天真爛漫男と不老不死女・3
「こんにちは! 青蓮!」
明るく響くその声も、普段ならば気持ちのいい挨拶に聞こえるのだけれども。寝起きの私には、ただ煩いという感想しか持てない。
彼、ディノが私を訪ねて来てから数日。毎日毎日、お迎えが来るようになった。それも仕事に行くにはだいぶ早い時間に。
「何度も言うようだけど、まだ酒場が開くまで三時間もあるんだけど」
私の言葉に、ディノは満面の笑みを崩すことなくこちらを見てくる。
「青蓮ってば、寝過ぎなんだよ! そんなんじゃ駄目駄目! おれとデートしよう!」
何の屈託もなく言う彼に、私はいつも辟易している。
「これが私のペースなんだけど」
「夜だけ外に出るなんて不健康だよ! いや、そういう人もたくさんいるとは思うけど、時間と元気があるなら外に出るべきだよ!」
「その元気がないって言ってるんだけど」
私は尚も反抗する。それでもディノは屈しない。
「青蓮のは我儘って言うんだよ! 青蓮は至って健康、元気! でしょ?」
それは否定しない。はっきり言って健康そのものだ。どうもこの体は病気にもかからないため、風邪の一つも引かないようである。
言い返せずに押し黙ると、ディノは澄んだ瞳でこちらを見つめてくる。
私は、この目に弱い。
「わかったから、もう少しテンション下げて」
そして結局、彼の誘いに乗ってしまうのだった。
ディノに会ってからは、いつも彼のペースに乗せられている。
先日の暴行事件は人違いということで片が付いた。私は一切暴力を受けていないと警察にはっきりと証言したのだ。傷だって何一つ残っていないのだし、それで世間は納得した。暴漢男にも傷が回復する瞬間は見られていなかったのか、それに関しては何も話題に上がらなかったようだった。
マスターにも芽衣にも随分と心配をかけてしまい、私が原因で喧嘩までしていたらしい。だけど今ではすっかり仲直りしたようで、また働かせてほしいと頼んだら、二人は快く迎え入れてくれた。そしてディノも護衛として送り迎えをしてくれることになった。というか、元々その仕事も込みでマスターは雇ってくれたみたいだけれど。
私は再び、日常に戻ってきたのである。今隣で一緒に歩いている、ディノのおかげで。
「今日はどこに行こうか、青蓮」
私の視線に気付いたのか、彼は笑顔で問い掛けてくる。
彼と初めて顔を合わせた時、『綺麗ですね』と、いきなり告げられた。真顔で真正面からそんなことを言われたのは初めてだった。
酒場で私の歌を聴かせた日には『おれ、青蓮さんのこと好きです』と、いきなり告白された。それからというもの、『青蓮って呼びたい』だとか『敬語は距離感があるからやめていい?』とか、ぐいぐいと私に近づいてくるようになった。
今ではおわかりの通り、毎日デートに誘われている。
別に嫌じゃなかったし、寧ろ彼に興味を持っていた。今までに出会ったことのないタイプだったからかもしれない。何でこんなに前向きで明るく生きられるのだろうかと。
彼の凹む顔が見てみたい。
そんな最低な考えがあるからかもしれない。私が彼の告白を断ったら、凹んでくれるのだろうか。今のところ彼から返事を強要されていないから、そのままなのだけれど。ただ流されるままに、彼のペースに乗せられているといった感じである。
「どこでもいいわ」
適当に返事をする。デートと言っても、この町の中では行く場所も限られている。店を冷やかすか、喫茶店でお茶をするか、その程度だ。
私のいつも通りの返事に、ディノは嫌な顔一つせず、そうだなと独り言を呟いて考え出す。
彼の横顔を盗み見る。最初に彼を見た感想は、思ったよりも子供だったこと。何となく経験豊富そうな物言いをしているように感じていたから。まあ実際は、彼の見た目から想像した年齢よりも二つ三つ上だったけど。
本人はどうやらそれがコンプレックスみたいで、それを聞いた時、少し笑ってしまった。悩みは人それぞれだし、大きいも小さいも人それぞれの価値観なのだけど、可愛いと思ってしまうのは仕方のないことだろう。彼が膨れっ面になってしまったので、ちょっぴり反省したけれど。
「あっ!」
不意にディノが大きな声を出して走り出した。何事かと、私も小走りで彼を追いかける。
追いついた先には五、六歳の小さな女の子が座り込んでいた。転んでしまったのか、膝には真っ赤な血。
私は少し、後ずさる。
女の子はヒックとしゃくり上げながら泣いていた。
「大丈夫?」
労るように女の子に寄り添うディノ。
辺りを見回すと、すぐそこに公園があった。水道もある。
「ディノ、あそこで傷を洗いましょう」
彼は頷き、女の子をお姫様抱っこして「大丈夫だから泣かないで」とあやすように言葉を掛ける。
水道に着くと手慣れた仕草で膝を洗い、ディノは懐から絆創膏を取り出して、ペタッと女の子の膝にそれを貼り付ける。用意周到だ。
すっかり泣き止んだ女の子は、ありがとうと言ってあっという間に走り去っていった。
「よくあの子のこと見つけたわね」
私はすっかり感心していた。私達がいたところから女の子のいるところまで、結構距離があったのだ。
「まあね……泣いてるみたいだったから」
どこか切なそうに、ディノは答える。
「ディノって保父さんとかやってた? 子供の扱いに慣れてるっていうか……」
私は何故か話題を切り替えた。でもそれは、まるで切り替えになっていなくて。
「妹がいたんだ」
ディノはこちらを振り向かずに答えた。
いた、か。
私はそれ以上、言葉を返さなかった。今までディノとは他愛のない話ばかりで、お互い深く立ち入った話はしていない。
