第四話・襲撃
翌朝、戸が開けられる騒音で目が覚めた。
「何、いきなり」
「おはようございます」
昨夜の若い男が無愛想にいいながら戸を開けている。
ああ、私は吉野に来ていたんだっけ。やっぱ、夢じゃなかったんだ。
「なんですか、こんな朝早く」
高橋君も几帳の向こうから目を擦りながら顔を出す。
「夜明けにございます。神様なら日の出と共に起きられるのでは? 」
明らかにトゲがある言葉。
ここでは皇女以外の人には歓迎されてない気がする。
まあ、大海人皇子は近江朝廷側から命を狙われてる状況だから、仕方ないのかもしれないけれど。
「神様じゃなくて、使いだから、ゴニョゴニョ」
我ながら言い訳が情けない。
「ねえ、名前は、なんて言うの」
たぶんこいつが私たちの担当。名前を知らないと不便なので、聞いた。
「吾ですか」
他に誰がいる? いちいち突っかかるヤツだな。
「小麻呂です」
「オマロね。よろしく」
「……」
無反応ですか。
昨夜は暗くて気づかなかったけど、まだ少年じゃん。歳は中学生くらいだろうか。
オマロは、水を入れた桶と手拭いと着替えを縁側に置いた。
「体を拭きますか? 」
オマロがツンケンとした態度で聞く。拭く気はないけど一応聞いときますよ、みたいな。
「いや、自分で拭くからいい」
用意された着替えだが、基本は夜着と同じ形。ただ、丈は長いし、ズボンの裾が窄まってる。
で、下着は?
でた、ふんどし。
実物を見たことないけど多分これが本物のふんどし。
「……」
私は着替えをそっと元に戻した。
いつ現代に帰るかわからないから、来た時と同じ、パーカー&Gパンを着る。飛鳥衣装のまま現代に戻っちゃったら恥ずかしいもんね。Tシャツと下着と靴下はお泊まりセットで持ってきてるから大丈夫。
「ねえねえ、ふんどし、はいたの? 」
衝立の向こうの高橋君に声をかけた。
「ふんどしでGパンとか、笑える」
「うっせえわ」
朝食は、部屋に薄い重湯のようなお粥と栗みたいな木の実が乗ったお盆が運ばれてきた。『おめざ』っぽい。
「僕、朝食はパン派なんだけど」
「なんて言っている場合じゃないでしょ」
お粥を木製のスプーンで啜っていると、どこからかお経を唱える男性の声がする。
「あの声は」
私たちが食べ終わるのを横で待っているオマロに聞くともなく言った。
「皇子の修行であらせられます」
修行?
ああ、大海人皇子は出家してたんだっけ。ちゃんと仏教の修行もするんだ? 形だけの出家だと思ってたけど。
「そういえば、今日は何年の何月何日? 」
「壬申の年の二月六日です」
オマロがお盆を持って下がると、私は高橋君に言った。
「ねえ今、壬申って言ったよね。今が壬申で、吉野にいるってことはもう、確定だよね」
「何が? 」
「昨夜もちらっと言ったじゃん。壬申の乱。天智天皇が崩御した後に勃発する、天智天皇の長男大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子の皇位をめぐる戦さだよ。大海人皇子はここ吉野宮で兵を挙げて、朝廷のある近江宮へ向かって、大友皇子を擁する朝廷軍との戦さをするの。ああ、やっぱりこれから壬申の乱かあ。どうして大海人皇子が兵を上げたか、理由がわかるかな。その辺のとこ、聞いてみたいよね」
「この状況でよくそんなこと言えるな」
「だって興味あるじゃん。歴史の謎が今、解き明かされるんだよ? 」
「本庄さんってこんな人だったんだ」
「令和では三月五日だったから、旧暦だから一ヶ月ずれてるだけで、日は同じくらいなのかな。どうしようか? このままここにいたら壬申の乱に巻き込まれるかな」
「ええっ? 」
「壬申の乱って、いつ始まるんだっけ。でもまあ、この雰囲気じゃ今日明日じゃないよね。さすがにそれまでには帰れるでしょ」
「今すぐ帰りたい」
高橋君がビビってる。
「だから、どうやって帰る? 」
「桜木神社に行けばいいんじゃないの? 後で散歩のふりして出かけようよ」
せっかく来たんだからこの時代でいっぱい情報収集をして貴重な体験をしようと思っている私と違って、高橋君はそんな気持ちの余裕がないみたい。
その後、私は、庭の井戸を借りて下着と靴下を洗った。
着替えは一日分しか持っていないから、どれくらいで帰れるかわからないし、念の為洗濯しておく。洗剤はもちろん無い。
庭の向こうには木の枝に物干し竿みたいなのがあって洗濯物が干してあるけど、一緒に干すのもなんだし、とりあえず、部屋の几帳にかけておこう。
「あはは、下着を手洗いするなんて、中学生の時に(伏せ字)しちゃった時以来だ」
高橋君が笑いながら洗濯している。なんなんだ、こいつは。
「さて、出かけようか」
私たちが桜木神社に出かけようと思っていると、オマロが現れた。
「皇女がお呼びです」
私たちは顔を見合わせた。
「断ったら殺されるんじゃない? 」
「とりあえず行っとく? 」
・ ・ ・
皇女の部屋へ行くと、縁側に碁盤が置いてあった。
「リク様は、碁は得意かしら」
「碁は、やりません」
「ユリカ様は」
「五目並べならできますが」
「ゴモクナラベ、とは? 」
「それなら僕もできます。こうして、碁石を代わりばんこに置いていき」
「おお、知ってる。それは子供の頃、天界の神様が教えてくれたものよ。吾もできます。やりましょう」
「はい。では」
ちょっと待て。五目並べを知ってる天界の神様って、何者よ?
