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第1話 毒の薬師は追放される


 王城の大広間に、冷たい声が響き渡った。


「リーゼル・フォーゲル。本日をもって、そなたとの婚約を破棄する」


 玉座の隣に立つ王太子カイル・ヴァイスブルクは、金の髪を揺らしながら宣言した。サファイアの瞳には、かつて私に向けられていた温もりの欠片もない。

 大広間に居並ぶ貴族たちがざわめく。だが、誰一人として異を唱える者はいなかった。


「偽りの聖女として宮廷を欺いた罪は重い。王都からの追放を命じる」


 偽りの聖女。

 その言葉に、私は小さく笑ってしまった。


「……何がおかしい」

「いえ。私が偽りならば、殿下がこの五年間、私の調合した解毒薬で何度命を救われたか、お忘れになったのかと思いまして」


 大広間が静まり返る。

 私はこの五年間、宮廷薬師として働いてきた。毒と薬は表裏一体──それが私の信条だ。猛毒を知り尽くすからこそ、あらゆる毒に対する解毒薬を作れる。暗殺未遂が三度。いずれも私の薬がなければ、カイル殿下は今この場に立っていない。


「黙れ! 毒を扱う者に聖女の資格などない!」


 声を荒げたのは、カイルの側近であるハインリヒ侯爵だった。


「真の聖女はこちらにおわす。マリアンヌ様こそ、光の加護を受けた正真正銘の聖女だ」


 ハインリヒが恭しく手を差し伸べると、その奥から一人の少女が進み出た。

 マリアンヌ・エーデルシュタイン。半年前に突如として〈光の聖女〉の力に目覚めたという男爵令嬢だ。亜麻色の髪に翠の瞳、どこか儚げな笑みを浮かべている。


「リーゼル様、ごめんなさい……。私のせいで、こんなことに……」


 涙を浮かべながらそう言うマリアンヌを、カイルが庇うように抱き寄せる。


「マリアンヌは何も悪くない。悪いのは毒を弄び、聖女を騙った女だ」


 ──ああ、そういう筋書きか。


 半年前からの違和感が、すべて繋がった。

 私の薬室から薬草の在庫が減り始めたこと。私の調合記録が書庫から消えたこと。そしてマリアンヌが「奇跡の治癒」を見せるたびに、私の薬棚から特定の薬が消えていたこと。


 つまり──マリアンヌの〈光の治癒〉の正体は、私の調合した治癒薬だ。


 だが、それを今ここで告発したところで、誰が信じる? カイルはすでにマリアンヌに心を奪われ、貴族たちはこぞって新しい聖女に群がっている。


「……分かりました」


 私は深々と一礼した。


「婚約破棄、謹んでお受けいたします」


 ざわめきが広がる。抵抗もなく受け入れたことに、誰もが驚いているようだった。


「ただ、一つだけ申し上げておきます」


 顔を上げ、カイルの目をまっすぐに見据える。


「殿下。くれぐれもお身体にはお気をつけて。私の解毒薬の処方を知る者は、この宮廷にはもう一人もおりませんので」


 カイルの目が一瞬、揺れた。だが、すぐにマリアンヌが彼の腕に縋りつく。


「大丈夫ですわ、カイル様。私の聖なる光があれば、どんな毒も浄化できます」


 カイルは安心したように頷いた。


「……そうだな。もう、毒の女など必要ない」


 その言葉を最後に、私は大広間を後にした。

 五年間通い続けた薬室に戻り、最低限の荷物をまとめる。調合器具一式、乾燥させた薬草の種、そして母から受け継いだ一冊の薬草図鑑。


「リーゼル様!」


 薬室の扉が開き、老人が息を切らせて飛び込んできた。宮廷薬師団の長、ギュンター師だ。


「師匠……」

「聞いたぞ。なんという愚かな……! わしが陛下に掛け合う。まだ間に合う」

「いいえ、師匠。もういいんです」


 私は首を横に振った。


「正直に申し上げると──少しだけ、ほっとしているんです」


 宮廷に縛られた五年間。毒を扱うという理由で遠巻きにされ、それでもカイルのために、この国のために働いてきた。だが、報われることはなかった。


「師匠。〈蒼月草〉の栽培記録と、第七級解毒薬の調合手順書は、薬室の二重底の引き出しに入れてあります。もし……もし万が一のことがあれば、使ってください」


 ギュンター師は唇を噛み締め、そして深く頭を下げた。


「……すまぬ。この老いぼれが不甲斐ないばかりに」

「師匠には感謝しかありません。どうかお元気で」


 最後に抱擁を交わし、私は宮廷を出た。


 王都の門をくぐり、街道を歩く。振り返れば、五年間を過ごした白亜の王城が夕陽に染まっていた。


 ──もう、振り返らない。


 胸の内で一つ、決意が固まる。

 母が遺してくれた薬草図鑑には、王都では見つからない幻の薬草がいくつも記されている。その多くが自生するのは、大陸の東端──辺境のヴァルトハイム領だ。


「辺境、か」


 誰にも必要とされない場所で、もう一度やり直す。

 毒と薬の知識を、今度こそ自分のために使う。


 そう思って歩き出した私の足取りは、不思議なほど軽かった。


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