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一ノ瀬英一のおバカ譚  作者: 八野はち
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86/93

84話「月野さくら」

 そして少しの打ち合わせをはさみ、ぶっつけ本番へ。


 子供たちの歓声が響き渡る中、ブザーが鳴り、幕が上がる。




「ううう。さっきの怪人との戦いで使用した必殺技の副作用でお腹が痛い。あの『うんこぶりぶりパンチ』は絶大な威力を誇る代わりに、術後強力な腹痛を引き起こすという代償があるのが困る所だ」


 俺ことうんこまんは住処であるトイレに座り込み、しゃがんでいた。


「ぎゅるるるるる~」

「おっ、お腹が痛すぎるっ。こ、これはなにか中で起きているのではないか?少し見てみるとしよう」

「分裂うんこまん!からの!ミニミニうんこまんモード!」


 俺が叫ぶと、舞台が暗くなり、スタッフが背景の小物を交換していく。


「とうっ!」




 照明がつくと、そこはお腹の中だった。


『説明しよう。うんこまんは分裂することで何体にも別れることができる。その上、縮んで小さくなることも可能だ。こうして小さくなった体で自分のお腹の中に入り込み、体の中の様子を見に行ったのだ!』


 解説が流れる。


「よし。この大腸の中でいったい何が起きているのか探索してみよう」


 俺はぶにぶにの大腸の中を歩いてみる。


 すると、なにやら異臭がしてきた。臭いをたどると、なにかがいる。


「おい。君はなにものだ」

「あん?」


 振り返ったのは、茶色い顔面に奇抜な顔のやまんばのような生き物だった。


「なぜこんな所に怪人が!おのれ!怪人人食い砂かけババアめ!」

「誰が人食いの砂かけババアだ!もはや妖怪じゃねえか!ていうかそれはセリフになかっただろうが!勝手に作んな!」


 月野、もとい怪人がツッコむ。


「それならなにものだ!」

「あたいは善玉菌だよ」

「嘘を吐け!そんな黒い顔面のやつが善玉菌なわけあるか!悪玉菌だろ!怪人みたいな顔して!」

「ほっとけ!こんな善玉菌もいるんだよ!」


  怒る善玉菌もどき。






『善玉菌と悪玉菌について説明しよう。善玉菌とは、腸内でいい働きをする存在で、健康維持にはたらきます。悪玉菌の増殖をおさえてくれます。いわば正義の味方です。悪玉菌とは、腸内で悪い働きをする存在で、有害物質を発生させたり、便臭を悪化させたり、便秘や病気のリスクを高める悪い存在です。ちなみに日和見菌という、悪玉菌と善玉菌の優生の方につき、両方の味方になりうる存在もあり、比率は2;1;7が理想とされているよ』




