元暗殺者と凄腕暗殺者・2
バイクを走らせ、一日。僕とキリルは、目的地まであと半分というところまでやってきていた。予定よりだいぶ早く進んでいることに少し安堵する。
本当は宿に泊まりたいところだが、どう足がつくかわからないため森の中で野宿をすることに決めた。道中で購入した簡単な夕食を済ませ、二人で赤く揺れる焚き火を眺めていた。バイクを走らせてからは、碌に彼と口を利いていない。
「……そろそろ寝たほうがいいよ、キリル」
この調子で行けば、明日の夜には目的地に着けるだろう。そのためにも朝は早く起きなければなるまい。
キリルの返事はなく、代わりに溜息が聞こえた。
彼の事情を考えれば仕方のないことではあるが、考えていても何も始まらない。
「キリル、とにかく寝るんだ」
先程より少し強めに言った。
キリルはこちらを一瞥して、わかった――と小さく呟き、上着を掛けて丸くなる。多少肌寒さを感じ始める季節になったが、まだ野宿する分には支障がない程度だ。
僕は空を見上げた。星が瞬いている。
仕事は辞めてきた。時間がなかったから、電話で一方的に紳さんに伝えた。『仕事を辞めます』と一言だけ。何の反応も待たず電話を切ってしまったから、紳さんも唖然としているに違いない。いや、今頃怒っていることだろう。二、三日の仕事ではあるが、たとえキリルを無事に送り届けたとしても、千石組は僕を狙ってくるかもしれない。無事に帰れる保障もないのに休むと言うのも気が引けたのだ。
押し寄せる不安の中、視線を焚火へと戻し、赤く燃える炎を暫く眺めていた。
どのくらいの時間が過ぎただろう。
キリルは寝息をたててすっかり眠っていた。眠れないのではと心配していたが、さすがに色々と疲れが溜まっていたのだろう。
その瞬間、嫌な感覚が僕の体に押し寄せる。
人の気配。それも微かではあるが殺気が含まれている。
人数は――二人。
まだ距離はある。
急いで焚き火を消し、すぐさまキリルに声を掛ける。
「キリル、起きろ。早くバイクに乗るんだ」
僕の様子から何かを感じ取ったのか、彼は顔を少しだけ強張らせて起き上がる。
僕はバイクに跨り、エンジンをかける。
すると、気配が一気にこちらに近づいてきた。構わず走り出す。
「お、追手なのかっ?」
キリルが上擦った声で、エンジン音に負けないよう声を出す。
「多分」
曖昧に答えた。断言はできないが、千石組の追手以外には考えられないだろう。
このまま引き離せるか……!
無心でバイクを走らせる。
が、その時。
目の前に黒い影が現れる。
「くっ……!」
僕はそれに激突する寸前に、キリルを抱えてバイクから転がるように飛び降りた。
無人のバイクだった。
バイクとバイクが激しくぶつかり合う。
瞬間、爆発が起きる。
キリルに覆い被さって爆風をやり過ごす。
すぐさま体勢を整え、キリルを自分の背後にやる。
気配が一つ、バイクが来た方向から来る。
「あーあ、バイクを無駄死にさせちゃったなー」
若い男だった。少年と言ってもいいかもしれない。
その彼の後ろから再びバイクのエンジン音がし、近くまで来て止まる。
もう一人は女だった。彼女も少年ほどではないが若い。無表情のまま、バイクから降りる。その一つ一つの動きに無駄がない。
「あんたら見つけるのに結構苦労したんだよ? まあ、このU2の機転で先回りしたらドンピシャだったけどねー」
そう言って、ニヤつきながら後ろの女に目配せをする少年。
よく喋る奴だ。
U2と呼ばれた女は特に何の反応も見せず、僕のほうへと視線を送り続けている。
二対一。分が悪すぎる。
キリルを守りながら戦うとなると余計勝算は低い。
そして何より、バイクが壊れてしまったのが痛い。キリルを逃がすことも難しい。
――いや、あのU2という女が乗っていたバイクがある。
何とか二人をこちらに引き寄せて、その隙にキリルにバイクで逃げてもらうというのが、今考えられる最善の策だろう。
