元暗殺者と凄腕暗殺者・3
水の流れる音。心地よい温もりを感じる。
何だろう。
ずっと、このまま――
「っ!?」
僕は勢いよく起き上がる。体のあちこちに痛みを感じた。すぐには立ち上がれそうにない。
ふと隣を見て、目を見開く。
「あ……」
女が寝ている。
そうか、夢の中の温もりは彼女だったわけだ。僕は何故か冷静にそう考えていた。
って、そうじゃない。彼女は暗殺者じゃないか!
痛む体を何とか起こして、U2と呼ばれていた女を警戒する。まだ完全に気を失ったままのようだ。
空を仰ぎ見る。よく晴れた青い空だった。太陽はちょうど真上にあるから、今は昼ということか。川がキラキラと輝いている。恐らくこの川に落ちて流されてきたのだろう。ここがどこだかまるでわからないが。
しかし、二人とも生きているとは。僕は死ぬ覚悟で崖を飛び降りたのだ。
ゆっくりとあの時のことを思い出す。
そうだ。
飛び降りた時、彼女が僕にしがみついてきたんだ。まるで怯えたように。
そしてつい、彼女を庇うような形で川へと飛び込んだのだ。
彼女は組の中でナンバー2と言っていたが、確かにその実力は僕を凌駕するものだった。あんな特殊な状況でなければ、恐らく殺されていたに違いない。
こうして近くで彼女を見ると本当に若い。二十歳に届いていないのではないだろうか。L9という男も若かったし、千石組はこんなに若い暗殺者ばかり雇っているのだろうか。
いや。
子供のころから育てられているのか。暗殺者として。
そしてふと我に返る。落ち着いて考察している場合ではない。
キリルはどうしただろう。
あれからどのくらいの時間が経っているのかもわからない。恐らく一晩経ったくらいだとは思うが。
とりあえず僕は、このU2から武器を取り上げることにする。気を失った女の身ぐるみを剥がすというのも気が引けるが、今はそんなことを言っている場合ではない。
殺せばいいのに――
一瞬、頭を過ぎる言葉。しかし無抵抗な相手の寝首を掻くことなど、僕にできるはずもない。やはり僕は駄目だ。冷酷になると覚悟を決めたくせに、結局はなりきれていない。
そんな自分に落胆しながらも、U2の服を遠慮がちに探る。何だか変態みたいな気がしてくるのは、気のせいにしておこう。
目につく武器はすでに崖から飛び降りる前に無くなっている。あとは巧妙に服のどこかに隠している可能性もある。僕自身、最初に使っていた二本のナイフは無くしてしまったが、懐にもまだ武器はある。だが、特にそれらしい物は見つからなかった。さすがに服を脱がすまではしなかった。つくづく情けない人間だと思う。
まあ、あとは縛り上げれば問題はないだろう。……とは言ったものの、肝心の縛り上げるものがない。
どうしたものか。このまま目を覚まされたらかなり厄介である。
少し焦りながら、何かないかと辺りを見回していると、
「ぅ……」
小さな呻き声が聞こえた。僕はびくりとする。
まずい。彼女が目を覚ました。
一瞬戸惑い、すぐに彼女の背後を取る。
「!?」
上半身だけ起き上がらせたU2の首に左腕を回し、ナイフを頬に当てる。
「妙な動きをすれば殺す」
耳元で脅すように言った。U2は動かなかった。
どんな表情をしているのか僕からは見えなかったが、こちらの様子を窺っているようだった。
さて、どうしたものか。正直この先のことを何も考えていない。早くキリルのもとに向かわなければいけないというのに。
いや、待て。これは千石組の動きを探るチャンスだ。
「お前達の他に、僕らを殺す命令を受けた者はいるか?」
素直に答えるかもわからないが、ナイフを少し強めに押し付ける。
「……知らない」
ポツリと小さな声が返ってくる。
その声に妙な空気を感じた。どこか苦しそうに聞こえたからだ。よく見ると、彼女はかなり汗を掻いている。
成程、熱があるんだ。彼女の体もかなり熱くなっている。
思えば、お互い服も濡れたまま気絶していたのだ。この冬も近づいているという季節に風邪を引かないほうがおかしい。僕は引かなかったようだが。
