第12話 同じ荷で、と仰いました
査定まで、あと三日になった。
この八日で、練り物は三度も作り方を変えている。根の割合を増やして豆粉を減らし、最後には塩の当て方まで変えた。乾かす時間が取れない日は薄く伸ばす。風の強い日は厚くして割れないようにした。
同じものを毎日作っているように見えて、同じ日は一日もない。遠征の献立とはそういうものだ。表に書けるのは名前だけで、中身はその日の風と薪と人数で決まる。
だからこそ、査定で何を作るかはいま決められない。決められるのは、何を持って行くかとどう見せるかだけだった。
その夜、わたくしは焚火の前に綴じ本を広げて、皆に集まっていただいた。
「一つ、考えを聞いていただきたいのです」
「試験のこと?」
ニコさんが練り物をかじりながら座った。
「はい。ダリウス様は『同じ荷、同じ人数、同じ日数で』と仰いました。この『同じ荷』が何を指すのかを決めておきたいのです」
「あんたたちの手元に残ってる荷でしょ」
リィズさんが言った。
「ふつうはそうなります。ですが、あの方はそれを知らないはずです」
◇
わたくしは綴じ本の頁を開いた。
「十八日ぶんの割り振りはわたくしの帳面にしかございません。十日後にどれだけ残る予定かも、この帳面から出る数字です。ダリウス様が読んだのは五日ぶんだけでした」
「じゃあ、なんで条件にできたの」
「二つ考えられます。一つは、当てずっぽうで言った」
「もう一つは」
「別の帳面を持っている」
火の音が続いた。ボルドさんが薪を割る手を止めている。
「別のって」
「ギルドが隊へ渡す補給表です。あれには十八日ぶん七人ぶんの数量が行ごとに書いてあります。あの表を持っていれば、十日後の残りは計算できます」
「査定官なら見られるんじゃない?」
「見られます。ですから、そこまでは不思議ではございません」
わたくしは頁をめくった。
「不思議なのは、その表どおりに補給が届かなかったことをあの方が知らない場合です」
◇
「補給点は空でした」
わたくしは指を立てた。
「予定ではあそこで六日ぶんを受け取っております。ですから帳面どおりなら、いま我々の手元には六日ぶん近くが残っているはずです」
「実際は、根っこと豆粉だけね」
「はい。予定と実物が、これほど食い違っております」
リィズさんが眉を寄せた。
「それ、あなたに不利じゃないの。荷が無いんだから組み立てようがないでしょう」
「逆でございます」
わたくしは綴じ本の後ろの頁を開いた。写した十行が並んでいる。
「食い違いは、片方が嘘をついている証になります。わたくしの帳面と補給点の帳面とギルドの補給表。三つ並べれば、どこで数が消えたかを見せられます」
「見せて、どうなるの」
「わかりません」
正直に言った。
「あの方は規定で動く方です。規定に『補給が届かなかった場合』の条項があれば通りますし、無ければ通りません」
◇
「条項なら、ある」
声を出したのはボルドさんだった。全員が振り向いた。
「ギルドの遠征規定、第九条。補給の不着があった場合、その隊の帯同者の査定は不着後の実地の運用をもって行う」
「……ボルド、あんたそんなの覚えてたの」
リィズさんの声が裏返りかけた。
「昔、査定に落ちた」
ボルドさんは斧を置いた。
「二十年前だ。荷が流されて、俺の隊は半分になった。それでも規定どおり落とされた。その年に第九条ができた」
誰も何も言わなかった。ニコさんが練り物を持ったまま止まっている。
この人は毎晩、黙って石を三つ並べる。湿った薪を割って内側を出す。誰も頼んでいないのにいつも火の周りが整っている。整えるのが好きなのだと思っていた。そうではなかったのかもしれない。二十年前に落とされた査定で、この人は何を整えられなかったのだろう。
聞かないでおこうと思った。この人がわたくしに聞かずにいてくれたのと、同じだけ。
「ですが、その条項があるなら」
わたくしが言いかけると、ボルドさんが首を振った。
「使えるかは別だ。条項を持ち出すには、不着を証明せにゃならん」
「補給点の帳面がございます」
「鎖でつながれてる。持ってこられんだろう」
「写しがございます」
ボルドさんの目が、初めて大きくなった。
◇
その夜、わたくしはもう一度だけ写した十行を読み返した。
書き写したのは字だけではない。行の間隔も余白の取り方も、できるだけそのままにしてある。最後の行だけが、他と違う。
他の行は行頭が少しずつ揺れている。日によって違う人が、違う姿勢で書いたのだから当然だ。最後の行だけ、行頭がまっすぐ揃っていた。
定規を当てたように、というのは大げさかもしれない。けれど、あの棚が空になった小屋の中で、あの行だけが落ち着いて書かれていた。急いでいない人の仕事だ。豆の袋の縫い目と、同じ手つきのものだ。
◇
「セラさん、寝ないの」
ニコさんが毛布からこちらを見ていた。
「もう寝ます」
「試験、大丈夫?」
「わかりません」
「えー」
「ですが、負けても困らない準備はしております」
ニコさんが起き上がった。
「負けたら、セラさん次の遠征に来られないんでしょ」
「はい」
「困るじゃん」
わたくしは綴じ本を閉じた。
困る、と言われたのは、たぶん初めてだった。
屋敷では、いなくなっても困らない人間だった。刺繍の手が止まっても誰も困らないし、厨房に立たなくなっても料理人が困るだけで、その料理人はむしろ助かると言うだろう。婚約を切られたときも、困ると言った人はいない。父ですら、すまん、と言った。困る、ではなかった。
困るというのは、その人がいないと回らないという意味だ。回らないものの一部になっているという意味でもある。わたくしは十四日と十二日、合わせて二十六日ぶん、七人の食事を回してきた。回してきたのだから、当たり前といえば当たり前だった。
当たり前のことを、誰かに言われるまで自分では数えていなかった。
「そうですね」
わたくしは言った。
「では、困らないようにいたします」
◇
翌朝、荷を分けているときに、その人が横に来た。
「三日後だ。中継所で待っているそうだ」
「はい」
「勝てるか」
「わかりません。ですが、条件の読み方は決めました」
「聞かせろ。俺も同じ側で答える」
わたくしは荷の紐を締めながら答えた。
「『同じ荷で』というのは、あちらが持っている表の荷のことです。ですからわたくしは、表の荷では作りません」
「では何で作る」
「いま、ここにあるもので作ります」
その人は少しのあいだ黙って、それから短く言った。
「それでいい」
ボルドが第九条を暗唱する場面を、この人の見せ場に決めていました。口数の少ない人が一度だけ長く喋るとき、その理由は本人の過去にあるのがいいと思っています。
セラの「負けても困らない準備」と、ニコの「困るじゃん」は同じ言葉ですが、指しているものが違います。彼女はそれを聞いてから、少しだけ勝ちにいく気になりました。
次回、隊は最後の水場に着きます。リィズが、三年前の遠征の話を少しだけします。
【今日の遠征飯】練り物と、湯だけ/制約:残り三日/ひとこと:写しに証拠の力はありません。ただ、いつ変わったかは言えます。




