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一ノ瀬英一のおバカ譚  作者: 八野はち
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73話 「花火」

 三階を軽く見て回り、その上の階も見てみようと思い、エレベーターに並ぶが、人で混みあっていて時間がかかりそうだ。なので外階段から上に上がってみることにする。階段を上がってみると、強固なドアがあるだけで行き止まりだった。どうやら三階の上は屋上らしい。


「屋上だったんだ。戻りましょうか」

「あれ。開いた」


 なんとダメもとで引っ張ってみると開くではないか。


「うそ!ガス点検のおじさんがカギ閉め忘れたとかかな」

「どうする?戻るか?」

「夜風に当たりたい気分だし行ってみましょうよ」


 ドアを開けると、外の湿った暑い風が吹き抜ける。外はもうだいぶ暗くなっていた。柵まで行くと、煌々と輝く鮮やかな夜景が夜の街を照らしていた。


「きれいね~」


 二夕見がなびく髪を抑えてこぼす。


「ねえ。もっと高い所行かない?」


 二夕見が指さしたのは塔屋で、いつも俺たちが学校で登っているような屋上の屋上とも言える場所だった。


「大丈夫か?落ちるなよ?」

「大丈夫よ」

「念のため俺が下から支えられるよう後から登ってやるよ」

「バカ言うんじゃないわよ。私のお尻とか太もも視姦する気でしょ」

「俺はその苦悩が感じられるお尻や太ももに興奮するんだ。お前の食べ過ぎてだらけきった太ももとお尻じゃ興奮しない」

「誰がだらけきっと体よ!私は手足は細いのに、出るところは出てほどよくむっちりした女の子らしい体つきってよくうらやましがられるわよ!」

「出るところは出てね。ふうん」


 俺は不思議そうに一点をチラチラ見る。


「どうやらそんなに死にたいようね」


 二夕見のこめかみがぴくぴくする。結局俺が先に登り、後からはしごをつたって登ってきた二夕見に手を伸ばす。しかし触れないことに気づき、引っ込めようとした俺の手を二夕見がつかんだ。俺はそのまま引っ張ってやる。


「ありがと」

「ああ」


 登ってきた二夕見は首を傾げながら手を触ったり、自分の頬を包んだりしながら何かブツブツ言っている。


「私どうしたんだろ。今もなんともなかったし、さっきだって、頬を包まれたのに、嫌じゃなかった。それどころか……。?」

「おい。風強いから座った方がいいぞ」

「そ、そうね」

 

 俺たちは並んで縁に腰かけると、足を放り出す。


「いい眺めね~。なんだかいけないことしてるみたいでちょっとだけワクワクするわ」

「気をつけろよ」

「うん。あのね、さっき写真の話したじゃん?」


 急にさっきの話を持ち出す二夕見。


「ああ」

「高校生になって初日の日だったんだけど、クラスで記念写真を撮ろうってことになったの。慌てて体調悪いから保健室に行きたいですって先生に頼んだんだけど、すぐ終わるから待ってくれって言われて、泣き出しそうだった。そんなとき、隣の女の子が言ったの。


『うち化粧直したいし髪も整えたいからちょっと時間くれへん?ついでにこの子保健室連れて行くわ』って。それがりんだったの。


そして廊下に出ると、『あんた顔色めっちゃ悪いけど大丈夫なん?なんか急だったし写真苦手とか?』って話しかけてきて、私は正直に話したの。そしたら、写真撮る時はうちでいい感じに隠せばええんちゃうかとか、一緒に対策考えてくれたりして、それから仲良くなったの。それで部活とか一緒に作って、今があるんだ」

