天使の恋心
まさか、まだ不老不死を追い求めている人間がいるなんて。私がいた、あの研究所が受け継がれて存在していたなんて。私をずっと、探し続けていたなんて。
酒場に来ていたのは千石組の幹部だという男二人。私が不老不死だということを知っていた。
そして、あの研究所のことも。
そこまで知られているのなら、私に抗う術などない。
「もう、嫌……」
涙が自然と零れてくる。私は冷たい石の壁に寄り掛かった。
薄暗い牢屋。堅い縄で結ばれた両腕。
これから私はどうなるんだろう。またあの辛い日々に戻らなければいけないのだろうか。
ディノは――彼はどうしているだろう。せっかく一人ではなくなったと思ったのに。
でも、これでよかったのかもしれない。私と一緒にいることは、ただ彼を苦しめるだけかもしれない。不老不死から元の人間に戻る方法なんて見つかるわけがないのだから。
「ぅっ……ひっく……」
私は泣き崩れる。こんなに泣いたのは久し振りだった。
その時、石の壁がコツコツと音を立てた。驚いて、その壁を見る。
「あの……泣いていらっしゃるのですか?」
人の声。それも女の子の声だ。
壁の向こうから聞こえる。石の隙間から声が漏れているようだった。
「だれ……?」
「えっと……フルールと申します」
私の質問に素直に答える女の子。
あなたは?――と聞かれたので、私は青蓮だと答えた。
「まあ、素敵なお名前ですね」
まるで場違いな明るく可愛い声に私は戸惑う。
「実はわたくし、少し体調が悪くて宿屋で眠っていたのですけれど、気が付いたらこの薄暗いお部屋にいまして」
まさかこの子も攫われてきたのだろうか。
「体調は大丈夫なの?」
私の問い掛けに彼女は、すっかりよくなりました――とまた明るい声で返してくる。
絶対にこの子は事の重大さをわかっていない。
「あの、ところで何故泣いていらしたのです?」
彼女の明るく能天気な声に、私の涙はすっかりと枯れ果てていた。
「……何でもないわ」
「どうぞお話し下さい。心の中に閉じ込めておいても、ただ辛いだけです」
まるでシスターのようなその言葉に、また涙が零れそうになる。
「ここには……攫われて来たのですか?」
意外にも彼女自身、どうやらそういう意識はあったようである。
もうここまで来たら、今さら隠したって意味がない。
「ええ……不老不死だって言ったら、信じてくれる?」
そう思って顔も知らない女の子に自分の正体を言ってしまった。
「っ! ……そうでしたか」
その反応に少し違和感を持つ。
「ええ、わたくしはあなたを信じます」
声のトーンが変わった。どこか大人びた、力強い声。
少し驚いたけれど、その言葉はとても嬉しかった。
「私を捕まえた奴らはね、私の不老不死の血を欲しているの」
「血を?」
「そう。私の血を飲めば、不老不死になれるから」
「人魚のものでなくても……ですか?」
彼女の言葉に絶句する。
何故そんなことを知っているのか。
「あなた……何故それを?」
フルールは少し躊躇うように間を置いた。
「……あの、青蓮さんも信じていただけますか?」
「……何を?」
「わたくしには……生まれる前から決められた婚約者がいるのですけれど」
どこかの富豪の生まれだろうか。彼女の丁寧な話し方からして、きっとそうなのだろう。
しかし急に何の話をし出すのだろうか、この子は。
「彼は、悪魔なのです」
悪魔?
意表を突かれる言葉に、私はまた絶句する。
「青蓮さんはどうしたいのですか?」
話が突拍子もなさすぎて思考回路がついていけない。
どうしたいって、一体何が?
「元の体に戻りたくはないのですか?」
そんなの。
戻りたいに決まってる。
でも、それはただの幻想。ありえない。
「少し、わたくしの話を聞いていただけないでしょうか」
フルールの話は、童話で有名な〈天魔封印〉の物語が史実に基づいているということ。
彼女の婚約者のグラスという男は、その悪魔の生き残りだということ。
また、人魚は元悪魔と人間の間に生まれた存在だということ。
そして、グラスは人魚と不老不死を一掃しようとしているということ。
どれも信じ難い話ばかりだった。自分自身、信じ難い存在だというのに。
「もし、その話が事実なら……私はあなたの婚約者に殺されるのね」
「そんなこと……させません」
フルールの声は悲しそうだった。
「あなたの帰りを待っている方がいるでしょう?」
その質問にディノの顔が浮かぶ。
「もしかしたら、あなたを助けに来てくれるかもしれません」
彼なら来てくれそうな気がする。だけど、彼一人で千石組に立ち向かえるとは思えない。
なら、来なくていい。来ないでほしい。
「グラスなら……元に戻る方法を知っているかもしれません」
「……やめて!」
私は両手で耳を塞いだ。そんなのは聞きたくない。
そんな確証もないことに期待をしたくない。
傷つくのが怖い。
「……ごめんなさい。確かにこれは確証がありません。でもわたくしは……きっと方法があるのだと信じます」
どうして。
どうしてディノみたいなことを言うの?