「じゃあなんていう善玉菌なのか言ってみろ!」

「な、納豆菌だよ」

「ああ~。すまなかった。どうりで臭いわけだ。その顔の色、納豆で間違いない。すまないすまない。ところで少し離れてもらっていいかい?」

「うんこが言うんじゃねえ!てめえの方が臭いし茶色いだろうが!納豆は臭いけどおいしいんだよ!大体てめえどこから入ってきやがった!」

「え?肛門からだけど」

「うんこが逆流すんじゃねえ!汚えんだよ!てめえだけだよ肛門から入ってくんのわ!みんな口から入って来るわ!どの口が臭いだの言ってんだよ!」


 怒る納豆菌。


「まあ落ち着きなよ。落ち着いてヨーグルトでも食べな」

「乳酸菌食ったら共食いになるわ!同じ善玉菌だよ!」

「よしじゃあがん細胞ちゃん。名前は何ていうんだい?」

「悪化してんじゃねえか!悪玉菌より質悪いわ!善玉菌だっつってんだろうが!」

「失礼間違えた。納豆菌ちゃん。名前は?」

「みんなからはなっちゃんって呼ばれてる」

「じゃあなっちゃん。一緒に悪玉菌を倒しに行かないか」


 嫌そうな顔を浮かべるなっちゃん。


「おい。そんな顔するシーンじゃなかったはずだぞ」

「イーヨイッショニイコウ」

「棒読みすぎる」


 というわけで二人で悪玉菌を倒すべく腸内を周る。





「えっさ!ほいさ!」

「えっさ!ほいさ!」


 しばらく行くと、二匹の黒いしっぽに黒い触覚の生えた生物が楽しそうに腸を汚してガスを発生させていた。




「おい!そこの二人!何をしている!」

「なんだお前は~。うんこみたいな顔しやがって」

「なにって、この体を弱らせてお腹くださせて毒素をばらまいてるに決まってんだろ~」


 二匹がにやにやしながら言う。


「てめえらかいつもいつも俺のお腹で暴れて毎日毎日俺を苦しめてんのは!俺がどんな気持ちで神様に祈ってるか分かるか!ぜってえぶっ殺してやっからなあ!」

「おいおいおい!落ち着け!そんなセリフねえだろうが!何をマジギレしてんだ!やつあたりすんな!大体お前がお腹壊すのは技の反動っていう設定だろうが!お前の腹痛はお前の体質のせいだろ!」


 月野に揺すられはっとする。


「んんっ。失敬。人のお腹で悪さを働くようなやつらは成敗してくれる!くらえ!うんこぶりぶりパンチ!」


「「ぐあああああああっ!」」


 二匹の悪玉菌が倒れる。


「あれ?これってたしか、使ったら反動でお腹痛くなるんじゃなかった?」


「……」


「ぐおおおお腹が痛くなってきたあ」


「そしたらお前また悪玉菌倒さないといけないから無限ループだぞ」


「ばっかお前なんで言うんだよ。そこはスルーして進めんだよ。脚本が可哀想だろ」


「人のせいにすんな。お前が技名間違えたんだよ。そこはうんこスマッシャーだろ」


「いやいや俺のせいじゃないから?大体うんこスマッシャーなんか使ったら腸に穴開いてまたお腹痛くなるし。ここはパンチがいいんだよ」


『ちょっと二人ともアドリブ入れすぎだから!うまくカバーして!』


「何っ⁉今のは俺の技が当たる前に臭すぎる納豆臭でやられていただと⁉恐るべき体臭だなっちゃん!よっ!風呂入れ!」


「クソみてえなカバーしてんじゃねえぞ!何を人のせいにしてんだ!あたいこう見えて女の子だぞ⁉大体うんこに言われたくねえんだよ!お前のうんこ臭だろうが!」






 それから大腸を探索していき、戦場のようにたくさんの善玉菌と悪玉菌、日和見菌が戦っている所に出た。スタッフ総出で戦っている。




「おおっ⁉なんかすごい戦ってるぞ!」

「あれが本来あるべきあたいたちの姿だよ。あたいたちは醜くこうやって戦い続ける宿命なのさ」


 悲しそうな顔でそうこぼすなっちゃん。


「……ちょっとついてきてくれないか」

「なんだ?」



 不思議そうについてくる。俺は戦場全体が見渡せる高い所につくと、下の光景を指さす。




「こ、これはっ⁉」


 そこには色鮮やかでカラフルな、多種多様な生物たちがまるで花畑のように映っていた。その画像がスクリーンに映される。


「外の世界ではこの何億種もの菌たちが入り乱れる光景を腸内フローラというんだ。フローラっていうのはお花畑のことだ。きれいだろ?君たちの戦いは無駄なんかじゃない。平和への希望なんだ」