「へえ。いい友達に出会えてよかったな」

「ほんとに感謝してる」


 蓮浦のことを思い浮かべる二夕見の表情は、優しさで満ち溢れていた。


「ていうかお前ら男とか来たらどうしてたんだよ」

「前は滅多に相談者なんか来なかったし、先生も今ほど気にかけてもなかったからかな。あと河瀬先生のことだから男嫌いな私に気使ってくれてたのかも」

「ふうん。でも今は男とふつうに話せてるじゃねえか。よかったな。俺のおかげで話せるようになって」

「あんたのせいで新しいアレルギーが生まれそうよ。ていうかあんた以外の男子とは話さないんだけどね。でもちょっと前の私に言っても信じないだろうなきっと」


 と感慨深そうに空を眺めている。


「俺はアレルゲンかよ」

「ふふ。ていうかあんたは?和泉くんとはどうやって仲良くなったの?」


 首を傾げて隣から、俺の瞳を覗き込んでくる。


「蓮か?あいつとは四年くらい前に知り合ったな。それなりの付き合いになる」

「ふんふん」


 続けて。と気持ち膝をこちらに向けてくる。


「…あれは小学生の時だった」


 俺は小学校五年生の時を思い出す。



 



 あ~~。お腹痛い。授業が終わると同時にトイレに駆け込んだ俺は、トイレでうずくまっていた。


「ぐぎゅるるるるる~」


 少し前から急にお腹が痛くなることが増えてきた。週に二回くらい長いことトイレに籠っている。初めはクラスメイトに見つからないようにひっそりとトイレに駆け込んでいたが、今ではもうしっかりと知れ渡ってしまった。


 少し落ち着いてきたためお尻を拭こうとトイレットペーパーに手を伸ばすと、カランと空しい音が響く。


「……」


 はあ?ふざけんなよまじで。今切れるのかよ。どうしようか悩んだ挙句、俺は、先ほど隣に駆け込んできた人に声を掛けてみることにした。


「あのー、すいません。トイレットペーパー貸してもらえませんか?」

「ん?おおええで。俺トイレットペーパー基本使わへんから。ほい」


 隣からトイレットペーパーが降ってきた。独特なしゃべり方だ。


「ありがとう」


 よかったいいやつで。セットして拭き終えると疑問に思う。待てよ?今なんつった?トイレットペーパーを使わないだと?


「あのー、使わないってどういうこと?ケツ拭かないのか?」

「そんなわけないやろ。そうやなくて俺は便秘やねん。踏ん張ってはおるけどどうせ出えへんから」


 なんだ良かった便秘の方だったか。ん?待てよ。便秘だと⁉俺が憧れてやまないあの便秘だと⁉人によっては一週間も出さなくていいあの便秘⁉こいつなんて羨ましいんだ!


「羨ましいねえ。俺も便秘なりたいわー」

「あ?お前今何つった?便秘になりたいやと?どういうことや?」


 気に障ったのか急に鋭い声音が聞こえてくる。


「ん?いや俺下痢民だからよ、生まれてこのかた便秘なんて経験したことねえんだよ。それに週一くらいでいいなんて最高じゃねえか」

「てめえ経験したことあらへんからそんなこと言えんねん!腹張ってめちゃくちゃしんどいんやぞ!お腹も痛くなるし!下痢だかくそだか知らんけど二度と俺の前でそんなことぬかすんちゃうぞ!」


 カッチーン。


「ああ?お前こそ下痢の何を知ってんだ?たかだか便秘の軽い腹痛でなに偉そうにしてんだ?こちとら毎日トイレにお勤めしてんだぞ?週に二回神様にお祈りささげてんだぞ?ケツからファイアーしてんだぞ⁉」


