↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消されたので、S級冒険者と契約結婚しました。条件は「遠征飯を一緒に食べること」だそうです  作者: 琴吹あんず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/30

第13話 三年前の話は、あの人から

 最後の水場に着いたのは、査定の前日だった。


 石の間から湧く水は北のものより濁っていて、一度沸かさなければ使えない。わたくしは布で二度濾してから鍋にかけた。濾した布に、細かい砂が残る。この砂の量で、次に沸かす回数が決まる。


 「あなた、ずいぶん手をかけるのね」


 リィズさんが水筒を差し出してきた。


 「濁りは煮ても消えません。濾さなければ、器の底に溜まります」


 「底に溜まるくらい、いいじゃない」


 「溜まったものを最後に飲むのは、いちばん遅く食べる人です」


 リィズさんの手が止まった。


 その人は、いつも最後に食べる。


   ◇


 その夜、練り物の最後の一枚を七つに割った。明日の昼には中継所に着く。着けば街道の宿があって、そこからは買える。だから今夜で使い切ってよかった。


 配り終えて座ると、リィズさんが隣に来た。この人が自分から隣に座るのは、初めてだった。


 「ねえ」


 「はい」


 「あなた、あの人のこと、どこまで聞いた」


 わたくしは指を折った。


 「三年ほど前から、人前で食事をなさらないと伺いました。ボルドさんから」


 「それだけ?」


 「ご本人からは、昔、足りなかったことがある、と。それから、前は確かめなかった、と」


 リィズさんが息を吐いた。長い息だった。


 「そこまで言ったの」


 「言葉としては、それだけです」


   ◇


 「三年前のこと、少しだけ言うわ」


 リィズさんは火を見ていた。


 「わたし、あの隊にいたの」


 「あの隊、と申しますと」


 「今の灰の牙の前の隊よ。名前は同じ。人だけ違うの」


 わたくしは何も言わずに、次を待った。


 「十一人いたわ。北の峠を越える依頼で、日数は二十二日。補給点は二つ」


 リィズさんは膝を抱えた。


 「一つ目が空だったの」


 火の音だけがしばらく続いた。


 「二つ目まで十日。荷は六日ぶん。引き返しても、峠を戻るのに八日」


 「進むしかなかったのですね」


 「そうよ。それで、十一人で六日ぶんを十日に伸ばした」


 伸ばした、という言葉が、この人の口から出た。わたくしがそれをやった日のことを、この人は覚えている。覚えていて、その言葉を選んでいる。


 「どう伸ばしたのですか」


 「均等に割ったの。全員が同じだけ減らす。いちばん公平でしょう」


 「はい。公平です」


 「公平だったわ。それで、四人倒れた」


 リィズさんが膝の上で手を組み直した。


 「大きい人は、同じ量では足りないの。荷を多く持つ人ほど先に落ちる。当たり前でしょう。当たり前なのに、そのとき誰も計算しなかった」


 わたくしは、その光景を思い浮かべてしまった。十一人が輪になって座り、同じ大きさの器を受け取る。誰も文句を言わない。文句の出ようがない。同じだけ配られているのだから、これ以上に正しい配り方はない。


 正しい配り方をしたのに、四人が倒れる。配り方が正しいかどうかは、配ったあとの数日でしか分からない。分かったときには、もう配り直せない。


 「炊事の担当は」


 「いなかったのよ」


 息が止まりかけた。


 「十一人の隊に、炊事番がいなかったのですか」


 「置かないのが普通だったの。荷が増えるから。飯なんて誰でも作れるでしょう、って」


 「いまは、置くのですね」


 「あの人が置くと決めたのよ。帰ってきてすぐ。ギルドに掛け合って、条件も自分で書いたわ」


 「四人、辞められたと伺いました」


 「五人目が来るまで二年空いたの。今度の貼り紙は四十日も剥がれなかったしね」


   ◇


 わたくしは、綴じ本を膝に置いたまま動けなかった。


 誰でも作れる。たしかに、鍋に湯を沸かして干し肉を入れるだけなら誰でもできる。できないのは、そのあとだ。何日ぶんが残っていて、誰が何を運んでいて、どの人がどれだけ要るのか。それを毎日書いて、割り振り直すこと。