「……終わるのか。本当に」

「終わるさ。そのために俺は来たんだ。よく見ておいてくれ」

「何をする気だ?」

「はーーーーーーーーっ!うんこクリーン破!」


 戦場いったいが光に包まれる。


「な、なんだ⁉」


 納豆菌が身を乗り出して下を見る。


「うぎゃあああああああああああああ!」


 そして、次々と悪玉菌が浄化していく。


「悪玉菌が消えていく⁉」

「そう。これは俺の奥義。悪しきものを浄化する必殺技。ただし二回に一回俺も消えるリスクを伴う」「お前も消えるんかい!そりゃあうんこだもんな!」

「「「うぎゃあああああああああ!」」」


 こうして、長きにわたる善玉菌と悪玉菌の戦いは終わった。


「うんこまん。ありがとう。あたいたちを救ってくれて」

「自分の腹痛を治めただけさ。お礼は要らない」

「あたい言わなきゃいけないことが……」

「なんだい?」

「い、いや、なんでもない」








 そうしてしばらくみんなで騒ぎ続け、数日後。


「おーいみんなもう戦わなくていいんだ。一緒に大乱闘やろうぜー!」

「おっ!いいね!酒持ってくるわ!」



 一週間後。


「今日は朝まで飲み比べ対決だ!」

「負けないぞー!」


 一か月経ってもみんな働かなかった。そして体はどんどん弱っていく。


「みんな!そろそろ働かないとあたいたちの体が壊れちまうよ!」

「そんなこと言われてもなー」

「なんか力が出ないって言うか、やる気が出ないって言うか」

「……っ!」






 ある日納豆菌に大腸の端っこまで呼び出された。


「あたいらはとんでもない間違いを犯してしまったかもしれない」

「なんだい?」

「善玉菌は悪玉菌がいないと働かなくなるんだ。見ての通りこんなだ。これがいつまでも続けばあんたの体は壊れちまう。悪玉菌っていうのは必要な存在だったんだ。あたいらは戦い続ける運命だったんだ。見ろ。あいつらがいないとタンパク質を分解するやつがいなくなって、この体はもろくなっていってる」

「な、なんてことだっ」


 俺は絶句した。そんな悲しいことがあってもいいのか。


「一つあんたに言わなくちゃいけないことがある。ずっと言えなかったんだ。実はあたいは納豆菌じゃない。日和見菌なんだ。あんたと会った時、悪玉菌になりかけて体を壊してた。でもあんたといるうちに心が浄化されて行って、気づいたら善玉菌になってたんだ。だましててごめんな」

「そんなのとっくに気づいてたさ。君は綺麗な心を持った日和見菌だ」

「ありがとうな。あたいが悪玉菌になるよ」

「えっ?」


 納豆菌。いや、日和見菌は真っ直ぐな瞳で見つめてきた。


「誰かがやらなくちゃいけない。あたいが悪玉菌になってみんなを動かす。あんたの体を守らなきゃ。あたいらのためにも。あんたももう外の世界に戻んな。一つだけ言わせてくれ。あんたに出会えてよかった」


 そう言った日和見菌は、体まで黒く染まり始めていて、笑った顔は儚く美しく、まるで泣いているようだった。


「い、いやだっ!待つんだ!まだなにかできることがっ⁉」

「とんっ」


 日和見菌に押された俺は大腸から肛門へとつながる壁に落ちて行った。


「じゃあなうんこまん。次は肛門から入ってくんなよ」

「なっちゃあーん!」




 そのまま外の世界へと戻ってしまった俺は、すぐに戻ろうとするが、思い出す。この技は一年に一回しか使えないことを。




「日和見菌おまえっ!」




 こうして、俺はまた便器に座り込む。




『うんこまんは、それからお腹が痛くなるたびに、苦痛に顔を歪ませながら、なぜか愛おしそうな顔を浮かべるようになったという』。




 ナレーションが流れて幕が下りていく。子供たちと、お母さんたちの涙ぐむ顔と鼻をかむ音が聞こえる。








 舞台裏楽屋。


「「バッドエンドじゃねえか!」」

「いやいや今?うんこまんはたまにこういうエピソードがあるから人気なんだよ」


 俺たちのツッコミに嬉しそうな監督。


「子供たちは楽しむために来たんだよ!泣かせんなよ!」

「一部は笑えて二部は泣ける構成にしたんだよ」

「そ、それはそうかもしれねえけど」


 月野もどこか不満そうだ。


「ていうか君たちちょっと素入ってなかった?最初とかアドリブだらけだったし、ウケてたからいいけど」

「このバカが勝手にボケたんですよ!」

「俺のボケをさばくとはやるじゃねえか。さすが本業お笑い芸人なだけあるな」

「アイドルだわ!いつからネタ枠担当になったんだよ!」

「とにかく本当に助かったよ!二人ともありがとう!これ少ないけど給料ね」


 監督は封筒を差し出す。


「よっしゃあ!これでうんこまんグッズ買うぞお!」

「もっと有意義に使えよ」


 呆れ顔の月野。


「じゃあ本当にお疲れ様!最高の舞台だったよ」

「「おつかれさまでした」」

「よかったらまた引き受けてくれるかい?」

「「それはないです」」


 ハモる俺たちに悲しそうな監督。それを背にカズのところに戻る、





「お前嫌がってた割にノリノリだったじゃねえか」

「引き受けたからには全力でやるに決まってるだろ」


 少し気恥ずかしげな月野。


「でも悲しい終わり方だったな」


 どこか物悲しそうな月野。


「そうか。人生なんてあんなもんだろ」

「お前案外大人なのか?」


 驚いた顔でこちらを見てくる。


「別に。うんこまんはこういうのも含めて大人向けな作品なんだよ」

「まあ少しは分かった気がしたよ」


 話しながらカズがいる席を探す。


「お前カズになんて言って抜けてきたんだ?全部話したのか?」

「まさか。あたいのメイクがバレたら困る。あたいが出るとは言ってねえ。カズにはそういう大人の事情は知らないでいいし。ちょっと用事で抜けるって謝っておいた。お前はうんこだって」