今度こそ、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。この様子では僕に刃向かってきそうもない。というかできないだろう。
置いていくか。
彼女から離れる。彼女は苦しそうに倒れ込んだ。
このまま放っておけば死んでしまうかもしれない。そう思うと、そこから動けなくなってしまった。
そんな僕の様子を疑問に思ったのか、彼女がこちらに視線を寄越してきた。
「……何故、殺さない」
ひどく弱弱しい声。
その言葉にどう返していいかわからず、無言で立ち尽くす。
すると、U2の表情が急に険しくなる。
「……殺せ!」
今度ははっきりと、僕に向けて言った。
「殺さなくても、その状態じゃいずれ死ぬよ」
僕はどんな表情をしているんだろう。自分でわからなかった。
「……殺されるならともかく、こんな死に方……暗殺者として滑稽すぎる……」
――確かに。つい納得してしまった。感情のない子だと思っていたが、彼女なりのプライドは持ち合わせていたようである。
ついおかしくて吹き出してしまうと、彼女の顔が余計に険しくなった。こんなに簡単に感情を表に出す子だったのだろうか。熱のせいかもしれない。
気付けば、僕は自然と体が動いていた。屈んで彼女に背中を向ける。
「……どういうつもり?」
相変わらず苦しそうに、だけれども精一杯強気な声を出す彼女。
「このまま放っておけないだけだよ」
振り向かずに答えたら、彼女は押し黙ってしまった。
何か言わなくてはと、思い浮かんだ言葉を紡ぐ。
「……崖から飛び降りた時、僕にしがみついてきただろ?」
小さく呻く声が聞こえた。
「だからかな」
暫く沈黙が続く。しかし時間に余裕もない。
無理矢理にでも連れて行こうと立ち上がろうとした瞬間、背中に温もりを感じる。
どうやらようやく、僕に背負われる覚悟ができたようである。
僕はしっかりと彼女を背中に乗せて歩き出す。耳元では、苦しそうな息遣いが聞こえる。キリルのことはもちろん早く見つけなければならないが、彼女も医者に見せなければなるまいと、早足でどことも知れない場所へと急ぐ。川に沿って歩けば、どこかに出られるだろうという安易な考えしかないのだが。
「……あいつは、キリルって奴は……大丈夫だと思う」
「えっ」
一瞬足を止めそうになるが、思い直して早足のまま彼女の言葉に耳を貸す。
「今回の任務は……わたしとL9の二人だけが請け負ってる」
「さっきは知らないって、言ってなかったか?」
僕の質問に彼女は「さあね」と冷たく返してくる。
だが、昨日の冷徹な彼女とはやはり違っていた。
「多分……崖から落ちてから、一晩経ってるだけだと思うから……」
確かに僕も体の感覚的にそう思う。
「…組がわたし達の異変に気付くのは……今日の夜」
「どういうことだい?」
「今日の夜までに報告が上がらなければ……失敗と判断される」
成程。そういうことか。
もしその通りなら、キリルは無事に目的地に着けるかもしれない。彼女達のおかげで予定よりもだいぶ早く出発しているから、夕方には目的地に着くはずだろう。
しかし、どういう風の吹き回しなのか。もしかしたら僕を油断させるため、という可能性も考えられる。それにしては、少し弱い作戦な気もするが。これを聞いても僕はキリルを追うのをやめるわけにはいかない。確証がないのだから。
「……嘘だと思うなら、それはそれでいいけど」
「何でそんな話を僕に?」
それは――と何だか言い難そうに言葉が途切れる。
なんだろうか。
そのまま無言が続くかと思ったら、彼女は口を開いた。
「崖から落ちた時……あんたはわたしを庇ったでしょ?」
意外な言葉に僕は小さく呻いた。
「だから。……それだけ」
何か奇妙な感覚に囚われる。でもそれが何だかわからない。
――急ごう。
僕はますます速度を上げる。
彼女が僕の背中に顔を深く埋めてきた。
「――あったかい……」
小さく呟かれたその声を、僕はよく聞き取ることができなかった。




