第二話・飛鳥の皇女(ひめみこ)
「え? 」
枯れ草に囲まれた小さな空き地に私たちは立っていた。
振り返ると、粗末な板の橋がある。私たちが渡ってきた屋根付きの橋がない。
「マジか? 」
私の腕を掴んだままの高橋君が言った。
「何よ、これ」
「嘘だろ」
「まさかのタイムリープ、しちゃった? 」
「これって、どうやって戻れるんだっけ」
「森ちゃんに聞いてみよ。その前にとりあえず、写真撮る」
私はスマホを出した。
「あれ、」
高橋君もスマホを見た。
いや、スマホの電源が入らない。ちょっと待って、再起動。……うんともすんとも言わない。なんだこれ。
「電源が」
「僕も」
軽くパニクっていると、空き地から声が聞こえた。
「怪しい奴。何者」
え?
声をかけてきたのは薄い茶色っぽい神主のような衣装を着た若い男だ。
神主? ……ではないようだ。この雰囲気はどっちかというと古い時代の、奈良時代、いや、もう少し古い時代の衣装かも?
男の後ろには私と同年代くらいに見える若い女性二人がいた。
ひとりは鮮やかな緋色の丈の長い着物みたいな上着に、白っぽい袴のような衣装。もうひとりの女性は若草色の上着で長い髪を後ろで束ねて、神秘的な雰囲気。
私が知ってる万葉集の時代だと、緋色、紅色はかなり位が高い色だ。つまり緋色の上着の人が主人で、若草色は使用人か。
いや、冷静にそんな分析してる場合じゃなくて。
男は腰の剣の柄に手をかけて、穏やかでない気配で私たちを睨んでいる。
「ええと……」
何だこれは。マジでタイムリープしちゃったのか? どうする?
「ヤバいヤバい」
高橋君が後退りしてる。
「もしや、一言主の神様でいらっしゃいますか」
男の後ろに立つ主人らしき女性が言った。
「は? 」
一言主の神様というのは昔から奈良にいる神様の一人で、大昔の天皇が会ったという話を子供の頃じいちゃんに聞いたことがあるけど。
「いいえ、姫様、このような怪しい形をした者が神様のはずがありません」
当然だわ。男、お前が正しい。どこの世界にパーカーにダウン着た神様がいる?
「いいえ、吾にはわかります。神様は総じて童のようなお姿をしているものです。神様に違いありません」
確かにこの時代、髪の毛が短いのは子供だけどね。
さあ、どうしたらいい、私?
高橋君は私の腕を掴んだまま、震えてるし。
ちっ、役に立たないヤツ。
ええい、仕方ない。こうなったら腹を括る。
「いや、私は、一言主の神様ではない」
ちょっと低い声を出してみる。
「神の使いである」
「ああ、やはり」
女性の頬が赤く染まった。
「そのお姿、ただ人ではないと思いました」
し、信じたの?
高橋君と顔を見合わせた。
「そちら様は」
高橋君に問いかける。
「わ、私も、神の使いだ」
高橋君の声が震えている。
「吾の願いが一言主様に聞こえたのですね。お二方を遣わしてくださり、神様、ありがとうございます」
女性が手を合わせた。その先の空き地には、小さな木製の祠がある。
「して、神様の使いがなぜここに? 」
従者の男はめっちゃ疑わしい目をしてる。
「神様はおっしゃられた。このところ、人の世に不穏な空気を感じる。様子を見てくるようにと、私たちが天から下ろされたのだ」
私はそう言ってみんなの顔を見回した。
主人の女性が目をキラキラさせた。
「あの、よろしければ宮へおいでくださいませ。皇子にも会わせとうございます」
「姫様、なりませぬ、訳のわからぬ輩を宮へなど」
「いいえ、この方たちは本物の一言主の神様のお使いです。ぞんざいにしてはなりませぬ」
「ならば、神様の使いというのであれば、言ってみよ。姫様がこの先どうなられるのか」
「姫様、とは? 」
私の問いかけに、傍にいた女がキッとなる。
「無礼な。この御方は、大君の皇女で、皇太子妃の」
「もう皇太子妃ではないわ」
姫様と呼ばれる女性が遮る。
「名乗りもせずに失礼いたしました。吾は鸕野讃良皇女、先ほど皇太子の位を返上した大海人皇子の妃にございます」
…………。
ひええええ〜っ?