「俺だけ雑すぎんだろ」

「お前はそんなもんだろ」





「お兄ちゃんお姉ちゃん!」


 突然後ろから声を掛けられて振り返るとカズだった。


「二人とも僕を一人にしないでよ!二人してどこ行ってたの!」


 独りで心細かったのか、不満そうな、嬉しそうな顔だ。


「ご、ごめんねカズっ!その、事務所の人に呼び出されて急用だって言うからその」


 歯切れが悪そうに言い訳する月野。


「もう!長いよ!お兄ちゃんもトイレ長すぎ!」

「あ、ああ悪い悪い。うんこまんと同じように俺も戦っていたんだ。ショーはどうだった?」

「すっごく面白かった!一部はすっごく笑えて、二部は泣いちゃったよ!」


 表情豊かに感想を語ってくれるカズ。


「そうか。よかった」

「ほんとカズ⁉」


 嬉しそうな月野。


「うん。でもお姉ちゃん」


 急にカズの声が強張る。


「あの日和見菌の人って、お姉ちゃんだよね?」

「え?」


 唐突な発言に固まる月野。


「ちっ、違うよ。言ったでしょ?お姉ちゃんは事務所に―――」

「分かるよ。毎日聞いてる声なんだから、少し口調が違うくらいで分からないわけないよ」

「っ」


 押し黙る月野。


「別に責めてるわけじゃないんだよ。すっごく面白かったし、楽しかった。でも、どうしても気になって。あの顔は、どういう意味があるの?」

「え?」

「お姉ちゃんが毎日変なメイクして、かつら被って怖いかっこうして学校行ってるの僕知ってるよ。お姉ちゃんもストレスたまってるんだろうなって思ってた。最初はお兄ちゃんの前でだけそんな感じなのかなって思ってた。でも今日あんなかっこうで乱暴ないつもと違うしゃべり方のお姉ちゃん見て僕分からなくなったんだよ!お姉ちゃんがいつも僕の前で見せるのは本当のお姉ちゃんじゃないの⁉お兄ちゃんの前で楽しそうに話すお姉ちゃんが本当のお姉ちゃんなの⁉じゃあアイドルとしてテレビで映ってるお姉ちゃんは何なの⁉どっちが本当のお姉ちゃんなの⁉僕お姉ちゃんが分からないんだ!教えてよ!お姉ちゃんは誰なの⁉」


 息を荒くしてまくしたてるカズ。そして、月野は目を見開いて呆然としていた。


「お、お姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ。ず、ずっと一緒にいたんだから、わ、分かるでしょ?」

「分からないよ!最近のお姉ちゃんは分からない!」

「っ!」



 後ろに退く月野。そして、なにか言いかけて、強く唇をかみしめ、そのまま後ろを向き、走って行った。


「お姉ちゃん!」


 追いかけようとするカズ。


「待ったカズ」


 俺はカズの前に出ると止める。


「お姉ちゃんは俺に任せてくれないか?今日はもう帰ろう。今はお互い冷静に話し合いができる状態じゃないだろ?お姉ちゃんは今いろいろ悩んでるんだと思う。お母さんに電話して迎えに来てもらえ。お姉ちゃんのところには俺が行くから」

