いざ講義を受けます!
教室の扉を開けた瞬間、空気が少しだけ変わった。
ざわめきが、ほんのわずかに静まる。
視線が集まるのを感じながら、ミアは何事もないように歩を進めた。
レメナも自然に隣を歩く。
まるで最初からそうであるかのように。
(……慣れないなぁ、これ)
内心ではため息。
けれど表情は崩さない。
席に着こうとした、その時。
「隣、いいか?」
またしても、あの声。
ミアは一瞬だけ固まった。
(いや早くない!?)
振り返ると、当然のようにレオンハルトが立っている。
「もちろんです」
反射で答える。
もう慣れてきた気がする自分が嫌になる。
レオンハルトは無言で頷き、そのまま隣の席に腰を下ろした。
静かだ。
無駄がない。
そして——近い。
(圧が強い……!)
横から感じる存在感に、ミアは内心で悲鳴を上げる。
だがその時。
「じゃあ私はこっちね」
レメナが反対側の席に座った。
さりげないフォロー。
(神……)
心の中で全力で感謝する。
「本日は魔法理論の応用講義です」
教師の声が教室に響いた。
ちょうどいいタイミングで授業が始まる。
ミアはほっと小さく息を吐いた。
「では——」
教師が黒板に魔法式を書き始める。
複雑な構造式だった。
魔力の流れをじっくりと考える。
一般的な学生には少し難しい内容だ。
……が。
(あーこれ昨日やらかしたやつだ)
ミアの脳内では、既に答えが出ていた。
昨夜の“練習”で。
派手に。
思いっきり。
「この式を安定させるにはどうすればいいか、分かる者はいるか?」
教室が静まる。
誰も手を挙げない。
当然だ。難しいもん。
ミアは手を挙げるか少しだけ迷った。
(どうしよう……)
答えは分かる。
昨日の失敗を踏まえてるから。
でも——
(目立ちすぎるのもなぁ……)
ちらっと横を見る。
レオンハルトが腕を組んで考え込んでいる。
その表情は真剣そのものだった。
(……うん、やめとこ)
今回は見送ろう、と決めた瞬間。
「……一点、修正が必要だな」
レオンハルトが静かに口を開いた。
すっと手を上げながら彼はそう言い放つ。
「魔力の流れが不安定になる原因は、第三式の接続が曖昧だからだ。ここを——」
すらすらと説明が続く。
的確で、無駄がない。
教室の空気が変わる。
「ほう……」
教師が感心したように頷く。
「素晴らしいです。ほぼ正解だ」
(ほぼ?)
ミアの眉がわずかに動いた。
レオンハルトの説明は確かに正しい。
でも——ほんの少しだけ、足りない。
(そこじゃなくて、こっちだよね……私も昨日それで失敗したんだよぉ)
ミアの中で、補足が組み上がる。
自然と口が開きかけた。
(いやまて)
——あっぶねぇ。
目立たない方がいい。
そう思った、んだけどなぁ。
「……補足、よろしいでしょうか」
気づいた時には声が出ていた。
(あ……)
やってしまった。
(王子の面目を潰したとか言われたらどうしよう…)
だが教室中の視線が一斉にミアに向く。
レオンハルトも、ゆっくりとこちらを見た。
逃げ場はない。
ミアはにこりと微笑む。
「第三式の接続も重要ですが、それだけでは安定しません」
ゆっくりと立ち上がる。
頭の中で、昨夜のことを思い出しながら答える。
「むしろ問題は、その後の循環です」
黒板に歩み寄り、チョークを取る。
さらさらと式を書き加える。
「ここで魔力を一度分散させてから再収束させることで、全体の均衡が保つことができます」
止まらない。
言葉も、手も。
完全に“楽しくなっている”。
「そうすれば、出力を上げても暴走のリスクは抑えられます。昨日の私の――あ,,,」
——おっと危ない。あやうく全部言うとこだった…
説明がひと段落したところで、ミアはみんなの方を振り返ってやり切ったかのような笑顔を浮かべる。
だが――
教室は静まり返っていた。
教師は目を見開いている。
レメナは呆れたように片手で顔を覆っている。
レオンハルトも、わずかに驚いたようにミアを見ていた。
「……見事」
ぽつりと、教師が呟く。
「そこまで理解しているとは」
ミアは軽く一礼する。
「恐れ入ります」
席に戻る。
その途中——
レオンハルトと、視線がぶつかった。
「……」
ほんの一瞬の沈黙。
そして。
「興味深いな」
小さく、そう言われた。
(ひいいぃぃぃ…しゃべった…)
ミアは心の中でそっと頭を抱えた。
隣に座ると、レメナがこっそり囁く。
「目立たないって言ってなかった?」
「言ってた……」
「楽しそうだったよ」
「だって楽しかったもん……」
小声で反論する。
レメナは呆れながらもくすっと笑った。
前では授業が続いている。
でもミアの意識は、少しだけ別のところにあった。
(……まあいいか)
小さく息を吐く。
少しくらいなら、いい。
どうせ——
(隠しきれるほど、器用じゃないし)
そう思いながら、ミアは再び黒板に視線を戻した。
その横で。
レオンハルトは静かにミアを見ていた。
まるで——
何かを確かめるように。
授業が終わったのは、それからしばらく後のことだった。
「本日はここまで」
教師の声と同時に、教室の空気が一気に緩む。
ざわざわとした会話が広がり、緊張していた空気がほどけていく。
ミアも小さく息を吐いた。
(はぁ……なんとか終わった……)
——いや、終わってない。
隣からの視線が、まだ残っている。
「ミア・クランツベルン」
名前を呼ばれる。
(ちっ…だりいなこいつ…)
ゆっくりと顔を向ける。
「はい、何でしょうか?」
完璧な微笑み。
内心とは裏腹に、落ち着いた声。
レオンハルトはしばらくミアを見つめていた。
その視線は鋭いが、敵意というよりは——
“確かめる”ようなものに近いような気がする。
「先ほどの理論」
「どこで学んだ?」
直球すぎる質問だった。
(え、そこ!?)
