第一話・タイムリープ
「ねえねえ、知ってる? 奈良県吉野町の桜木神社、満月の日の日暮れ時に神社の橋を渡るとタイムリープができるんだって」
大学一年の冬、大学の学食で友人の森ちゃんが言い出した。
「いきなり何の話よ? 」
森ちゃんは歴史研究サークルの会員だ。私は彼女に誘われてサークルに入ったものの、団体行動が得意じゃなくてほとんど出席しない不真面目な会員となっている。
「ユリカ、奈良方面、詳しいじゃん。知ってるかなと思って」
「何、それ、都市伝説? 」
女子友の美咲ちゃんも聞く。
「タイムリープとか、SFの世界でしょ。実際に誰かやった人いるの? 『友人の友人が』パターンじゃないのぉ? 」
「それがさ、これとか」
そう言って、森ちゃんはスマホを見せた。ミステリー誌の記事だ。
「男の人が日暮れ時に吉野の桜木神社の橋を渡ったら、昔の日本にタイムリープしたんだって。昔から『満月の日暮れ時に吉野の桜木神社の橋を渡ると神隠しに遭う』っていう話もあったらしいよ」
私も記事を読んでみる。
当時大学生だった男性が満月の日暮れ時に吉野の桜木神社の橋を渡ったら、現代の吉野神社と違う、飛鳥時代のような吉野に迷い込んだ話だった。
辺りは田畑と舗装されていない道で、大きな建物の門前では昔の格好をした門番に怪しまれ追い返され、再び桜木神社の橋を渡ったら、現代に戻ってこられた、という。
現代に戻って調べたら、確かにその辺りに吉野宮があって、門番の服も飛鳥時代のものと似ていたとか。
「ふうん、飛鳥時代ねえ」
「ね、すごくない? 」
「うん、すごく胡散臭い」
「え〜」
「写真を撮ってないっての、嘘臭いじゃん。普通、写真撮るでしょ、そんなんだったら」
「でもさ、この記事に、自分も経験ある、って言い出した人たちが結構いてさ」
「それもネットあるあるだよ。自分も経験あるかも、って自己暗示にかかる人とか、インプ稼ぎの便乗系の創作とか」
「じゃ、森ちゃん、試してみれば? 」
美咲ちゃんが冷やかすような目をした。
「そうなの。それでね、サークルの合宿で行ってみようって話になって、ユリカ、一緒に行かない? 」
「断る」
「いいじゃん。美咲ちゃんも特別参加で」
「えー」
「だが断る」
「もう、付き合い悪」
・ ・ ・
私、本庄百合香は万葉集研究が趣味だ。休日には万葉集と縁のある史跡や古い神社仏閣を巡ったり、万葉集を読んで研究している。いずれはWEB上の投稿サイトとかで万葉集考察を公表したいと思っている。
私が万葉集好きになった原因は、たぶん母方の歴史好きの祖父の影響だと思う。
祖父の家は奈良県大和郡山市にあり、その辺りには古代日本の遺跡や資料館があちこちにあって、祖父も自然と歴史に詳しくなったらしい。
「じいちゃんが子供の頃は、その辺で新しく建物建てようとして土を掘り返すだろ、その度に昔の土器とか古銭とか出てくるんだよ。よく友だちと拾いに行ったもんよ」
幼い頃から何度も聞かされた話だ。
お正月に祖父母の家に行くと、歳の近い従兄弟とカルタをするのが恒例行事だった。両親が離婚してからもそれは変わらなかった。
子供は従兄弟二人と私、大人は祖父母や母、伯父伯母が参加する。
伯母か祖父母が読み、私たちが札を取る。ちゃんと点数をつけて、数回やって一番点数が低い人が負け、負けの人はみんなにお菓子を奢らなければならない。
一度だけ、小学生の頃、私が負けになったことがある。祖母と一緒に近所の和菓子屋さんに行って、お年玉からみんなの分の和菓子を買うのだ。
でも結局、その時は祖母がお金を出してくれた。まあ、大人たちは本気で子供からお金を取ろうと思っていなかったということなんだが。
小学生の頃は『いろはカルタ』や『百人一首』の坊主めくり、成長するにつれ『百人一首』の札でやるようになった。
高校生になると従兄弟は友達と出かけたりするようになってカルタをやらなくなったのだが、私は中学高校時代は百人一首にハマって、大学生になった今は万葉集を研究している。
・ ・ ・
「さあ、ユリカ、吉野へ行くわよ」
「はいはい。森ちゃん、今朝も元気ね」
私は大学一年の終わりの春休み、歴史サークルの春合宿で奈良県吉野町へ行くことになった。
誘いを断っていた私が、なぜ行くことになったかと言うと
「女子が足りないの、お願い」
と森ちゃんに頼み込まれたからだ。
今回の春合宿のメンバーは、男子五人、女子二人だったのだが、一緒に参加する女子、中村さんは、サークルの先輩と付き合っていて、必然的に森ちゃんはひとりぼっちになる。そこで私が無理やり呼ばれた感じだ。
タイムリープした時のために、旅行セットの他にカロリーメイトとポカリのペットボトルをリュックに入れた。カメラはスマホで充分だろう。
というか、タイムリープなんて思いっきり疑っているんだけど。みんな、本気で信じてるのかなあ?