「わ、分かった」


 複雑そうな顔でしぶしぶ納得して頷くカズ。


「ありがとう」









 カズを見送ると、俺は月野を探して会場を出た。


 月野の居場所には一つだけ心当たりがあった。そしてその予想は当たっていた。月野はいつもの公園にいた。ブランコに腰かけ俯いていた。


「おい。月野」


 俺の言葉に顔を上げて、すぐにまた俯く。


「なに。今誰とも話したくない。帰って」


 目には涙が浮かんでいた。


「忘れ物だよ」


 俺は月野が落としていったキャップ帽を月野に被せる。


「こんなところ見つかったら困るだろ。悪かったな。バレないから大丈夫って言っておいて、こうなっちまった」

「……別にお前のせいじゃない。どのみちバレてたことだ」


 隣のブランコに並んで座る。しばらく沈黙が続く。


「ダッサいだろ私。弟困惑させて正論言われて、何も言えずに逃げて」

「いくら仲のいい兄弟でも衝突くらいするさ。仲が良ければいいほどすれちがいもする」

「すれちがい?衝突?そんなんじゃないよ。カズの言う通りだ。私おかしいんだよ。

自分で自分が分からないんだ!私は何なんだ?お家では穏やかな性格の女の子で、学校では制服着崩してギャルメイクしてツッパって乱暴なしゃべり方して、仕事ではみんなのアイドルで好かれて、可愛らしくお行儀よくして!カズに言われるまでないよ!ずーっと見て見ぬふりしてきた!でも分かってた!みんなをだまして好かれて、私は世界で一番醜い存在なんだよ!こんな自分が嫌で嫌で仕方ない!」


 自分の胸を抑えながら、たまっていたものを吐き出す。


「ダンスの先生にも言われたよ!『リサちゃんからは自分らしさが見えない』って!学校の先生にも言われたよ!『あなたは自分に自信がないから、個性を少しでも出したくてこんな派手な化粧してみんなの目を引きたいの』って!自分らしさって何なの⁉私は何なの⁉アイデンティティって何⁉誰か教えてよ!私は誰なの⁉」


 心にのしかかっていたものを吐き出し、「はあっ!はあっ!」と荒く息を吐く月野。


「……」


 数分程沈黙が落ちる。


「落ち着いたか?」

「っ!」


 きっとこちらを睨みつけると叫ぶ。


「あんたはいいよね!何の悩みもなさそうで!ただ好き勝手に気の向くままに生きて、バカみたいにふざけてるだけで!あなたには私の気持ちなんて分からない!」

「別に俺だって何も考えずに生きてるだけじゃない」

「じゃあ何を考えてるの!教えてよ!飄々としていつもふざけてるだけでしょ⁉分かったような顔しないでよ!」

「お前のことを分かった気になんてなってない。ただ俺は、何にも縛られずに生きたいだけだ。俺がよく屋上にいくのは、つまんねえ授業から逃げたいからだ。青空が見たいんだ。広くて、自由で、壮大な空は、俺のペースを思い出させてくれる。俺が好き勝手に生きてるように見えるのは、俺が心のままに生きてるからだ。俺は何にも縛られねえ。学校にも、社会にも、校則にも、ルールにも。いつだって、大切にすべきことは分かってる。自分がまだガキだってことも分かってる。それでも、この気持ちだけは、ないがしろにしちゃいけないってことも分かってる。甘えなんかじゃねえ。これが本来あるべき姿だと思ってる。


俺はお前のことそんなに深くは知らねえが、何も知らねえってわけじゃねえ。俺がお前と過ごした時間が、全部偽物のお前だったとは思わない。お前が心の底から怒ってるのか、笑ってるのか、本音で話してるのか、そのくらいは分かる。お前が菅原や荒木と本当の友達だってことも分かる」


「で、でもあたいはっ!最初はストレス解消からあんな恰好やメイク、しゃべり方とか初めて、最初からそうだったわけじゃ――――」


「最初はそうだったかもしれない。でも人は変わるから。徐々に変わって行って今のお前を形成している一部なんだよ。ないがしろにするな。たしかにお前の一部だよ。人間なんて多面的で、変わっていくんだからそんなに難しく考える必要はないぜ。誰かに出会って新しい自分に気づくことだってあるし、なりたい自分になるって考え方だってある。そう考えれば、お家でのお淑やかなお前だってお前だし、時々見せる乙女な一面だってお前だ。アイドルの時のファンのために作った月花リサだってお前の中にいる。俺が知った気になったお前は確かにいるが、きっとこれからも更新され続けていくんだろう。それに結局自分のことは誰にも客観的になんて見れないのかもしれないしな。自然で飾らずにいられるお前がお前だよ。難しく考えるなって」

「……っ!」


 月野は泣きだしそうな、嬉しそうな、困惑したような、複雑な表情を浮かべ、唇をぎゅっと引き結んだ。


「私は、おかしくないの?」

「おかしいわけないだろ。自分が何者かなんて何百年何千年も前からの哲学史のテーマだぜ?ほらよ。鼻水拭きな」


 俺の差し出したものを見てふっと笑う。


「お前はほんとにっ。こういう時はハンカチかポケットティッシュだろ。トイレットペーパー渡すんじゃねえよ」


 受け取ってずびーっと鼻をかむと、そっとしまった。


「でも、ありがとうっ。たしかにそうだよ。あたいはそんなに単純にできてない。あたいの中にはたくさんのあたいがいるのかもしれない。それに、女の子っていうのは複雑なくらいが可愛いんだから」


