第三話・吉野宮
「で? 」
案内された吉野宮の部屋では、大海人皇子がメチャメチャ険しい顔をしている。
頭には、上杉謙信像に描かれてるような布を被ってて、この時代の男性にしては珍しく、髭を生やしていない。ワイルドな中に精悍さがあって信頼できる上司顔といったところ。
横に座っている皇女より全然年上に見えるけど、何歳なんだろう?
吉野宮は桜木神社からなだらかな坂を下って大きな川を渡った場所にあった。位置的にはさっき行った『吉野歴史資料館』の少し手前くらいだ。
離宮だから小さいのかと思ってたが、予想外に規模が大きかった。
畑と集落を抜け、細竹垣で囲まれた敷地に入ると、門からまっすぐに広々とした道があって、道の両側にいくつかの木造建物があり、その先に再び細竹垣の屋根付きの門がある。つまり、垣根が二重になっているのだ。ふたつ目の門をくぐると中央にひときわ大きな神社のような本殿があり、前庭もある。
吉野宮は簡素な別荘のような感覚でいたが、さすが天皇家、庶民の私の感覚を超えるものがある。スマホのカメラが使えない分、この目でしっかり見て記憶しておかなくちゃ。
「ですからこの方たちは、一言主神様のお使いですわ」
皇子の横で鸕野讃良皇女がニコニコしながら、目の前に座る私たちを紹介する。
「そのような話を信じられるか」
皇女と違って大海人皇子はまともな感覚のようだ。
「お二方を、吾のお客様として歓待してくださいませ」
「このようなおかしな格好をした子供を? 」
そりゃ、Gパンはおかしいし、この時代、成人男性は髭を生やすし、女性は長い髪を結い上げるものだ。私たちは成人していないと思われても無理はない。
「神様は時として童の姿で吾らの前に現れるものですわ」
「近江方と通じていないと言えるのか」
「通じていませんよね」
皇女が私たちに問いかける。
「え、ええ、もちろん」
「近江には行ったこともありませんし」
「ほうら」
「通じている者が、はい、通じています、と答えるはずがなかろう」
この場合、大海人皇子のほうが正しいと思う。大丈夫なの、皇女?
「まあ、良しとして、さあ、夕餉にいたしましょう」
皇女が明るく言った。
個々の目の前に、お盆が置かれ、白米のご飯、野菜のお吸い物、漬物、塩、濁り酒が乗っている。
大皿に盛られた焼き魚と青菜のおひたしっぽい料理を、給仕をする女性が私たちの前のお盆の小皿に取り分ける。定食屋さんの高いほうのセットみたいなレベル。
濁り酒、どうしますか、未成年の私?
横を見ると、高橋君はさっきまではガタガタ震えてたくせに、なんの遠慮もなしにバクバク飲み食いしている。
まあここは治外法権ということで、ひと口いただいちゃいましょうかね。
……。甘い。甘酒? ご飯には合わないでしょうが。
「すみません、白湯ください」
「お客さまとの食事、久しぶりですわ、ねえ」
皇女が大海人皇子に微笑みかける。
かたや皇子はムッとした表情で黙々と酒を飲んでいる。
「そうそう、お二方に紹介するわ。吾等が息子、草壁皇子と忍壁皇子。よろしくしてやっておくれ」
二人とも、まだ顔が幼い、十歳前後だろうか。
「他の妃の皇子たちは近江にいますわ。あとは……、吉野に来るの、急だったでしょ。この二人しか連れてこられなかったのですわ。今、呼び寄せると、近江方に怪しまれてしまいますし」
他の妃はここにいないんだ?