「皇子は修行で、子等は勉学があるから、吾の相手がいないの」
昔は娯楽が少なく、身分が高い人は家事は全部使用人がしてくれるから、何もすることが無い。囲碁は数少ない娯楽のひとつなのだ。
高橋君と皇女が五目並べをするのを私は横で見ている。
「吉野に来るのは初めてかしら? 」
碁石を置きながら皇女が聞く。
「ええ、初めてです」
「私も初めてです」
この時代の吉野は、だけど。
「自然豊かで美しいところですね」
自然豊かってのはおかしいか。昔の日本はどこに行っても自然豊かだらけだもん。
「吾は、この地の山川が気に入っているの。滝つ瀬の勢い、荒ぶる神様がそこにいらっしゃるみたいでしょ」
しばらくすると「カン」という鐘のような音が数回した。
「あら、もう巳の刻ね」
「はあ。え? ここでは時間って、どうやって知るんです? 」
「日の高さを測っているわ。宮の皆には鐘の音で知らせてるの。明け六つと暮れ六つのと、間の一刻に」
「起床と就寝と食事の時間ですか」
「ええ、ここではそう。でも、京では違うの。近江の宮では漏刻で時を測って、鐘を鳴らしてるわ。京には役所があるから、漏刻に合わせて仕事をするのよ。あと、飛鳥にも漏刻台があるわ」
漏刻!
天智天皇が日本で初めて「時計」を作ったのが、水の落ちた量で時を測る「漏刻」だ。もう普及しているのか。見てみたい。
私たちはそのまま、昼食も一緒に食べた。皇子たちは一緒ではなかった。
昼食は、白米に、野菜の煮物と魚の南蛮漬けっぽいの、大根の漬物。それからデザート代わりの干し柿。わりと質素だ。状況が状況だからだろうか。
「うふふ、これこれ。吾は柿が好きなの」
皇女は若い女性らしい恥噛んだ笑みを浮かべた。
「吾はね、幼き頃にも一言主の神様にお会いしたことがあるの」
濁り酒を飲みながら皇女が言った。
この時代、酒はお茶代わりだ。私と高橋君は酒を断り白湯をもらう。酔っ払って何が起こるかわからないからね。
「その時と同じ。だから、其方たちも神様だとすぐにわかったわ」
だから私をすんなり受け入れたんだ? まさか私みたいにタイムリープしてきた現代人じゃないだろうね?
