天使と悪魔と従者・序
一体、どうしてこんなことになったのか。
自分は夢でも見ているのか。
もしこれが夢ならば。
まさしく悪夢である。
何故ならば、俺の目の前には。
悪魔が立ち塞がっているのだから。
俺の名前はクルト。年は十九になる。
ちなみに名前は偽名だ。昔の名前が気に入らないから、適当に付けた。
正確に言えば、そこらの子供に『俺に相応しい名前を付けろ』と命令して付けさせたんだが。まあこれも気に入ってるわけじゃない。つーか俺には似合わない。だいたい響きが可愛らしすぎるだろ。一体ガキは何を思ってこの名前を選んだんだか。
まあ別人のような名前だからこそ、今現在もその名を名乗っているとも言える。
そう。
俺はクルトとして生きることを選んだ。
腐りきった実家を飛び出し、小さな工場で働き出した。でも、イマイチぱっとしない生活にイライラしてケンカ沙汰を起こし、即クビ。俺を庇ってくれた珍しい人間もいたけど、イライラが頂点に達していた俺は、逆ギレして工場を飛び出してった。
結局、何も変わっていない。
クルトも、昔の俺のまんまである。
んで自棄酒した挙句、泥酔状態の俺にスリが目を付け、貴重な財産がパーになったという体たらく。
夢であってほしい。何度そう思ったことか。
それから数日。俺は残飯漁りをしつつ、公園でボケーッとしていた。放心していたと言っても良い。何をしたらいいのか、わからなくなったわけだ。
だけどそんな俺に一つの幸運が舞い降りた。
『あの、大丈夫ですか?』
一人の少女が声を掛けてきたのだ。ガキではあったが、気品のあるガキだった。
金持ちの娘だ。
自分でも最低だと思う感想だが、その時の俺に、金以外のことを考える余裕なんてなかった。
心配そうに顔を覗き込まれ、何となく後ろめたくなる。
『あの、よろしければうちで休まれませんか?』
思いもよらない少女の言葉に、俺は目を点にした。新手のツツモタセかと思った。でも、明らかに金など一銭も持ち合わせていないだろう俺に、そんな引っ掛けをしても無駄だし。
何より俺はロリコンではない。それだけは強調しておこう。
少女はそんな俺を見て、慌ててしかし丁寧に説明し出した。どうも俺が長らくこの公園に滞在していた様子を見られていたらしい。
いや、他にも子供やその親が俺を怪しい目で見ていることに気付いてはいたが。
今考えれば、よく通報されなかったものである。
とにかく、要はただ親切で言ってきてくれているということだった。これを鵜呑みにするのもどうかとは思ったが、俺の体力も限界に近かった。結局促されるままに、フルールと名乗った少女に従ったのである。
そこは想像通り……いや、想像以上の見事な豪邸だった。
メイドに至れり尽くせりの世話をされ腹も満ち、自分何やってんだろうという至極尤もなことを考えられるまでに回復した。
『この恩は忘れない。いつか必ず恩返しする』
そう言い残し、非常に身勝手ではあるが、俺はその場を立ち去ろうとした。
しかしその時、豪華な扉が威勢良く開け放たれた。
そこには全身黒い衣装に身を纏った男が佇んでいた。あまり言いたくないが、この時の俺にはこいつが美男子に見えてしまった。
『貴様、このオレに無断で屋敷に立ち入るとは……』
怒っている。明らかに怒っている。
『グラス! 彼はわたくしが連れてきたんです!』
その様子を見たフルール嬢(一応命の恩人なので呼び捨てはいかんだろ)は漆黒の男に呼びかける。
その言葉にピクッと男が反応する。
と思ったら、急にフルール嬢に泣きついた。
『フルール! このオレという者がありながら、何故こんなみすぼらしい若造を!?』
俺の中の時が止まった。当然、見た目と行動のギャップにも驚いたわけだが、問題はそこじゃない。明らかにグラスという男は、二十半ばくらいの年齢に見える。
ロリコンだ。ロリコンがいる。俺は即座にそう思った。
数分後、フルール嬢の必死の弁明によって、何とかグラスと呼ばれる男は落ち着いた。
しかし、相変わらず俺を見る目には怒りの炎が宿っていた。
これはさっさと帰るが吉、なんて思って立ち去ろうとすると、フルール嬢が俺にとんでもない提案を吹っ掛けてきた。
『うちで働いてくれませんか?』
フルール!――と一拍間を置いて、グラスは叫んだ。
しかしフルール嬢は少しも動じることなく、
『ちょうどいいではありませんか。従者を探していたのですから』
と言って、ニッコリと微笑んだ。その笑顔に弱いのか、うっとたじろぐロリコン男。
しばしの葛藤から、男は俺の前へと立ち塞がる。
バサッ!
突然グラスの背中から黒い大きな物が飛び出してきた。
一対の漆黒の翼。
『フルールに手を出したら……』
顔が近付く。
『殺すからな?』
これが、俺の悪夢の始まりだった。……言い過ぎかもしれんが。