一瞬だけ思考が止まる。
だがすぐに、言葉を組み立てる。
「独学です」
にこりと微笑む。
「書物をいくつか拝見しているうちに、興味が湧きまして」
嘘ではない。
ただし、“どんな書物か”は言っていないだけだ。
主に魔族側の秘術書だけど。
「……独学、か」
レオンハルトは小さく繰り返す。
納得した様子ではない。
だが、否定もしない。
「失礼ながら」
続ける。
「その理解度は、通常の範囲を超えているように見えた」
「お褒めいただき光栄です」
「褒めているわけではない」
「では?」
「警戒している」
即答だった。
(めっちゃ正直に言うな…)
ミアは心の中で思わずツッコむ。
だが表情は崩さない。
「まあ、怖いですね」
軽く冗談めかして返す。
「私、何か悪いことでもしてしまいましたか?」
「そうは言っていない」
レオンハルトは首を横に振る。
「だが——」
一瞬だけ、言葉を区切る。
「力は、使い方を誤れば危険だ」
真っ直ぐな言葉だった。
飾りも、濁しもない。
ただの事実として、突きつけられる。
ミアは一瞬だけ言葉に詰まりかけて——
素直に言葉を受け入れる。
「ご忠告、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。
それ以上は、何も言わない。
言えない。
レオンハルトはしばらくミアを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「……まあいい」
それだけ言って、立ち上がる。
「またな」
短く告げて、教室を後にした。
その背中を見送りながら——
ミアは小さく息を吐いた。
「……つっかれた……」
ぼそっと本音が漏れる。
「お疲れ様」
すぐ横から、レメナの声。
「ね、言ったでしょ?気をつけた方がいいって」
「うん……たしかに……」
机に突っ伏しそうになるのを、なんとかこらえる。
「完全に疑われてるよね」
「うん、まあ…うん」
レメナは苦笑する。
「でもさ」
「なに?」
「ちょっと楽しそうだった」
「どこが!?」
「魔法の話してるとき」
「……」
言い返せない。
確かに、楽しかった。
完全に。
「顔に出てたよ」
「やめて……」
ミアは小さくうめいた。
その時。
「——面白いものを見せてもらったわ」
新しい声が、後ろからかかった。
二人は同時に振り返る。
そこに立っていたのは——
見覚えのない少女。
長くてカールしている金髪をゆるやかに揺らし、どこか余裕のある微笑みを浮かべている。
これぞ貴族というような少女だった。
視線はまっすぐ、ミアへ。
「あなた、ただ者じゃないわね」
そう言って、くすりと笑った。
(……誰?)