「その時は神様に何か、願い事したの? 」
コホン、と昨日も一緒にいた侍女が咳払いをして私を睨む。
同世代の女子なので、ついタメ口になる。
「したんですか? 」
「願い事は……」
皇女の顔が寂しそうになった。
「何もしなかったわ」
・ ・ ・
昼食後、皇女はお昼寝をする習慣らしく、私たちは自分の部屋に戻った。
それで私たちは出かけることにした。
「じゃあこの辺を散策しながら、桜木神社に行こうか。たぶん、橋を渡ればまた戻れるはずだし、行ってみよう」
私はリュックを背負った。
私はリュックを片時たりとも離さない。この中に入ってるスマホとか、歴史本とかパンフレットをこの時代の人が見たら、どんな影響を受けるかわからない。歴史が変わる危険もあるのだ。その辺りは歴史好きとしてのマナーだ。
私たちが出かけようとすると、オマロが声をかけてきた。
「どちらかへ行かれますか」
「え、ああ、ちょっと散歩に」
「では」
と、オマロは槍のようなものを持ってきた。
「吾もお供いたします」
オマロは槍を担いで私たちの数歩後ろをついてくる。
たぶん監視役を仰せつかっているのだろう。好意的ではない空気がびんびん伝わってくるもの。
「いい天気だね」
「……」
私たちと親交を深めようという気はなさそうだ。それならそれで、私はマイペースでやるからいいや。
・ ・ ・
宮からすぐのところに吉野川が流れ、木製の橋がかかっている。この風情のある橋は令和の時代には存在しないが、橋の上から吉野川の急流を眺めると、万葉歌人の憧れの「夢のわだ」がある。この辺りは現代とそれほど変わらない景色に感じる。
橋を渡って象の小川沿いの緩やかな登り道を数分歩くと、昨日、皇女と出会った桜木神社。今日は桜木神社の橋を渡らず、その先へ歩く。
林の中を流れる小川、木々が芽吹き始める早春の道、ものすごく空気がいい。
「う〜ん、森林浴」
万葉集にはこの吉野を歌った歌がたくさんある。万葉歌人的には、飛鳥の京からそれほど遠くなくてちょうどいい観光地みたいな感じなのだろうか。
万葉歌人の気持ちを肌で感じられるの、本当にすごい。
さっきから高橋君はキョロキョロしてる。
「何? 」
「いや、どうやって戻ろうかと思って」
そうだった。私たちは桜木神社からまた戻らねばならないのだ。
確か、桜木神社の橋を行ったり来たりしてるうちに現代に戻れた、って話だったと思うけど。少しくらい観光してもいいじゃん。
「あれ、誰かいる」
木々の間を少し行くと川岸の石の上に誰か座禅を組むように座っている。
「皇子」
オマロが声を出した。
「え、皇子? 」
オマロを振り返ると、横の方から何か飛んできた。
ヒュン。
皇子の肩を、矢が掠めた。
「曲者」
皇子の周りにいたお付きと思われる男が皇子をしゃがませた。
オマロも私たちどころではない。
皇子に駆け寄り、槍を構える。
「おわわわぁ、こんなの、やめてよ」
皇子のお付きの男たちは、刀を片手に矢が飛んできた方向へ走り出す。
皇子とオマロは、木々の間を縫って身をかがめながら逃げる。私と高橋君もオマロを追う。
そうだ、桜木神社の近くに太い桜の木があるはずだ。近江方の刺客に襲われた大海人皇子がその木に身を隠して助かったという逸話を、つい昨日、神社の案内板で見たような気が……。
私は、皇子の衣の袖を掴んだ。
「こちらへ」
私は、皇子を連れて木々の間を駆けた。
「あった」
一番太い桜の木の影に皇子を隠し、その周りの木に私と高橋君がそれぞれ隠れた。
「どこへ行った」
敵らしき声が近づく。
私たちは息を凝らした。
「ヒュン」
「ぎゃっ」
近くで戦闘の気配がする。
うわ、マジですか。
神様、仏様、こんなところで死にたくないよお。
少しして静寂が訪れる。
「皇子、ご無事ですか」
どこからか息石切った声がする。
「吾の舎人だ」
皇子が私に言う。
足音が近づき、私たちは姿を現した。
「皇子、お怪我は」
「うむ、大丈夫だ。どうした」
「一人は殺しましたが、もう一人は取り逃しました」
「逃げ帰ったとて、今更どうにもあるまい」
「やはり近江方と思われましょうか」
ふと、高橋君を見ると、腰を抜かしたように座っている。
「大丈夫? 」
「……じゃない」
私は手を差し伸べて、立ち上がらせた。
・ ・ ・
辺りを警戒しながらの帰り道、皇子が私たちに言った。
「其方等は先のことがわかるのだろう。これから吾はどうなる」
「申し上げられない。ただ、言えることは」
私はあくまで『神の使い』を演じる。
「皇子は神を信じ、神を敬い、困った時には神に祈ってください。さすれば道は開かれましょう」
「うむ」
「それからもうひとつだけ、人を殺さぬ道をお考えください」
「どういう意味だ」
「皇子の兄君は、歯向かう者を排除し、恐怖政治を行ってきました。その結果、人臣の心はどうなっています? 」
「……」
天皇を批判するような、迂闊なことは言えないか。
「みだりに人を殺してはなりませぬ。例えば戦さになった時、降伏すれば命を助ける、と、寝返りを誘うのです。首謀者以外は重罪にせず、財産も位も取り上げないようにするのです。そうすれば臣下は皆、皇子に感謝し忠誠を誓うことでしょう。それが皇子のなすべき道です」
「……」
ちょっと詳しく言いすぎた?
「そうか……、心に留め置こう……」
伝わった、かな。
「人を殺さぬ道。其方が神の使いでなくとも、良い言葉だ」
私のことを信じないのは変わらずね。ま、いいか。思ったより良い人のようだし。