 イラついた俺もデカい声で言い返す。


「うるさいわこの軟便野郎が!調子乗るなや!」

「んだとこの硬便野郎!」

「軟便!」

「硬便!」

「下痢野郎!」

「便秘野郎!」


 トイレに二つの声が響く。


「お前みたいな硬うんこ野郎がトイレを詰まらせんだよ!このトイレ魔!」

「うるさいわ!通り魔みたいに言ってんちゃうぞ!お前みたいな軟うんこ野郎がトイレットペーパー詰まらせんねん!この資源の無駄遣い野郎!」

「うるせえ俺はまだあんまり詰まらせたことないわ!」

「嘘つくんとちゃうぞ!お前みたいなのと話しても時間の無駄や!」

「おーいけいけうんこ野郎!」

「お前にだけは言われたくないわ!」


 そうしてドアを開け出て行った。





 一週間後。


「おい、聞いたぞ。お前一組の一ノ瀬英一とかいうらしいな。そっちゅうトイレに入っとるうえにそっちゅううんこ踏むどうしようもないうんこ野郎だそうやないか」


 またうんこしていると隣からあいつの声が聞こえてきた。


「ああ?お前またいんのかよ。うんこしねえくせにトイレ入ってるえせうんこ野郎が。トイレの太郎君かお前は」

「ああ⁉てめえそれどこで聞いたんやこら!ぶん殴るぞこのトイレの神様が!」

「お前こそそれどこで聞いた!調子乗りやがってこの硬便野郎が!」

「うるせえ軟便野郎!」

「硬便野郎!」

「軟便野郎!」

「便秘野郎!」

「下痢野郎!」


 と俺たちが貶し合っていると。


「うっせえぞこのうんこ野郎ども!てめえらいつもトイレ占領しやがって!うんこくせえんだよ!」


 いつものクソガキどもの声が聞こえてきた。


「何だと~⁉」

「何やと~⁉」

「うんこ同士仲良くうんこしろ!」

「お前ら今日こそぶん殴ったるからな!」

「うわ~逃げろ~!うんこつけられるぞ~!」


 と逃げ去っていく気配を感じる。


「「誰がつけるか!」」

「ったく。てめえが騒ぐからアホどもにバレちまっただろうが」

「こっちのセリフや。ていうかお前あいつらにいじめられてんのか」

「我が校にいじめは存在しねえよ。先生が言ってたから間違いねえ」

「お、お前、可愛そうやな」


 憐れむような声が隣からかけられる。


「お前も似たようなもんだろうが!大体俺はいじめられてるんじゃねえ。喧嘩してんだよ」

「へえ。言うやないか」

「ぐぎゅるるるるる~」


 突如鋭い腹痛が襲ってきた。


「ぐおおおおおおおおっ」

「お、おい!大丈夫か⁉すごい音したで!」

「うっ、頼む、ちょっと静かにしてくれ」

「わ、分かった。うおっ、こっちもきたわ!」


 隣から呻き声が聞こえてくる。


「うううううっ」

「お、お前こそ大丈夫かよ?」

「お、おう。今終わったところや。ぜえぜえぜえ」 

「「ガチャッ。キイイイイ」」


 二人同時に個室から出る。


「おい涙目やないか」

「お前だって」

「「はははははははっ」」


 今度は笑い声がこだました。


「なるほどな。流石に分かったわ。思ったよりずっと下痢はやばそうやな。悪かったわ。何も知らずに悪く言ってもうた」


 手を洗い終え、まじめな顔を作ると、歩み寄って謝る。


「いや。最初に言ったのは俺だし、何も知らずに悪く言ったのも俺の方だ。こっちこそ悪かった。便秘だってかなりやばそうだ。実は便秘も嫌だなって思ってたところだ」

「そうか。じゃあ仲直りや。一ノ瀬」


 右手を差し出してくる。


「おう。よろしくな。お前は名前なんていうんだ?」

「なんや?ほんとに知らんかったんか?俺は和泉蓮太郎や。俺たち仲良くなれそうやな。これで今日からうんこフレンズや!」

「いやなんだその汚れ切った友情は。臭そうだな」

「お気に召さへんか?じゃあビッグベンでいこう」

「バカなの?英語にすればいいとかじゃないからね?」

「あっはっはっ!なんやお前面白いやん!とりあえず教室戻ろうぜ!」


 俺たちは仲良くトイレを出た。こうして互いの痛みを知り、友達になったのだが、この時の俺たちはまだ本当の痛みを知らなかった。俺はこの数年後、週二回から、毎日のようにトイレに長いこと籠るようになり、蓮は痔を併発するようになる。それはまた先のお話。






「……いや何そのいい話風な締め方は。話のほとんどが汚かったんだけど」


 ジト目で見てくる。


「お前らにも引けを取らないいい話だろうが」

「はあ。まああんたたちらしくていいかもね」


 とふっと微笑む。


「でもあんたたちの、お互いの辛さを深く共感出来て、なんでも言い合える感じ、ちょっとうらやましいな。私なんか弱い所あんまりないからさ」

「お前は十二分にちょろくて心配されてるけどな。弱み見せまくってるけどな」


 自覚がないことに驚きを隠せねえよ。何言ってんだこいつみたいな目で見んな。


「実を言うとね、私今日、りんと夏祭り行く予定だったんだ。一緒に花火見る約束してたんだけど、りんが急に熱出しちゃって、中止になったんだよね。だから、カフェでバカ食いして元気出そうと思ってんだ」