皇女は、自分の息子だけは一緒に連れてきたかったのだな。
飛鳥時代は一夫多妻制だ。
大海人皇子には妻が何人もいるし、その前の天智天皇も、他の皇族豪族も、複数の妻を持っているのが当たり前の時代だ。
身分が高い人は、家同士の結びつきとか同盟関係的な政略結婚が主なんだけど、地方の地主レベルでも妾を持つ男性は珍しくない。令和時代の『不倫』なんて、全く問題にならないのだ。
皇女が、明るくみんなの中心となって食事は進む。自分たちの置かれた境遇を忘れさせようと、意識的に陽気に振る舞っているのかもしれない。
皇女は、草壁皇子と忍壁皇子に今日の出来事を報告させる。
「今日は一切経について学びました」
「では、一切経は誰の教えの書ですか」
時折、母親らしく、幼い皇子たちに勉学のことを質問したり、問題を出してみたりしている。
「はい、お釈迦様です」
普通の親子の夕食だ。これから戦さになるとは思えない。
・ ・ ・
「もう夜も遅いので、泊まっていかれるがよろしいでしょう」
と、私たちは、寝所として部屋を与えられた。宮殿とは別棟の部屋だ。
まさかのお泊まり。こんなことになろうとは。
木造の板張りの部屋が、几帳のような物でいくつかに仕切られている。どうやらこの棟には私たちしかいないようだ。
部屋へ案内してくれた若い男が
「夜着をここに置きます。体を拭きたければ、庭に井戸があります。それから、厠は建屋の裏に」
と皿に乗った灯りを置いて、戸を閉めて去った。
部屋はものすごく暗い。
もう一度、スマホの電源を入れてみるが、やはりダメだ。
板の間に布団のような感じで藁が敷かれて麻布が掛かっている。ハイジの布団みたい。枕はない。掛け布団がわりの布と毛皮。この時代、布と言えば絹か麻。綿は海外からの輸入品だから貴重で、綿入り布団とかもないのだ。
「ちょっと待って。ここに二つの寝床があるということは、夫婦だと思われてる? 」
「ニシシ」
「ニシシ、じゃないわよ、変なことしたらぶっ飛ばす」
高橋君は、二つの布団の間に几帳を持ってきて、布とジャケットをかけて目隠し代わりにした。
「ていうかさ、本庄さんは女だと思われてないんじゃないの? 髪の毛短くてスレンダーで、声も低い声使ってたし」
「マジ? 」
確かに、悔しいけど貧乳だし、この時代に髪が短い女性はいないわな。成人した女性なら長い髪を結うのが普通だ。神の使いの子供、みたいに見られてるかな。
「それはそれでいいかもよ。こんな訳のわからない世界で女だと危険だし、男と思われてるならそれで押し通したほうが」
「なるほど。一夫多妻制だしね」
夜着を広げてみた。
薄茶色っぽい麻の浴衣みたいなのと袴。でも丈が短い。甚平の上下に近いか。ウエストを紐で縛るようになっている。
とりあえずパーカーを脱いでTシャツの上に夜着を着てみる。
Gパンは脱ぎたいな。
「絶対こっち来ないでよ」
「行きませんよ。僕、ナイスバディが好みなんで」
何かムカつく。
トイレはキツい。この建物の裏側に板で囲った場所がトイレ。水路が流れ、その上に板が渡されてあって、まあ水洗トイレなんだけど、トイレットペーパーが、な、い。
カゴに入った木の棒と藁みたいなのがあるんだけど、これをどうしろと?