 そう言って、久しぶりに笑った月野の笑顔は清々しく、晴れやかな笑顔だった。


「ごめんな当たっちゃって。お前って何も考えてないアホに見えて実は色々考えてたり、こだわって生きてたんだな。な、なんか、ちょっとギャップが……」


 心なしか少し頬が赤い。


「そうだぜ。俺はただ無駄にトイレに籠って苦しんでるわけじゃない。哲学的な思考をしながらうんこしてんだよ。最近のテーマはうんこはなぜ茶色いのかだな」

「あははっ。訂正。とんでもないアホだお前はっ」


 清々しく笑い飛ばしたその横顔は、色々吹っ切れたようだ。



「あーあ。あたいの青春短すぎっ」

「ん?これからだろ。もっと菅原と荒木たちと青春しろよ」

「まあそうなんだけどさ。それだけじゃないじゃん。でも、この気持ちはきっと違うかな。これは、そう。きっと、尊敬だ」

「なにを言っている」

「なんでもないよ」


 俺を見る目はどこか切なげで、愛おしそうに見えた。


「お前はそんなガラじゃないもんな。王子様なんてとんでもない。どこにそんな甘くて素敵な要素があるんだ。だからきっとこれはそんなんじゃない」

「?」

「尊敬してんだあんたのこと。あんたの言葉に救われたから。でもそうだな。やっぱり認めるよ。そういう気持ちも混ざってる。だけど多分それよりも大きく私はあんたに感謝してるんだ。でもやっぱり私はアイドルだから。みんなの月花リサだから。みんなが好きなんだ。だから。あんたを王子様なんかにさせない」


 前を見ているはずの目はどこか遠くを見つめている。だが、そう言って俺を見つめる目は力強く、そこには迷いなんてなかった。言っていることはよく分からなかったが、でも、彼女はもう迷わないんだってことは分かった。


「てわけで、一ノ瀬英一」

「ん?」

「これからも、あたいのファンでいてくれよ」


 胸の前に突き出された拳を、見下ろす。


「そもそもお前のファンになった覚えはねえよ」

「せめて、テレビでくらい追いかけてよ」

「はあ?」

「なんでもねえよ。帰るぞ」


 そう言うと突き出した拳で軽く俺のお腹を小突く。


「うっ」


 そして歩いて遊具から出て行く。


「あ、そうだ」


 突然振り返ると、本当に嬉しそうな、華やかな笑顔が俺に向けられる。


「ありがとう。私、ようやく自分のこと好きになれた気がするっ」


 弾むように嬉しそうにそう告げた月野の顔は夕焼けに照らされ眩しく見えた。


 







 後日、カズとまた一緒に楽しそうに歩いているところを見かけた。きっとうまく仲直りできたのだろう。


 


 俺と月野は、それ以来、前のように会うことはなくなった。向こうが俺を避けている、というか、避けている割には俺を見る目は柔らかいのだが、でも、向こうはもう俺と今までのように絡む気はないようで、廊下ですれ違うような関係になった。たまに公園で見かけるが、俺もなんとなく、楽しそうなあいつらを横目に通り過ぎるようになった。


 きっと、こういう関係の終わり方もあるのだろう。ふとしたことで仲良くなり、ふとした時に終わる。そういうものだったのだろう。でも、俺たちが過ごした時間は確かにあって、俺はテレビで月花リサ、もとい月野さくらを見かけるたびにどこか懐かしい気持ちになった。cmで見かけたからとその商品を買ってみたり、精々町で見かけたあいつのポスターに鼻毛を書いて落書きしてやるくらいだ。月野の楽しそうな表情を見るに、きっと自分なりの答えが出たのだろう。かずとも楽しそうに街を歩いているのを見かけた。寂しくないのかと言われれば正直寂しくないと言えば嘘になる。でもこれが月野の選んだ道なのならば、俺は応援しようと思えた。ただそれだけだ。


俺はうんこまんブザーをあの日以来鳴らしていない。でも、今でも大切に棚の上に置いてある。それがいつ鳴っても助けに駆けつけられるように。あいつらは。あいつは、たとえ疎遠になっても大切な友達だから。

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