キリルには目的地の場所はちゃんと伝えてあるし、問題はない。
あとはこれ以上の追手がないことを祈るばかりだが。
反応のないU2に特に気分を害する様子もなく、少年は僕のほうへと視線を戻す。
「そうそう、あんた元暗殺者なんだってね。そっちは素人らしいけど。今回はつまんない仕事になりそうだなー」
つまらないと言うわりに、顔はニヤついている。
しかし、すでに僕の素性も千石組には筒抜けのようだった。
「L9、無駄話は程々にして」
U2が初めて口を開いた。全く感情のない冷淡な声だった。
L9というのがこの少年の名前なのだろう。コードネームというやつだろうが。
「はいはい、さすがは組でナンバー2の腕前を持つお姫さんだよねー」
U2とは打って変わってL9は変わらずふざけた調子で答える。
「な、ナンバー2って……」
僕の後ろでキリルが小声で呟く。
ならば、まずはL9から叩く。
僕は自分でも驚くくらい、冷静にそう判断していた。
「キリル、僕が合図したらあのバイクに乗るんだ」
振り向かずに、小声でキリルに指示する。
「あんたは?」
「一人で行け」
彼は何か言いたそうだったが、少しの間を置いてわかったと返事をした。
恐らくこの会話は向こうには聞こえていないだろう。
U2はL9を睨みつけていた。
「おー、こわ。じゃあ、さっさと始めるかー。お前はまだ手出すなよ」
U2は無言だったが、L9はそれを肯定と受け取ったのか僕のほうへと向き直り、腰から短剣を抜き出した。
僕は少し安堵する。一人ずつとは、こちらにとっては都合がいい。
僕もコートの下からナイフを二本取り出して左右に逆手で持つ。
お互い間合いを詰めていく。
先に動いたのはL9。
「ひゃあぅっ!」
奇声を上げて正面から飛び掛るように切りかかってくる。
僕はキリルを気にしつつ、左手のナイフでその攻撃を捌く。
甲高い金属音が鳴り響く。
すぐに右手のナイフでL9へと切りかかる。彼は思い切りしゃがみ込んでそれを躱す。
僕の腰の位置に来たL9の頭に、右足で蹴りを入れにいく。しかし彼は、瞬時に向こう側へと飛び退った。
「へへ、結構いい動きじゃん」
L9はしゃがんだままの体勢で、軽口を叩く。
僕は今の動きで大体の彼の実力を読み取る。動きは素早いが、力は僕のほうが上だろう。
五年のブランクがあるとはいえ、すでに日課となっている訓練に似たようなことは今も尚続けていた。体力と力は昔と差ほど変わっていないと自負している。
彼のほうは戦闘の経験をそこそこ踏んでいるようだが、まだ一つ一つの動きに未熟さが感じられる。
一対一ならば勝てる。そう確信した。
ならば、もう一人が出てこないうちに決着をつける必要がある。今のところは彼女もまだこちらを傍観しているだけで、動く気配がない。
僕はキリルから離れ過ぎないよう気を配りつつも、L9へと切りかかりに行く。
変な奇声を再び上げながらL9もこちらに向かってきた。
右手のナイフで彼の短剣に絡ませ、思い切り力を入れて前へと踏み込む。
僕の力に押されたL9が微かに体勢を崩す。透かさず左手のナイフで脇腹に切り込んだ。
肉の切れる感触に一瞬、嫌悪感を抱く。
だが、浅い。
苦悶の声を発した彼は、僕の右手のナイフを弾き返した。
一旦、お互い間合いを取るが、L9が体勢を立て直す前に続けざまに切り込みに行く。
ナイフが届く直前、彼の左手が動いた。
投げナイフだ。
顔の正面に放たれる。
だがこの位置だと、僕が避ければそのまま後ろに居るキリルに当たってしまう。
僕は思い切り後ろへと反り返る体勢になる。
顔の真上を通るナイフを右手で弾く。金属音がし、それは右方向へと飛んで行く。
そしてそれと同時に僕は右足を蹴り上げていた。
鈍い音と共に、L9の呻き声がする。蹴り上げた足が、L9の顎を直撃していた。
すぐに体勢を立て直し、間合いを取る。
不完全な体勢からの蹴りだったため、ダウンさせるまでにはいかず、L9もよろめきながら体勢を立て直す。