井戸から水を汲んできて、ペットボトル使ってウォシュレットっぽくするか。
「で、あの人たち、何者? 」
「そういえば、高橋君の専門は戦国時代だったっけ。この辺は詳しくないか」
「天武天皇とか天智天皇はわかる? 」
「名前は知ってる。兄弟でしょ? 」
「そう。さっき紹介されたのが将来天武天皇になる人。今はまだ皇子で、大海人皇子って名前ね。最初に会った女性は大海人皇子のお妃で、鸕野讃良皇女ね。天智天皇の娘で、大海人皇子が天皇になったら皇后になって後に持統天皇となる人」
「なんでそんな偉い人がここにいるの? 」
「いい質問ですねえ。大海人皇子は天智天皇の弟で元々皇太子だったんだけど、天智天皇は本心では弟じゃなくて息子の大友皇子を皇太子にしたいのよ。詳しいことはよくわからないけど、天智天皇は、大海人皇子が自主的に皇太子の地位を辞任するように仕向けて。それで大海人皇子は出家して、ここ、吉野宮に隠棲してるってわけ」
「わからない。なんで出家して隠棲したの」
「自分は天皇に歯向かうつもりはありません、て意思表示よ。そういうことをしないと、天智天皇に殺されちゃうからね」
「ふへえ」
「それで鸕野讃良皇女はね、大海人皇子と結婚して皇子を産んでて、大海人皇子には他にもいっぱい妃はいるけど、確か、ゆいいつ吉野に一緒にくっついてきた妃。他の妻子は近江の京に住んでると思う」
「ふーん」
なんか興味なさげ。
「そんで、天智天皇が崩御した後、大海人皇子は兵を挙げて近江京に攻め入って天智天皇の息子の大友皇子を殺して、天皇になるの」
「マジで? そういうのアリなの? 」
「アリも何も、力で天皇の位を奪った皇子に、他の誰が文句を言えると思う? 歯向かっても逆に自分が滅ぼされちゃうかもしれないんだよ? 」
高橋君はその辺の事情に興味がないのか、あくびをする。
「それより、これからどうする? 成り行きでこんなとこ連れてこられちゃったけど」
「ほんと、夕食までご馳走になっちゃって明日はどうしようか」
「どうするも何も、帰るでしょ。現代に」
「ええ? せっかくだから少し遊んでいこうよ」
「やだよ、こんなとこ」
と言うと、高橋君はさっさと几帳の向こうで横になってしまった。
結局、本当にタイムリープしちゃったんだよね?
私は勾玉をまじまじと見た。
特に変わったところがない古びた勾玉だ。子供の頃にもらった物だから、時々紐を付け替えてるけど、ずいぶんボロくなった。
でも、さっきは間違いなく光った、と思う。
「じいちゃんはこれ、どこで手に入れたんだろ」
・ ・ ・
私が小学生の時に両親が離婚した。母に引き取られた私は、離婚前後の夏休み丸々、母方の祖父母の家に預けられた。
祖父の書斎には、不思議な物がごちゃごちゃあった。
祖父は多趣味で、歴史研究の他にも囲碁、美術館巡りなどいろいろで、博識だった。古事記や日本書紀などの歴史書の他に、怪し気な歴史ミステリーものなど、書物が本棚にいっぱいあった。引き出し付きの棚には、昔の貨幣や勾玉、美術品のレプリカなどが雑多に置かれていた。
「いつでも好きな本を読んでいいぞ」
と許可されていて、祖父母が仕事している間、私は書斎から借りた歴史の本を読んでひとりで時間を過ごすことが多かった。
両親の離婚問題も片付き、いよいよ東京の母の家へ帰る日だった。
「百合香にこれをあげよう」
祖父は引き出しの中から腕時計ケースを取り出した。
「え、時計くれんの? 」
「ジャン! 」
蓋を開けると、中にあったのは腕時計ではなく、緑色の勾玉を紐で結んだキーホルダーだった。
「何、これ」
「じいちゃんが若い頃もらった勾玉だ。本物だよ」
「ええ、時計じゃないのお。なんで時計のケースに入れてんの」
私はちょっとガッカリしたが、せっかく祖父がくれた貴重な物だから、今も歴史巡りに使うリュックにつけて大切にしている。
・ ・ ・
それにしてもまさか、自分が万葉集の時代にタイムリープするなんて思ってもいなかった。
さあ、これからどうしよう。……みんな、今頃、心配してるかな……。ま、なるようになれってか……ぐう……。




