元暗殺者と凄腕暗殺者・1
『頼みを聞いてくれないか?』
突然の電話だった。電話なんて大抵突然だが。
五年振りに聞いた声は焦燥を含み、どこか弱弱しくも聞こえたが、僕はすぐにその声の主がわかった。
かつての恩師、イヴァン・バラキンだ。
懐かしさと罪悪感が一気に僕の心に押し寄せる。
『会って話がしたい』という彼の言葉に、僕は茫然と肯定の言葉を述べるしかなかった。
もう二度と会うことはないと思っていた。合わせる顔だってなかった。
両親が亡くなってから、何の取り柄もない僕を十数年間育ててくれた。何とかその恩に報いようと、一生懸命彼の仕事を手伝った。
でも、僕には才能が無かった。いや、向いていなかったと言うほうが正しいかもしれない。結果、彼のもとを離れた。
「久し振りだな。――辰夫」
そう言った彼の眼差しは、とても優しかった。
五年の月日が経ち、やはり老いたと感じはしたが、その眼差しは変わらなかった。
しかし、まさか車椅子生活を強いられているとは思いもしなかったが。
「……私も年だからな」
僕の視線に気付いてか、イヴァンさんは苦笑する。
よくよく考えれば彼は今、八十近い年齢のはずだ。足を悪くしても仕方がない。
「すまない。もう……お前に関わるつもりはなかったんだが……」
僕は首を横に振る。
謝らないで下さい――そう言葉を発そうとしたが、口が渇いて上手く声に出せなかった。
五年前と変わらないイヴァンさんの家の香りがやけに鼻に付く。懐かしさだけではない、何とも言えない気持ちが呼び起こされる。
「……元気にしていたか?」
ただ立ち尽くす僕に、イヴァンさんは静かに問い掛ける。
「はい……」
その一言を発するだけで精一杯だった。
彼はどこか安堵したようにそうか、と呟いた。
「イヴァンさんは」
お元気でしたか――そう言いかけてやめた。
ただでさえ足を悪くしているのに、電話越しに滲み出ていた焦燥を思い返せば何か悪いことが起きているに違いない。だからこそ、僕を呼んだのだろうし。
そんな僕の考えを見透かしているのか、イヴァンさんは目を細めた。
「再会するなら、違う形で再会したかったが……。辰夫、私の話を聞いてくれるか?」
僕は頷いた。そのために来たのだ。
イヴァンさんは車椅子をゆっくりと動かし、窓のほうへと顔を向ける。
今夜は満月だった。
不意にこちらを見た彼と目が合う。
「ヨシフが死んだ」
感情のない言葉だった。
会ったことはないが、確か彼の一人息子の名前だったはずである。
無言のままでいるイヴァンさんの様子を見て、はっとする。
「殺されたのですか?」
思わずそう聞き返していた。彼はゆっくりと頷く。
「暗殺に失敗した」
暗殺。
それがイヴァンさんの――バラキン家の仕事。依頼を受けたら殺す。ただそれだけの仕事。僕もかつては――その仕事を請け負っていた。
「相手は、千石組の幹部だった」
僕はその言葉に目を見開いた。
「同業者……ですか」
正確には違うのかもしれない。
千石組は元は小さな暴力団だった。金貸し業が主な仕事だったが、そのうち暗殺者を雇うようになり、随分と手荒な方法で成り上がってきたらしい。しかし暗殺業の味を占めたのか、より良い人材を得るため、今度は千石組内で暗殺者の育成に力を入れ始めたのである。その成果が出たのか、現在では暗殺業が主な仕事になっているという話を聞いた。
しかし同業者の暗殺依頼など、そうそうあるものではない。いわば商売敵なのだ。何より危険すぎる。たとえヨシフさんが暗殺に成功していようとも、必ず何か報復があっただろう。
「何を思ってあいつがこの依頼を受けたのかは、わからない。しかし、あいつは……ヨシフはこの仕事に疲れていた。それを知りながら私は、ただ黙って知らぬ振りをしていた」
彼は淡々と語る。
息子とうまくいっていないことは、昔イヴァンさん自身から直接聞いた。ヨシフさんの妻が殺されたのだ。ヨシフさんに恨みがある人間によって。もちろんその恨みとは、暗殺の仕事によって生まれたものである。そして仕事を辞めると申し出たヨシフさんを、彼は許さなかった。
「もしかしたら、暗殺業を営む者をただ殺したかったのかもしれん。自滅覚悟で……な」
最後の言葉には彼の切ない感情が浮かび上がる。
僕は何も言えなかった。
暫くの沈黙の後、イヴァンさんが口を開く。
「そして辰夫、ここからが本題だ」
彼は真っ直ぐ僕を見る。先程までの彼とは違い、その瞳には焦燥の色が浮かんでいた。
「ヨシフの息子、つまり――私の孫であるキリルを守ってほしい」
それが五年振りに会った彼の、僕への頼み事だった。
イヴァンさんと別れた後、僕はすぐに彼の孫であるキリルに会いに行った。
キリルは父親のヨシフさんによって、一歳の時に孤児院に預けられたらしい。ヨシフさんの妻が亡くなってすぐの事だ。以降、イヴァンさんはキリルに会った事がない。キリルは何も知らないのだ。自分が暗殺一家の生まれだということを。
僕は最近滅多に使うことのなかったバイクを、多少手間取りながらも急いで走らせた。
そして教えられた家へと辿り着く。