だがそれなりのダメージはあったようだ。
「チッ、話が違うじゃんか!」
何やら文句を言っているようだったが、このままU2に助けを求められても困る。
すぐにまた彼へと切りかかる。
「舐めるなよ!」
L9は甲高い声で、半ば自棄になってこちらへと向かってきた。
すでに勝算はこちらにある。
彼は僕に向かって短剣を大きく振り下ろす。ダメージを受けたせいか、動きがかなり鈍くなっていた。
その一振りを軽く躱して、彼の背後に移動する。
今だ。
躊躇うな。
冷酷になれ。
「はあっ!」
彼の背中を二本のナイフで十字に深く切り裂いた。
血飛沫が舞う。
L9が倒れる。
その向こう側で、キリルが茫然と立ち尽くしている姿が目に入った。
その瞬間。
殺気。
僕はキリルのほうへと飛び退る。
U2だ。
いつの間に近づいていたのか、真後ろにいたようである。
「……こんなに使えない奴だとは思わなかった」
倒れているL9に向かって、彼女は冷淡に呟く。
あとは彼女を引き付けるだけだ。
ちらりと視線をキリルに送る。茫然としていた彼だが、僕の視線に気付くと覚悟を決めたように頷いた。
わかっている。そんな表情だった。
僕もそれに軽く頷き、U2へと向き直る。そして彼女に向かって駆け出した。
U2は腰に差していた細身の剣を構える。
隙がない。
僕のナイフと彼女の剣が金属音と共に交わる。
できるだけバイクから離れなければならない。
何度も金属音を響かせ、彼女に気付かれないように圧されている振りをしながら徐々に移動していく。
しかし、彼女の攻撃を受け流すのにも限界が来る。
「くっ!」
左肩を浅くではあるが、切り裂かれる。
強い。さすがナンバー2というだけあって、L9とは動きが全く違う。
L9が組の中で何番目の強さだったのかは知らないが、彼女との差は歴然だ。
U2の攻撃が一層、速さを増す。
このくらいでいいだろう。僕はバイクとの距離を測る。
そして、思い切り声を出した。
「キリルっ!」
その言葉を待っていたかのように、キリルはバイクへと一気に駆け出した。
それに気付いたU2は僕への攻撃を即座にやめて、キリルへと標的を変える。
懐から投げナイフを何本か取り出し、キリルに向かって放とうとする。
そうはさせるか!
僕は彼女の足に蹴りを入れる。
あっさりと躱されるが僕の蹴りに注意がいったおかげで、キリルがバイクへと辿り着く。
「チッ!」
U2は舌打ちをしてもう一度キリルに仕掛けようとするが、その背中にナイフで切りかかる。彼女は忌々しそうにこちらを振り返り、剣を僕のナイフと交錯させる。
間もなくエンジン音が鳴り響く。
僕はキリルに向かって、行け!――と普段出さないような大声で叫んだ。
「っ……死ぬなよ!」
一瞬躊躇ってから、彼はそう言い残してバイクを走らせる。
「このっ!」
その瞬間、ナイフを思い切り弾かれた。
腹がガラ空きになる。
その隙を逃さず、彼女の蹴りが思い切り僕の腹へとめり込んだ。呻き声を出して膝をつくと、U2はそのままキリルが向かった方向へと走り出す。
足でバイクに追いつけるとは思わないが、未だに彼女が手にしているナイフを投げられては困る。
何とか立ち上がって、彼女の後を追う。
ふと、左側に崖が見えた。
僕は全速力で転がるようにU2に駆け寄る。そして彼女の左腕を何とか掴み取り、思い切り引っ張った。
追いつかれると思っていなかったのか、彼女は驚いた表情でこちらを振り向き、手に持っていた投げナイフと剣を地面へと落とす。
そのまま彼女の腕を引いて、道を逸れて走っていく。
「何を……!?」
僕の行動の意味を理解していないU2を引きずりながら、崖へと向かって走っていく。
U2は引きずられながらも、体勢を立て直そうとしている。
だが、もう遅い。
僕は彼女と一緒に崖を飛び降りた。
「な!?」
U2の驚愕の声が響く。
川へと落ちる寸前。彼女が僕にしがみついてきた気がした。