どうしてそんなに信じられるの?
「……あなたは、その悪魔のことが好きなの?」
何でかわからないけれど、私はフルールにそう質問していた。
だって恐ろしい悪魔の婚約者だなんて、私なら嫌だと思う。
「好き……だと思います」
曖昧な返事だった。
「まだ子供なので……恋ってよくわからないんです」
自分を子供だという彼女は、そこら辺の子供よりずっと大人だと思う。
「でも、グラスといる時間はとても好きです。優しくて、わたくしをとても大事にしてくれます」
嬉しそうな声で話すフルール。第三者の視点から言わせてもらえれば、それは十分恋だと思う。
「でも、時折とても遠い人に感じる時があるんです」
「遠い?」
「グラスはこの世界にたった一人、悪魔として生きてきたのです。何百年も」
たった一人。私と境遇が似ている。
「たまたま力を無くさず悪魔のままだったがために、凄く寂しい思いをしてきたのです」
一人だけ周りと違うというのは本当に辛く寂しいことだ。そう思うと、その悪魔にも同情してしまう。
「グラスは、本当は魔界に帰りたいのだと思います。よく空を見上げているから……」
そこでフルールは言葉を切った。だから彼を遠い存在だと思ってしまうのだろう。
「でも、何故あなたと婚約を?」
「わたくしの家の先祖は、元天使だそうなんです」
今度は天使か。悪魔がいるのであれば、天使がいてもおかしくはないのだろうけど。
「じゃあ、あなたは天使の子孫ってこと?」
私の言葉に彼女は、ええ――と返事をした。
「〈天魔封印〉の際、天界に戻れなかった天使が一人だけいたそうです」
それが彼女のご先祖様ということか。
ということは、その天使も人間として生きたのだろう。
「グラスはその天使に魅かれていたそうです。告白もしたらしいんですが、振られました」
「……振られたんだ」
私は改めて彼に同情する。
「その後、グラスはその天使が築いた家族を何代も何代も見守っていたそうです」
「そんなに未練があったってこと?」
「本人曰く、暇だったからだそうです」
どんな理由だ。
「そうして見守っているうちに、一人が寂しくなったそうです。だから、その家で女の子が生まれたら自分の花嫁にしようと思った、と言っていました」
結構、身勝手な悪魔である。
「でもなかなか女の子が生まれなくて、やっと生まれたのがわたくしだったそうです」
幸か不幸か。彼女と話していればわかるけれど。
それにしても。
「彼からあなたにそんな話をしたの?」
まあ天使に惚れたというのは過去のことなのだろうけど、その子孫だからという理由で婚約者に選ばれるのは一体どんな気分なのだろうか。
ふふっと、フルールの笑い声が聞こえた。
「もちろん、わたくしが問い詰めました」
意外と狡猾なところがあるらしい。
「とても申し訳なさそうに話していました。でも、わたくしはグラスの婚約者になれてとても嬉しいです」
彼女から聞く悪魔は、とても人間味に溢れている気がしてちょっと面白い。
「二十歳になったら契約をするんです」
「契約?」
「グラスと永い時を一緒に生きるための契約です」
それは――
「いいの?」
「わたくしはグラスを幸せにしてあげたい。それがわたくしの幸せなんです」
この子は凄い。
それはもう、本当の恋だ。
「でも最近、ちょっと楽しそうなんですよ、グラス」
フルールは嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「少し前にクルトという従者を雇ったのです。とても義理堅くて良い方なんですが、グラスとはしょっちゅうケンカして」
クルトという名前を聞いて、ふと芽衣の大事にしていたブタのぬいぐるみを思い出す。つい、悪魔とブタの喧嘩を想像してしまった。
しかし、それで何故楽しそうなのだ。
「あんなに大っぴらに話すグラスを見たのは、初めてだったんです」
成程。
「喧嘩するほど仲がいいってことかしら?」
「そうですね」
私の言葉に彼女はクスッと笑った。本当に嬉しそうだ。いつの間にか私も笑っていた。
その時、微かに足音が聞こえた。それは徐々に大きくなってくる。
「誰か来ますね……」
フルールの声に緊張と不安が混じる。
足音が止まったと思ったら、私の牢屋の扉が開いた。下っ端だろう男が二人、立っている。
「出ろ」
男の一人が命令する。私は無言のまま、それに従った。
フルールがいる牢屋の前を通る時、私の名を呼ぶ彼女の泣きそうな声が聞こえた。
「大丈夫よ」
私はそう告げる。だけど、これはただの気休めにしかならないだろう。彼女だってこの後どうなるかもわからないのに。
その悪魔という奴がフルールを助けてくれることを祈るばかりだ。
そう思いながら、私は重い足取りで牢屋を後にした。




