天真爛漫男と不老不死女・1
「うちは人足りてるから。悪いね、ボウヤ」
その言葉を聞いて、一人の少年が残念そうにパン屋を出て行った。
少年は旅の資金が底を尽き、近いというだけで寄ったこの町で仕事を探していたのだが、どこも景気が悪いのか、散々断られ続けるといった始末であった。また、どの店でも毎度のように言われる〈ボウヤ〉という言葉に落ち込んでいた。
少年は十七歳。大人とは呼べない年齢ではあるが、ボウヤと呼ばれるほど子供ではない。容姿が問題なのだ。童顔で背もあまり高くないため、いつも実年齢より下に見られてしまう。それは彼の唯一のコンプレックスであった。
ここで落ち込んでいても仕方がない――
そう思った少年は、次の店を探すために気持ちを切り替える。
すると、ちょうど目の前の建物のドアが開いた。四十代くらいの男が何やら大きな立て看板を持って出てくる。それを見てみると、どうやらそこは酒場のようであった。
彼は暫く、看板を立てかける酒場のマスターであろう男を目で追っていた。
その視線に気付いたのか、男が少年を見る。
「なんだ、坊主。そんなに俺が珍しいか」
「あ、いや、そうでなくて……」
突然声を掛けられ、少年は一瞬戸惑う。
普段、酒場に足を踏み入れる機会がなかった彼は、多少の躊躇いがありつつも、しかし意を決して男に頼み込む事にした。
「あの、おれを雇って貰えないでしょうか!」
「あん?」と男は一瞬面食らった顔をし、少年をじろじろと見定めるように眺め始めた。その視線に少し緊張する。
「ちょうど、雑用が欲しいとは思っていたんだが……」
その言葉を聞いて期待を膨らませるが、
「坊主、そのボロ布の下には何を持ってるんだ?」
唐突な質問にキョトンとしてしまう。男が言うボロ布とは、彼が身に纏っているローブのことを言っているのだろう。長旅のせいか、すっかりボロボロになっている。そして男の言う通り、そのローブからは何かがはみ出ていた。
少年は特に隠す様子もなく、はみ出たそれをローブの下から取り出して男の前へと差し出した。
「剣ですよ。護身用です」
「腕に自信はあるのか?」
その質問に、彼はどう答えたものかと悩み出す。
幼い頃から剣術を学んではいたが、ここ数年は自己流で特訓しており、一人旅を始めてからはタチの悪い連中を追っ払うくらいしか人と勝負をしたことがなかった。そのタチの悪い連中というのも大抵は酔っ払いで、大して強くもない人ばかりである。
そんなわけだから、実際今の自分がどの程度の実力があるのか、少年自身わからなかったのである。また彼の性格上、あまり適当な事も言えない。
「酔っ払いを追い払う程度には自信があります」
少年はありのままを答えるしかなかった。しかし男はその言葉が気に入ったのか、初めて笑みを見せた。
「上出来だ。思いっきりコキ使うから覚悟しろよ、坊主」
少年は多少の不安がないでもなかったが、仕事が見つかった喜びもあり、「はいっ」と快く返事をした。
しかし一つだけ、男にはっきりと言っておきたいことがあった。
「あの、おれは坊主ではなく、ディノっていう名前なんで、そこのところよろしくお願いします!」
それを聞いた男は先程よりも豪快な笑い声を出し、そりゃ悪かったと答えた。
少年、ディノはその返事に満足気に頷いたのだった。
「予想以上の働き振りだな、ディノ」
店仕舞いが済み、今は夜中をちょうど回った頃。
皿洗いをしていたディノに、酒場のマスターが愉快そうに話し掛けてきた。
ディノが酒場で働き始めてから約一週間。それは素晴らしい働き振りであった。皿洗い、掃除、接客と非常に要領良くこなしていたのである。その上とても無邪気で人懐っこい笑顔を見せるディノは、老若男女問わず客受けが良かった。
しかし彼は、自分が人に好かれやすい人間だとは気付いておらず、それは周りの人達に恵まれているからだと解釈していた。無意識な世渡り上手なのである。
「へへっ、ありがとうございます」
照れ笑いを浮かべながら答えるディノ。
「あいつもいれば……二大スターだったんだがな」
少し落ち込んだように、しみじみとマスターが呟いた。
あいつって誰ですか――とディノが問い掛けようとした時、
「お父さんっ!」
怒気が混じった甲高い声が響いてきた。驚いてそちらに目をやると、一人の女の子が佇んでいた。
