けた。
「ただし条件を付けます。次の遠征より、補給の受領時に立ち会い、数量と封の状態を記録すること。記録はギルドへ提出すること」
「……それは」
「炊事担当の職務ではありません。査定官の職務の一部です」
ダリウス様は羽根ペンを置いた。
「わたしは書かれた数字を疑わずに仕事をしてきました。それが速いからです。速いことは、正しいことではなかったようです」
この方は、間違いを認めるのが早い。三年間で、それだけは知っている。認めるのが早いだけで、謝りはしない。それも知っていた。
◇
「一つ、質問がある」
グレン様が前へ出た。
「彼女がその記録を出すと、商会と揉めるな」
「揉めます」
「揉めた場合、彼女はどうなる」
ダリウス様は少し黙った。
「規定上は、記録した者が責任を負います」
「なら断る」
声が低かった。
「グレン様」
「うちの炊事番に、ギルドの責任は負わせない」
その人は卓に手をついた。
「彼女は十八日で三日ぶんを八日に伸ばした。倒れた者は一人も出ていない。査定に必要なのはそれで十分だろう」
誰も何も言わなかった。ニコさんが小さく口笛を吹きかけて、リィズさんに肘で止められた。
わたくしは、その背中を見ていた。この人が誰かのために声を上げるところを、初めて見た。隊のために指示を出すことはある。危ないときに前へ出ることもある。けれど、規定と人の間に自分から割って入るのは、たぶん久しぶりなのだろう。
三年前、この人は規定の側で落とされた隊を見ている。ボルドさんも見ている。
わたくしは口を挟まなかった。挟めば、この人が一歩下がってしまう気がした。そのかわり、荷車の縄を握る手に少しだけ力を入れた。
◇
結局、記録の提出はギルドとロッシュ商会の連名でやり直すことになった。ダリウス様が譲ったのではなく、条項をもう一つ持ち出しただけだ。この方はいつでも規定の側に立っている。
卓が片づけられ、砂時計が仕舞われた。帰り際、ダリウス様がこちらへ来た。
「セラ嬢。一つだけ」
「はい」
「金の穂の受領署名を照会しました。あの隊の専属料理人が出したものです」
「お名前は」
「ヴェラ・キーン」
聞いたことのない名前だった。
「その方は、いま」
「王都におります。あなたに会いたいと、先方から申し出がありました」
わたくしは荷車の縄を握った。
「わたくしに、ですか」
「同業の後進に助言したい、とのことです」
ダリウス様は羊皮紙の束を抱え直した。
「わたしの見立てを申し上げます。助言する者は、相手の経路を知りたがるものです」
ダリウスの決着は、殴って倒す形にしませんでした。この人は自分が正確に付けた記録に躓いただけで、最後まで規定の側に立っています。そういう負け方をする敵のほうが、二度と出てこなくても読者の中に残ると思っています。
グレンが人前でセラを庇うのは、これが初めてです。第7話で同じ鍋から食べてから、八話ぶん置きました。
次回、王都で親切な先輩に会います。その方が渡してくるものは、全部本当です。
【今日の遠征飯】(査定のため作らず)/制約:卓の上のものだけ/ひとこと:揃いすぎた行頭は、揃えた人がいるという意味です。