吉野へは京都まで新幹線、京都から特急で橿原神宮前まで行く。
祖父母が住む大和郡山を通り過ぎる。この辺りは来たことがある。どうせなら行ったことがない場所に行きたかったな。
橿原神宮前駅付近で昼食をとり、レンタカーを借りて吉野へ向かう。
吉野へ向かう車中で、みんなの歴史談義が始まった。
「例の記事が言っているのは桜木神社付近の吉野宮だけど、昔から天皇の別宮として知られている吉野宮は二カ所ある。さあ、ここで問題。何天皇と何天皇でしょう」
とサークルの部長、原先輩。
「はいはい、後醍醐天皇と」
「天武天皇と持統天皇夫妻」
「いや、天武天皇の吉野宮は他の天皇でも有名だよ。天武天皇の母親の斉明天皇の時も、聖武天皇も」
「でもその前からずっとですよね。応神天皇や雄略天皇も吉野行幸したんですよね」
「その辺はどうだろうね。作り話かもしれないし」
正直言って、こういう雰囲気、苦手なんだよね。万葉集の歴史研究も史跡巡りも基本的にひとりでマイペースでやるのが好きだし。いるでしょ、スポーツでもチームプレーが好きな人と、ひとり競技が好きな人。
森ちゃんはその辺を理解してくれてて、なんとなく間に立ってくれるありがたい存在だ。
「どうした? 本庄さん、車酔いした? 」
ずっと黙っている私に、原部長が声をかけてくる。
ピコーン。その手があった。
「ええ、少し」
「どっかお店寄って休もうか? 」
「いえ、大丈夫です。すみません」
ふはは。これで私は、喋りたくない時は車酔いを口実にする技を手に入れた。
都内の自宅から大和郡山市のじいちゃんちまで母が運転する車で行っても、乗り物酔いというものに全く縁がない私だが。
「吉野宮といってまず人々が思い出すのは、後醍醐天皇が南朝を開いた吉野宮だよね。桜の名所として有名な吉野山にある」
「確か、後醍醐天皇は、現在の吉水神社と金峯山寺境内、金輪王寺に『南朝の皇居』を作り、吉野行宮と定めたんですよね。如意輪寺の裏山には後醍醐天皇の御陵があったりして」
「そうだね。一般的に吉野といえばそっち方面を言うけどね」
「でもこれから行く吉野宮は桜木神社の近くで、そこから数キロ離れてるからあんまり観光客も多くないほうの吉野宮。飛鳥時代、古人皇子や大海人皇子など、政権から疎まれた皇子たちが隠棲した吉野宮だから」
「天武天皇の話は有名ですよね。大海人皇子時代に壬申の乱の直前に吉野宮に隠棲し、そこから出陣したっていう」
「天武天皇の皇后であり、後に即位した持統天皇も吉野が好きでしょっちゅう行幸していたことで有名だよ。飛鳥から近いから、吉野宮は多くの天皇に愛されてたんだよね。持統天皇の孫、文武天皇、その子の聖武天皇の時代にも立て直したりしている」
「へえ。それなのに今は宮の跡が残ってないんですか? 」
「宮の跡どころか、正確な場所も微妙で」
「ありがちですよね。飛鳥奈良時代の遺跡は。すぐに埋めて田畑にしちゃう」
「ははは」
みんなが盛り上がってるところ申し訳ないのだが、後醍醐天皇が住んでた吉野宮と違い、飛鳥時代の吉野宮はあくまでも『短期滞在用の別荘』だ。万葉集の中でも吉野は別荘や旅行感覚の歌が多いもの。運良くタイムリープできたとしても天皇と会える可能性は低いんじゃないかって思う。
「そろそろ吉野だけど、橋は何時に渡ればいいんだっけ? 」
運転してた先輩が言う。
「満月の日の夕方、タイムトンネルの扉が開くらしいんだけど、申の刻って説と、酉の刻だって言ってる人がいて。本当かどうか知らんけど」
「知らんけど」
「申の刻は十六時、酉の刻は十八時で、広義ではその前後二時間だから、どっち選ぶかで随分違うね」
「ウェブに載ってた体験談では、最終バスの時間間際ってことだから、ええと」
「それ、調べましたよ。宮滝バス停の上市駅行きバス、平日なら十七時一分、土曜は十七時三分、日曜日は無し」
「無し? 無しって何? 」
「文字通りです。この辺りのバスは運行状況が厳しいみたい」
「おお、なかなかの田舎」
