天真爛漫男と不老不死女・2
あれから何日経ったのだろう。一週間は経ったか。
私は完全に気力がなくなり、部屋の真ん中に座り込んでいた。
見られたのか、見られていないのか。
それを確かめるのが怖くて。でも、逃げ出すことにも疲れて。
ただひたすら、家の中に閉じこもっていた。
たとえ見られていたとしても、相手は泥酔状態の男。誰も信じないし、聞く耳も持たないのだろうけど。でもその油断が、最悪の事態を招かないとも言えないのだ。
実際、酷い目に遭ってきた。
昔々の古い記憶。思い出すだけで吐き気がする。
駄目だ。
一人でいると嫌なことばかりを考えてしまう。
こんなにも長い間、家の中に閉じこもっているなんていつ以来だろう。酷い時は一ヶ月以上、閉じこもっていた時期もあった。ご飯を食べなくても生きていけるなんて便利な体ではあるけれど、本当に何も動く気になれなくなる。辛うじてシャワーは浴びているが。
私はこれでも生きていると言えるのだろうか。
ばたりと後ろに倒れこむ。フローリングの床が冷たい。
「死にたい……な」
気付けばそう呟いている自分がいた。これまで何度死を望んだことか。
だけど死ねない。
普通の死を迎えることができない。
私はそこで考えるのを放棄した。カーテンを閉めたままの窓を見る。隙間から日が差し込んでいた。
今は昼間だろうか。目覚まし時計がある筈だが、どこに置いたか忘れてしまった。別に時間を知る必要性もないから、いいのだけれど。
もう生活のリズムもばらばらだ。何だか少し眠くなってくる。
眠ろう。
そう思った時。
コンコン、と軽くドアを叩く音がした。
マスターか、警察か。
「あのー、青蓮さんいますか?」
どちらでもないようだ。
若い少年の声だった。聞き覚えはない。
「……えっと、あなたと同じ酒場で働いているディノっていう者なんですけど」
私がいない間に雇われたのだろうか。とすると、マスターの代理で来たのかもしれない。
だけど私は起き上がることさえしなかった。人と話をする気がしないし、居留守を決め込むことにする。
暫く沈黙が続く。
「……怪我は、本当に平気なんですか?」
腕を骨折くらいしていたかもしれないが、暴漢に襲われるその間にも体は回復し、家に着いた頃にはすっかりと治っていた。
暴力は振るわれていないと言っといたけれど、やはりまだ疑われているようだ。目撃者もいるのだし、当然か。
「マスターも芽衣も心配してますよ」
……知っている。
「いつまで閉じこもってるつもりなんですか?」
私にもわからなかった。
少年はその言葉を最後に黙ってしまった。このまま返事をしなければ、諦めて帰るだろう。わざわざ会ったこともない私を訪ねてくれた彼には悪いけれど。
私は目を瞑る。別に眠るわけでも、何を考えるでもなく時間が流れる。
……もう、帰っただろうか。
「おれ今日、仕事休みなんですよね。だから気兼ねなくゆっくりできます」
まだいる。というか人の家の前でゆっくりされても困ってしまう。
「ああ、そうそう。おれ、別にマスターに言われて来たわけじゃないですからね」
じゃあ……何故来たのだろうか。
「あなたの話を聞いて気になったから来たんです」
野次馬?
「青蓮さん」
少年の声色が少し変わった気がした。
「何か隠してるでしょ」
どきりとする。
私はつい起き上がって、ドアのほうを見る。
「……当たり、かな」
動揺したのを気取られたのだろうか。
少し嬉しそうに聞こえる。
「ドアは開けなくてもいいんで、おれと話しませんか? お隣さんは留守みたいだし、このくらいの声なら近所迷惑にもならないだろうし」
何を話すと言うのか。顔も合わせたことがない人間と。
私は黙り続ける。
「……頑固ですね」
ポツリと呟かれた。
その言葉に少し、ムッとする。
「一人で家に閉じこもったって、何もいいことないでしょう。もうあなたに暴力を振るった男も捕まったし、これからはおれが護衛だってしますよ」
そういう問題ではないのだ。でも、説明なんてできるわけがない。
私は――
「これ以上閉じこもってたら、人生勿体無いですよ」
「――何も知らないくせに」
気付いたらそう口にしていた。少年の言葉が癇に障ったのだ。
私だってこんな体でさえなければ。
「え?」
私の声が聞き取れなかったのか、少年は聞き返してくる。
もうだんまりはやめだ。
「何も知らないくせに、と言ったの」
少し強めに言った。返事は返ってこなかった。
本当に何も知らないのだから仕方がないのだけれど。これではただの八つ当たりだ。
「……ごめんなさい。もう、帰ってくれませんか」
こんなこと言うつもりはなかったのに。
暫く沈黙が続く。
怒ったのかな、なんて思っていると。
「綺麗な声ですね」
思いもよらない返事がきた。
何を言い出すんだろう、この少年は。
「青蓮さん、歌が上手いって聞きました。その声聞いたら納得です。おれも聞いてみたいなぁ」
何だかさっきの私の言葉がさらっと無視されている。
「あと、芽衣があなたのことを凄く優しい人だって言ってました。マスターは『美人で人当たりも良くて、最高の歌姫だ!』って言ってたし、お客さんは『愛人にしたくなるような人』って言ってました。ああ、これは酔った勢いの言葉だと思うけど。いや、酔ってなくても言いそうだなぁ……」
「な、何が言いたいの?」
「あっ、つまりですね」
何だというの。
「おれは、第三者から聞いた青蓮さんのことくらいなら知ってるよ、って言いたかったんです」
……ああ、『何も知らないくせに』という私の言葉に対して言っているのか。顔は見えないけれどケロッとそんなことを言ってしまう彼に呆気に取られる。
何と返していいかわからず、私はまた黙ってしまった。
「あと声も、今知りました」
それはそうだろう。
「あとは……このドアを開けてくれれば、顔も知ることができますね」
そう――来るか。
私は深い溜息を吐いた。何だかこの少年のペースにすっかり乗せられている気がする。
見ず知らずの人間の話を聞いて気になっただけで、ここまで粘るとは。
でも、私もそんな彼が少し気になってきた。
どんな子なのだろう。顔が見てみたくなった。
立ち上がってドアへと向かう。
このドアの向こうに、彼がいる。
ドアノブへと手を伸ばす。が、そこで躊躇いが生まれる。
開けてしまっていいのだろうか。
「往生際が悪いですよ」
少年のその言葉に、びくっと震える。まるで心を読まれているようだ。
フッと自嘲する。全く以て彼の言う通り。
本当に私は――往生際が悪い。
「今、開けるわ」
そう言って、私はドアノブに手を掛けた。