「そうだったのか。残念だったな」

「ううん。でもね。そしたらあんたと出会って、色んな所行って、色んなもの食べて、アホみたいなことたくさん聞いて、楽しかった。ありがとね」


 にっと笑った顔をこちらに向けてくる。


「悪かったな。俺なんかが代わりで」

「なんかすっきりしたの。ほんとに楽しかったし、こいつほんとバカって思ったわ」

「なんだそれはほめてんのか?」

「うん。褒めてる」


 と心底嬉しそうに返す。


「ヒュルルルル~ドオンッ!」


 その時、高い音とともに、夜の街に、鮮やかな赤い花火が咲いた。


「……」


 隣の二夕見はあまりの儚さからか、それとも衝撃からか、固まっている。ただ、そのまばゆい火の花からは目が離せないようだ。


「驚いたな。こんな近くに見えるとは。それもこんな特等席みたいな場所から。よかったな。花火見れて」

「嘘みたい。花火見るの諦めてたから、こんな形で見れるなんて思わなかったわ。私―――」

「ドオンドオンッ!ドンドンッ!」


 二夕見の言葉を遮って、次から次へと花火が上がっていく。真っ暗な夜空に、はじけるように力強く、鮮やかな炎が大小それぞれに空に描かれる。


「私、忘れないわ。今日のこと。今日見た花火のこと。心に刻みつけて、色あせるまで大切にしまって、色あせてもなおそのセピア色の記憶を愛でるわ。写真なんかじゃ今日のこの楽しかったっていう気持ちや、一緒に見た花火の美しさ、バカみたいな会話、全部収まりきらないし表せきれない。そうでしょ?大切にしまって、宝物にする」


 愛おしそうに、嬉しそうにそう言って笑った二夕見の顔はとても美しく、俺は―――。

 




 下が見えた。眼下には真っ暗な底の見えない闇が広がっていた。飲み込まれそうなそこから逃れるように視線を背けた。

 

 その後数分間に渡り色とりどりの花火が上がり、最後には大きな花火が連弾で上がった。そして静寂に包まれ、二夕見はさっきまでの余韻に浸っていた。


「きれいだったわね~!素敵!」

「ああそうだな」

「?どうかしたの?」

「悪いんだが、用事を思い出した。一人で帰れるか?」

「え?と、突然ね。あの、大丈夫?」


 二夕見の言葉に振り返る。


「なにがだ?」

「な、なんとなく、大丈夫じゃない気がして。私も行こうか?」

「いやいい。それよりほんとに悪いな。最後にこんなんで。送ってやれないし」

「それは別にいいわよ。花火見たら帰ろうと思ってたし」


 こちらを伺うように、言葉を選んでいるのが伝わってくる。屋上を出て、デパートの外に出た。


「じゃあね。今日はごちそうさま。また学校でね」

「ああ。夏休み明けにな」


 簡単に別れを告げると別れる。言われた気がしたんだ。「忘れるの?」と。それは俺の頭を一瞬で冷ますには十分だった。


 帰り道、あてもなくぶらぶら夜の道を歩いていると、さっきの花火が上がっていた公園にさしかかった。川辺の方をたくさんの灯篭が流れてきた。その儚い光に立ち止まる。


 ああそうか。今日はお盆だったな。


 本当は心のどこかで意識していた。ただ、まだ受け入れられない自分がいた。

 俺は公園の中に入ると、灯篭を購入して、水面に浮かべると中の蝋燭に火をつけた。暖かくて神秘的な橙色が辺りをほんのりと照らし、水面に映る。まるで命をあらわしているみたいに見える。


「れい」


 どこに行ったのだろうか。いまだによく分からないんだ。いつかふとした時に帰って来るんじゃないかって。どこかで思っている自分がいて。まだ受け入れられない。死ぬってなんだよ。いくつだってお前はバカにするかもしれないが、でも。それほどまでに、満たされていたから。


 灯篭が水面に揺られ、少しずつ遠ざかっていく。夏の虫の音がひどく悲し気に聞こえた。


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