ミアは内心で警戒を強める。
だが表面上は、完璧な令嬢のまま。
「お初にお目にかかります」
ゆっくりと立ち上がり、一礼する。
「ミア・クランツベルンと申します」
少女は満足そうに頷いた。
「ええ、知っているわ」
名前を呼ぶわけでもなく、自然に距離を詰められる。
その動きは、どこか慣れている。
「私はセリスティア・ルーヴェン」
名乗った。
「少し、お話できるかしら?」
その笑みは柔らかい。
けれど——
どこか底が見えない。
(……ちっ)
ミアは静かに思う。
(早くお家帰って魔法の研究したいなぁ)
それでも
にこり、と微笑みを返す。
「ええ、もちろんです」
逃げるという選択肢はない。
ここから先は——
ただの会話じゃない。
駆け引きだ。
誰にも知られてはいけないものを抱えたままの。
廊下の一角。
人の流れから少しだけ外れた場所に、三人は立っていた。
窓から差し込む光が、静かに床を照らしている。
「改めて——」
セリスティアがゆっくりと口を開く。
「先ほどの講義、とても興味深かったわ」
「ありがとうございます」
ミアは微笑みを崩さない。
だが内心では警戒を最大まで引き上げている。
(絶対ただの感想じゃないじゃん…)
「特に、あの補足」
セリスティアは一歩だけ近づいた。
「普通の教育では、まず出てこない発想よ」
「そうでしょうか?」
「ええ」
断言する。
「少なくとも、この国の標準的な魔法教育ではね」
——探られている。
はっきり分かる。
ミアは一瞬だけ考え、そして軽く首を傾げた。
「では、運が良かったのかもしれません」
「運、ね」
セリスティアはくすりと笑う。
「便利な言葉だわ」
(全然信じてないな…)
当然だろう。
あのレベルの理論を“運”で済ませるのは無理がある。
「クランツベルン家は、どのような教育を?」
さらりと続く質問。
自然な流れに見えて、しっかり核心に近づいてこようとする。
「特別なことは何も」
ミアは即座に答える。
「家庭教師の方々に恵まれておりますので」
「なるほど」
セリスティアは小さく頷いた。
だがその目は、わずかにも緩まない。
「では、その“家庭教師”に一度お会いしてみたいものね」
(それは困る)
内心で即答。
実際に会わせたら、魔族しか出てこない。
「機会がございましたら」
曖昧に流す。
そのやり取りを、少し離れた位置でレメナが静かに見ていた。
口は挟まない。
ただ、状況を見守っている。
「それにしても」
セリスティアは話題を変えるように、視線を少し外した。
「あなた、面白い立ち位置にいるわね」
「と、申しますと?」
「レオンハルト殿下に目をつけられ、なおかつ目立ちすぎないように振る舞っている」
ぴたりと言い当てられる。
(うわ…見られてるんだなぁ)
「器用なのか、不器用なのか」
くすっと笑う。
「どちらだと思う?」
問い返される。
試されているのか。
ミアは一瞬だけ考えた後——
「どちらでもないかと」
穏やかに答えた。
「ただ、自分にできることをしているだけですわ」
無難で、しかし完全には逃げていない答え。
セリスティアは少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
ほんのわずかに、興味が深まったような表情。
「あなた、ただ隠しているだけではないのね」
(……鋭いなぁ)
ミアは内心で苦笑する。
この相手は、表面だけでは誤魔化せない。
「隠すことも、生きる術の一つですわ」
軽く返す。
「ええ、そうね」
セリスティアは素直に頷いた。
「特にこの国では」
その言葉に、ほんの一瞬だけ空気が変わる。
重くはない。
けれど、軽くもない。
「……あなた」
セリスティアがふと、少しだけ声を落とした。
「魔族について、どう思う?」
(またその質問!?)
内心で叫ぶ。
今日は二度目だ。
しかも相手が違う。
レオンハルトは“自分の正義”からその質問をしてきた。
セリスティアは——
(たぶん、利益とか情報とか、その辺)
タイプが違う。
だからこそ、答えも変える必要がある。
ミアは一拍だけ間を置いた。
そして——
「理解が足りていない存在、でしょうか」
ゆっくりと答える。
「……ほう?」
セリスティアの目が、わずかに細くなる。
「人間側も、魔族側も」
続ける。
「互いを知らないまま、決めつけている部分が多いと感じます」
嘘ではない。
本音でもある。
だが——全部は言っていない。
「……面白い答えね」
セリスティアは少しだけ笑った。
「否定も肯定もしない」
「その方が安全ですので」
さらっと返す。
一瞬、沈黙。
そして——
「気に入ったわ」
あっさりと言った。
「え?」
思わず素が出る。
すぐに咳払いして誤魔化す。
「それは……光栄です」
「ええ」
セリスティアは満足そうに頷いた。
「少なくとも、退屈はしなさそう」
くるりと踵を返す。
「またお話ししましょう、ミア・クランツベルン」
振り返らずに手を軽く振る。
「今度はあなたのお屋敷でね」
そのまま、自然に人の流れの中へ消えていった。
しばらくして——
「……はぁぁぁ……」
ミアはその場で小さく崩れた。
「無理……あの人無理……」
「お疲れ」
レメナが苦笑しながら近づいてくる。
「どうだった?」
「めっちゃ探られた……」
「だろうね」
予想通り、という顔。
「レオンハルトよりやばいかも」
「タイプ違うけどね」
レメナは肩をすくめる。
「どっちも怖いんだけど……」
ミアは本気でそう思った。
けれど——
(……でも)
ほんの少しだけ、感じる。
(ちゃんと見てる人はいるんだな)
敵か味方かは分からない。
でも、ただの飾りじゃない。
そういう相手がいる。
「ねえミア…」
「なに?」
「楽しくなってきた?」
「……ちょっとだけ」
素直に答える。
レメナはにっと笑った。
「でしょ!」
その言葉に、ミアも小さく笑い返した。
気づけば——
この学園は、ただの勉強の場ではなくなっていた。
思惑と秘密が交差する場所。
そして——
少しだけ、世界を変えるきっかけになる場所に。