 それは料理ではない。けれど、料理をする人間しかやらない。


 「四人は、その」


 「二人は戻ってきたわ。二人は戻らなかった」


 リィズさんは、そこで初めてこちらを見た。


 「最後の食料はね、あの人が食べたの」


   ◇


 「隊長が」


 「隊長が。みんなで決めたのよ。いちばん体力のある人間が、いちばん先の水場まで走って助けを呼ぶ。そのために全部食べさせた」


 「では、正しい判断です」


 「正しかったわ。実際、あの人が走ったから五人助かった」


 リィズさんの声は平らだった。平らすぎた。


 「でもね。あの人は今も、誰かが食べ終わったのを見るまで匙を持てないの」


 わたくしは火を見た。


 条件の一行目。あれは、要求ではなかった。毎食を共にすること。共にする相手がいなければ、あの人は食べられない。四人の炊事番が辞めたのも、たぶん誰のせいでもない。一緒に座った子も、一人にしてあげた子も、条件そのものは満たしていた。


 けれど、それだけでは足りなかった。共にするだけでは、この十四日と十二日のあいだ、あの人は結局ほとんど食べていない。


 足りなかったのは、余りだ。


 三年前のあの峠で、最後の食料には余りがなかった。あの人が食べれば、その分は誰かの分ではなくなる。誰かの分ではなくなったから、二人が戻らなかった。だから、目の前の器に余りがないかぎり、あの人の手は動かない。


 器の中身が多いか少ないかではない。鍋にまだ残っているかどうかだけを、この三年、毎晩見ている。


   ◇


 「リィズさん」


 「なに」


 「なぜ、いま話してくださったのですか」


 リィズさんは水筒の栓を閉めた。


 「明日、あなたが落とされるかもしれないから」


 「はい」


 「落とされたら、あなたは次の遠征に来ない。来ないなら、あの人はまた食べなくなる」


 この人は、いつも計算をする。情ではなく、荷と人数で。


 「わたし、あなたを認めるとは言っていないわ」


 「はい」


 「でも、七人ぶんの数を毎日書く人間がいなくなると困るとは、言えるの」


 リィズさんは立ち上がった。立ち上がってから、火の向こうを見た。あの人は今日も、輪の外側に座っている。


 「残りは、あの人から聞きなさい。わたしが言えるのはここまでよ」


   ◇


 その人は、こちらを見ていなかった。膝の上で手を組んで、火のいちばん外側の縁を見ている。わたくしたちが何を話していたか、たぶん察しはついているのだろう。それでも近づいてこないのが、この人のやり方だった。


 毛布に入ってから、わたくしは天幕の布を見上げていた。


 三年前、十一人の隊に炊事番はいなかった。いれば、四人は倒れなかったかもしれない。倒れなければ、二人は戻ったかもしれない。


 その「かもしれない」を、あの人は三年抱えている。抱えたまま、貼り紙を出した。四十日ぶん誰も剥がさなかった、あの一行を。


 わたくしは寝返りを打った。


 明日、査定がある。落とされれば、この隊から離れる。


 離れたくない、と初めて思った。

 リィズが「均等に割ったの。いちばん公平でしょう」と言う場面を、この物語の裏側の中心に置きました。公平と最適は違います。荷を多く持つ人が先に落ちるという当たり前を、そのとき誰も計算しなかった——それが炊事番のいない隊で起きたことでした。


 セラの職能が「料理」ではなく「数える」ことでもあるのは、ここに繋がります。


 次回、査定の朝です。ニコが、ある紙の数字に気づきます。


 【今日の遠征飯】練り物の最後の一枚を七つに/制約:明日には買える/ひとこと:底に溜まったものを飲むのは、いつもいちばん遅く食べる人です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。