青蓮――と名前を呼ばれる。
「……おれの話、聞いてくれないかな」
ディノにしては珍しく少し躊躇い、緊張したように私に問い掛ける。
私は彼に興味がある。彼の話を聞けば、彼がどんな人間なのか、きっと少なからず知ることができるだろう。でも、彼とこれ以上深く関わるのには抵抗があった。
ディノは真っ直ぐこちらを見つめている。
澄んだ瞳。
私はどうしても、この目に弱い。
「……いいわ。聞いてあげる」
気付けば私は、そう答えていた。
私達は公園のベンチに隣同士で座った。日も沈んできて、子供達の数もすでに減ってきている。
「おれ、母子家庭で育ったんだ」
ディノはいつもの明るい口調で語り出した。私はそれに黙って耳を傾ける。
「でも、母さんは体が弱くて。おれは学校に行かずに働いてたんだ。毎日毎日、母さんと妹とおれで、食べるのに精一杯で」
子供が働ける仕事なんて高が知れている。当然、辛い生活だったのだろう。
「違法な仕事もしたんだけど、母さんにバレて、こっ酷く怒られちゃって」
終いには泣かれちゃった――と言って、彼は懐かしそうに空を見上げる。
「結局、十分な医療費も稼げずに母さんは死んだ。最後に、妹を頼むって。妹も体が弱かったんだ。母さん譲りでさ。でも、お前は正当に生きろって言われた。正直、無茶苦茶だと思った」
それは確かに、難易度の高い遺言である。
「精神的に凄く辛かったんだと思う。母さんが死んだことによって、妹は余計病状が悪化して」
それはディノだってそうだったのだろう。
「もうおれは、妹まで失うわけにはいかなくて。でも、母さんの言葉も守りたくて」
いつの間にかディノは下を向いていた。
「そんなふうに悩んでる時、妹が言ったんだ。『母さんの言葉を一緒に守ろう』って。まだ小さい妹が、そう言ったんだ」
私はそう――とだけ返した。ディノはちらりと、こちらに視線を送ってきた。
「それで、おれは決意した。正当な方法で妹を精一杯守ってやるって」
そう言って、ディノは立ち上がる。
「結局、妹も死んじゃったけど。あ、でもね」
振り向いた彼は、いつもと変わらない明るい表情だった。
「お金がいくらあっても、完全に治すことはできないって言われてたんだ。ちょっと生きられる時間が延びるだけで。だからおれはこれでよかったと思ってるし、母さんも妹もこれでよかったと思ってくれてる。そう納得することにした」
そうやって自分を納得させることができる彼は、強い。純粋にそう思った。
私なら、ただただ後悔して生きているかもしれない。今の私のように。彼が私の立場だったなら、どう生きたのだろう。
ディノは思いきり伸びをして唸る。
「何か話したらスッキリしたよ。……このこと人に話すの凄く久しぶりなんだ」
満足気な笑みを私に向ける。何となく腑に落ちなかった。
「……どうして、私に話したの?」
「好きだから」
即答されてしまった。
「おれのこと知ってほしかったから」
彼の表情が真剣になる。
「……そろそろ酒場に行きましょう」
これ以上は駄目だ。そう思ってベンチから立ち上がり、公園の出口へと向かう。
その時、右腕を掴まれる。
「待って。話はまだ終わってない」
「……まだあるの?」
わざと面倒臭そうに言ってやる。でもディノは、そんな私を気にも留める様子はない。
「おれとしては、実はここからが本番なんだけど」
告白の返事でもしろというのだろうか。
「青蓮のことが知りたい」
「私のこと?」
「交換条件じゃないけどさ、青蓮のことも教えてよ」
とんだ交換条件だ。私は話を聞いてくれと言われたから聞いたまでだ。
「生きるなら、楽しいほうがいいと思うんだ」
いきなり何の話をしているのだろう。
「だからおれは今、一人旅なんてしてるんだけど。いろんな人と出会えて凄く楽しいよ」
私はそんなふうには思えない。寧ろ苦痛だ。
「おれ、歌ってる時の青蓮が一番好きなんだ。どんな時よりも幸せそうで」
もう聞きたくない。早くこの場から逃げ出したい。
「でも、普段はどこか……悲しそうな顔をしてる。青蓮をそうさせてる原因は何?」
手を振り払おうとするが、力が強くて振り払えない。
「この前の暴行事件も、何か関係があるんだよね」
私はどきりとする。
「言ってくれるまでこの手、離さないから」
言って、どうなるのだろう。
どうして――
「どうして、私が好きなの?」
思いもよらない質問だったのか、彼は口籠る。
「……えっと、初めて見た瞬間、一目惚れっていうか……いや、青蓮の歌を聴いた時にしっかり自覚したというか……」
そうじゃなくて。
「私は理由が聞きたいの」
真正面から言い放つ。
そんな私に、彼は少し驚いた表情を見せた。でも、すぐにまた真剣な表情に戻る。
「放っておけないから」
「……何、それ」
単純な答えに少し呆気に取られる。
「おれ、青蓮にも楽しく生きてほしい。おれが……そうしてあげたい」
そう思ってくれるのは嬉しい。
でも、駄目だ。心が折れそうになるのを、ぐっと堪える。
だけど次の言葉で私は――落ちた。
いとも簡単に。
「おれ、青蓮の傍にずっといたい」
それは。
私がいつも欲している言葉。
私がいつも望んでいる言葉。
一人はさみしい。一人はいや。もう一人では、生きられない。
そう思ってしまったから。もう止められなかったから。
「……わかったわ。私の話……聞いてくれる?」
ディノは力強く頷いてくれる。
私は震える声で、彼に伝えた。
「……私、不老不死なの」