思わず声をあげそうになって口を塞いでると、高橋君が小声で聞いてくる。
「誰? 」
「鸕野讃良皇女といえば、飛鳥時代の天智天皇の娘で、後に天武天皇になる大海人皇子と結婚して皇后になって、天武天皇の死後には持統天皇となる人だよお」
万葉集専門の私だけど、それくらいのことは知ってる。
「それってすごい人? 」
「飛鳥時代の超重要人物! 」
「てことは、今は飛鳥時代ってこと? 天皇? え? なんでそんな人がここにいるの」
高橋君がゴニョゴニョ言ってると、男の声が飛ぶ。
「何をコソコソしている」
「いや、その」
「さあ、申してみよ。神様の使いと言うのであれば先のことがわかるのであろう」
逃げられそうにない。どうしようか。
「えっと、ちょっともうわからない」
高橋君はパニクっててマジ役に立たない。
ちょって待って。今、もう皇太子妃ではないと言ったね?
鸕野讃良皇女の夫、大海人皇子は天智天皇の弟で、天智天皇時代に皇太子に任命されたんだよね。だけど天智天皇は本当は自分の息子を皇嗣にしたかったから大海人皇子が邪魔で、それで命を狙われた大海人皇子は、皇太子の地位を返上して出家して吉野に隠棲したんだよね。で、吉野宮から兵を挙げて壬申の乱を起こすんだよね。
詳しいことは知らないけど、天皇になった大海人皇子が吉野に隠棲した時を思い出す歌が、万葉集に確か……。
いや、歌は思い出さなくていい。今はそんな状況じゃない。
ということは、ここは吉野だし、大海人皇子が皇太子の地位を返上した直後くらい? もしかしてこれから壬申の乱が起きる? そんな状況?
「それは」
私は手で軽く制して、落ち着いた顔をして彼らに向き合う。
「神々だけが知っていることを、人に伝えてはならない決まりがある。況してや先のことなど」
皇女の顔に翳りがよぎった。
「吾は……、吾は不安なのです。吾らがこれから成すことが、本当に正しいのでしょうか、吾の心は不安でいっぱいです」
ええ? だから、これから何をしようというの? 壬申の乱を起こすこと? いや、それしか考えられないけど。
「姫様、なりませぬ」
男が声を上げる。
「ええ、わかっています。……では今、吾が心の中に思います。それが正しいことなのかどうか、それだけをお教えください」
ムチャだ。心の中なんて、わかるわけないじゃん。神様じゃないんだから。ムチャ振りにもほどがある。
「…………」
姫様が目を閉じ、胸に手を当てる。
……でも、きっと、壬申の乱のことだよね? たぶん、これから挙兵していいのかってことだよね? それでいいんだよね?
言っちゃうよ? い・い・ん・だ・よ・ね?
「……多くの民は」
三人と、ついでに高橋君が息を呑む。
緊張する。違ってたらどうする?
どうにでも取れる曖昧な言葉でお茶を濁そう。
「民は、大海人皇子に期待をしている。皇女は皇子を支え、ご自分の信じた道を行くがいい。危機に陥ったら神に祈りなさい。神が守ってくださるでしょう」
パッと、皇女の顔が明るくなった。
「ありがとうございます」
ふう〜。
「では、宮へ戻りましょう。ええと、お二方のことは何てお呼びしたら? 」
「私のことはユリカとお呼びください」
「……リク、です」
「さあ、ユリカ様、リク様、ご一緒に」
皇女は、木々の間を縫う道を歩き始めた。
男は苦い顔をしているが、何も言わず私たちの後ろに着いた。
「ねえ、さっきのどういう意味? 」
歩きながら高橋君が聞いてくる。
私は後ろにいる男が気になって小声になる。
「後で説明するから」