その家の前には、一人の青年が立っていた。恐らく彼がキリルだろう。
「あんたが、小田島辰夫……か?」
そう問う彼の顔は蒼白だった。僕はそれに頷いて返事をする。
「イヴァンさんの手紙で、全部……知っているんだよね」
今度は彼が頷いて返事をした。
混乱しているに違いない。平和だった暮らしから一気にどん底へと突き落とされたのだ。
僕がしっかりしなければ。
そうやって自分に言い聞かし、とにかくすぐにここを離れようとキリルに言った。彼はすでに準備ができていたらしく、バイクの後ろに乗る。
そして、僕の家へと向かった。
僕は、長年押入れの中に仕舞っておいた大きな箱を取り出す。何度も棄てようと思ったそれは、すっかりと埃を被っていた。
少し躊躇いながらも、蓋を開ける。
「っ! ……人殺しの道具か……」
キリルが驚いたように掠れた声を出す。
僕はその言葉には反応せず、〈人殺しの道具〉であるナイフなどの刃物の切れ味を確かめながら手入れを始める。まだ十分使えそうだった。
キリルは疲れたように床に座り込み、僕を見上げた。
「あんたも暗殺者なのか? 俺の祖父とどんな関係なんだ? 手紙じゃあ、信頼できる者に任すなんて書いてあったけど」
信頼できる者、か。
イヴァンさんが僕のことをそう思ってくれていたことが素直に嬉しかった。
「僕は弟子だよ。五年前に足を洗ったけどね」
「今は違うのか」
「違うけど……君を逃がすことぐらいはできる。安心して」
そう。逃がすことさえできればいい。
イヴァンさんにそう言われた。
千石組が簡単に手を出すことができない土地まで。ここから二、三日バイクを走らせたところにイヴァンさんの伝手があるらしい。そこならキリルを匿ってもらえると。恐らくどこかの組が仕切っている土地なのだろうが、僕はそれ以上は聞かなかった。
キリルは箱の中身を見つめる。
「つまり、わざわざそんな古いもんを持ち出してまで俺を助けてくれるのか」
僕は手を止めた。言葉に詰まる。
「俺はさ」
「え?」
「俺はさ……知ってたんだ。親父が暗殺者だってこと」
その言葉に、僕はまた「えっ」と聞き返してしまう。彼は虚空を見つめながら語り出した。
「まあ親父も俺にちょくちょく会いに来てたし。普通じゃない仕事をしてるってことは、雰囲気で何となくわかってたんだ。孤児院に預けられてた訳だしな。それでさ、五、六年前かな。ちょっと調べたんだよ、うちのこと。そしたらまあ、ほぼ予想通りの答え。でも俺は親父に何も言えなかった。怖くて悲しくて。だけど、やっぱ態度に出てたのかもな。予想してたとはいえ、実際本当に親父が人殺しをしてると分かったんだから。怖いって感情が出てたのかもしれない。親父はそれから暫く、俺に会いに来なくなった」
僕はただ黙って彼の言葉を聞いていた。
「そしたら最近、ふらりと俺の前に現れた。元気にしてるかって聞いてきたから、俺はたくさん親父に話をしたよ。親父も楽しそうに聞いてくれるから、俺は夢中になって話した。でも親父のことは何一つ聞けなかった。時間もだいぶ経って、そろそろ帰るって親父が言った。俺、まだ話し足りなくって、次はいつ会えるって聞いたんだ。そしたら一瞬、悲しそうな顔するんだ。その時思ったよ。これで会うのは最後にするつもりだったんだって。親父はまたすぐ来るって言った。もう嘘にしか聞こえなかった。でも俺は親父を引き止めることもできなくて……。そしたら、あの手紙だよ。祖父がいることもうちのこと調べた時に知ってはいたから、俺は疑うこともなく、ああ死んだかって。まあ、俺まで狙われることになったってのには驚いたけど」
自嘲気味に語るキリルに、僕は何も言えなかった。
だけど、ヨシフさんはやはり死ぬつもりで千石組に挑んだということか。まさか、自分の息子にまで危険が迫るとは思ってもいなかったのだろうが。
「祖父は……どうしてるんだ? 千石組の奴らがバラキン家を絶やすつもりなら、祖父も狙われてるんだろう?」
言いたくなかった。でも、言わなければならない。
「逃げずに……迎え撃つつもりみたいだ」
キリルは何も言わなかった。
千石組はヨシフさんを殺すだけに留まらず、良い機会だとばかりに商売敵であるバラキン家を全滅させる気らしい。イヴァンさんはわざわざ千石組から宣告されたのだ。
当然、僕はイヴァンさんも一緒に連れて行こうとした。
だけど、彼の意思は固かった。
「君のことを……とても心配していたよ」
イヴァンさんにとって僕は、キリルの代わりに過ぎなかったのかもしれない。孫に会うことのできない寂しさを僕で埋めていただけなのかもしれない。でも、僕に注いでくれたイヴァンさんの愛情は僕にしかわからない。
キリルは何も知らないのだ。イヴァンさんのことを、何一つ。
だから僕は少しでも伝えたかった。イヴァンさんがどれだけキリルのことを思っていたのか。
「……親父も死んだってのに……もう、祖父にも会えないってことかよっ……!」
「……まだ決まったわけじゃない」
俯き嘆く彼の頭に、そっと手を置いてやる。
守らなくては。キリルを。
そして、そのためにも僕は。
冷酷にならなければいけない。