マスターの一人娘、芽衣である。
「もうっ、まだ諦めてないの!? あんなことがあったのに、来られるわけがないじゃない!」
どうもこの親子はケンカが多い。こういうギスギスした雰囲気が非常に苦手だったディノは、二人が言い合いをする度に仲裁に入った。他の従業員の話によれば、とある事件が切っ掛けらしいのだが、詳しい事情は教えてくれなかった。
マスターは途端に不機嫌になる。
「まだ起きてたのか、早く寝ろっ」
「トイレに行こうとしたら二人の声が聞こえたから来ただけだもん!」
確かに芽衣はパジャマ姿だった。ついでに起き抜けの顔にも見える。
「まあまあ、二人とも夜中なんだし。芽衣も、そんな格好じゃ風邪引いちゃうよ?」
ディノは至って穏やかに二人を宥める。
それを聞いた芽衣は自分の姿に少し恥じらいを見せ、「お休みなさいっ」と投げやりに言って階段を上っていった。
そんな芽衣を、ディノは複雑な表情で見送る。
「一体、何があったんですか? あいつって……誰です?」
「丁度話そうと思ってたところさ」と言って、マスターはタバコに火をつける。息を吐くと、口から白い煙が舞った。
「お前が来る二、三日前のことなんだがな――」
そう言って、マスターは困ったような表情をして語り出した。
その内容はこうである。
三ヶ月ほど前から青蓮という歌姫を雇っていた。素晴らしい歌声に加え非常に美人で、男性客から絶大な人気があったそうである。マスターは大繁盛とばかりに喜んでいたのだが、青蓮に不幸が起きた。それはディノが来る二、三日前の事件。彼女がいつも通り、店から自分の家へと帰る帰路でのこと。見知らぬ男に暴力を振るわれたのである。幸いその現場を目撃した者がいて、その男はすぐに捕まった。青蓮のファンの一人だった。
「何でファンの人がそんなことを……」
「行き過ぎた奴ってのが世の中にはいるもんなんだよ。理解の範疇を超えた愛ってやつかね。ま、酔っ払ってたってのもあるが、どちらにしろタチが悪い」
マスターは忌々しそうに吐き棄てる。
「ただこれはな」
マスターの口からまた白い煙が舞う。
「青蓮と確定されてるわけじゃないんだよ」
「……どういうことですか?」
ディノは首を傾げた。
「青蓮本人は、暴力は受けていないと言っててな」
「……え? その、青蓮さんって人は怪我をしていたわけでしょう? それに犯人だって、目撃者だっているのに」
ディノは少し驚いたようにマスターに質問する。
「まあ、帰りは真っ暗だ。店の終わりが遅いんだから。暴漢も酔っ払ってたし、目撃者も青蓮らしい女だったというだけであって確証はない。しかも警察が来た時には、その青蓮らしい女はいなくなってたそうだ」
「じゃあ、直接青蓮さんを訪ねればいいじゃないですか。だって怪我してるんでしょう?」
マスターはそれを聞いて困ったように頷く。
「もちろん警察だって行ったし、俺も訪ねたさ。あいつの家に。だが――」
『暴力を受けたのは私ではありません。でもそんな事件があったのなら、怖くて外には出られません。暫く放っておいて下さい』と、ドア越しでそれだけ告げられたらしい。
「その後も何度か……昨日も様子を見に行ったが、同じことの繰り返しでな。無理矢理もできないし。声の様子からだと怪我も平気そうだし、大丈夫だとは思うんだが」
警察も違う女性である可能性を考えて、今も被害者を探しているらしい。
「お前を雇ったのもな、雑用はもちろんだが、青蓮の護衛も頼もうと思ってたんだよ。本当はこうなる前に、ちゃんと守ってやればよかったんだが……」
マスターは深く溜息を吐いて、吸っていたタバコを灰皿へと擦り付けた。
成程、それで剣の腕前を聞かれたのかと、ディノは納得した。しかしその青蓮という人は、今一体どうしているのだろうか。
事件からはすでに一週間以上経っている。一人で怯えながら、一日一日を過ごしているのだろうか。被害者が本当に青蓮だったという可能性だってあるのだ。もしそうならば、怪我をしている可能性もある。
ディノはそこまで考えると、居ても立ってもいられなくなった。
話に夢中でそのまま手にしていた皿を置き、マスターへと向き直る。
「その青蓮って人の家はどこなんですか?」
気付くとディノは、そう口にしていた。