「うちの実家のほうもそうでしたよ。みんな車持ってるからバス乗らないんですよ」
「じゃあまあ、とりあえず四時半くらいでやっとく? 」
私たちは夕方まで、かつて吉野宮があったといわれている地域、宮滝にある『吉野歴史資料館』に寄って時間を潰した。桜木神社は『吉野歴史資料館』から歩いても十五分程度、車ならすぐだ。
「この辺りって、静かですね」
森ちゃんが辺りを見回す。
近くには吉野宮跡『宮滝遺跡』という案内板も立っているのだけれど、それだけだ。特に何かがあるわけでもない。
「こんなに歴史的価値がある場所なのに、注目されてない感ハンパないな」
宮滝遺跡付近を通る吉野川は、飛鳥時代の万葉歌人には超有名で憧れの場所だったのに。
明日香村もそうだけど、宮や京の跡地が長い年月を経て田畑になったりして面影もなくなることが多い。
万葉集にあった柿本人麻呂の歌。
「近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ」
壬申の乱で近江朝廷が滅ぼされ京が飛鳥に遷都した今、かつて京として栄えた近江がすっかり寂れて静かだ、という歌だ。
いつ頃の歌かわからないけれど、せいぜい十年、二十年程度で、五十年も経っていなかっただろうに以前の京は既に寂れてしまっていたという。
特に見るべきところもないので、少し早めだけど桜木神社に行く。
「三月とはいえ、まだ寒いね」
「日が落ちると急に冷える」
ライトダウンを着てきて正解だった。
「日暮れには少し早いけど、そろそろ試してみようか」
原部長の言葉に、みんな頷く。
「じゃあ、二人ずつペアになって」
「五分毎に道路から数段の石段を降りて木末橋を渡り、神社の境内に入ることにしよう」
まず、午後四時三十分に田中先輩と中村さんカップルが仲良く手を繋いで橋を渡って行った。
私とペアを組む高橋君はその様子の動画を撮影する。
「何もないみたいだね」
私たちはスマホの時計を確認した。四時三十五分になった。
「じゃ、僕らも行こうか」
私が先を歩いて、後ろから高橋君がスマホで動画撮影しながらついてくる。
「では、これから桜木神社の木末橋を渡ります」
すぐ後ろで高橋君の実況の声がする。
「今のところ特に変わった様子はありません」
何も起こらないまま、私たちは橋を渡り切った。
「どう? 」
渡った先に田中先輩たちがいた。
「全然何も」
高橋君が撮影を止める。
その後、他のメンバーも橋を渡ってきたけれど一様にみんな何事もない顔をしている。
夕暮れが迫る中、私たちは桜木神社の境内を見て回った。人が多くなくて静かで心落ち着く。御神木の杉の木があったり、どこからか梅の花の香りがして、横を流れるせせらぎの音も心地よい。
確かに、こんな場所なら万葉歌人たちが歌を詠みたくなる気持ちはわかる。
「落ち着くわぁ」
「癒されるね」
「タイムリープはできなかったけど、これはこれでいいかもね。穴場発見」
お参りを済ませ、私たちはまた橋を渡って道路へ戻った。
駐車場へ向かう途中、私は急に思い出した。
「しまった、御朱印、申し込んでくるの忘れた」
「あ、僕も」
桜木神社は普段は無人だ。御朱印は、申し込み用紙に書いて置いてくると、後日送られてくるシステムだ。
高橋君と一緒に慌てて桜木神社に引き返したら、ちょうど神主のような男性が木末橋の入り口に鎖をかけるところだった。
「すみません、忘れ物しちゃって」
「急いでね。日が落ちてからお参りすると神隠しにあうから」
「はい」
神隠しって? あれ? さっき、神社の人いたっけ?
「せっかく来たんだもんな。記念に」
リュックからお財布を出しながら、高橋君と一緒に急いで橋を渡る。
橋を渡り切る手前で、リュックのキーホルダーの勾玉が光った気がした。
「ちょっと待って、何か光っ」
高橋君が私の腕を掴んだ。
「何」
と、振り向こうとした途端に目の前が真っ白に眩くなり、私は一瞬目を閉じた。
目を開いた時には、目の前の神社が消えていた。




