元暗殺者と凄腕暗殺者・4
町を目指して数時間。赤い夕暮れの中、僕達はとある町を見つけた。何とか人のいるところに辿り着いたのでほっとする。
しかし、背中の彼女の息遣いは荒くなるばかり。僕はすぐに医者を探すことにした。
こじんまりとした病院の一室。
彼女は苦しそうではあるが、先程よりは落ち着いた様子で眠りについていた。
医者に見せたところ、肺炎になりかけていたそうである。数日、安静にしていれば治るだろうと診断された。一先ず彼女は安心だ。
僕は部屋を出て、病院の隅に置いてある電話へと向かった。事前にこういう事態も考えて、イヴァンさんからは目的地の伝手である知人の番号を聞いていた。
この時間なら、キリルはすでに目的地に着いているかもしれない。
受話器を手に取り、暗記した番号を押していく。四回目のコールで電話が繋がった。
『はい。笹井です』
落ち着いた声の男が出た。
「イヴァンさんの依頼を受けている小田島です」
僕は簡潔に述べた。
『……本人のようですね。話は聞いています』
どうやって本人確認したのかはわからないが、とりあえず信じてくれたのなら別に何でも構わなかった。
「キリルはもう着いているでしょうか」
『ええ、無事に到着致しました。今代わります』
『小田島さんか!?』
間髪いれずに電話機から響いた大きな声に驚く。しかしそれがキリルの声だと理解した途端、一気に肩の力が抜けた。
『無事だったのか!? 怪我は!?』
「僕は大丈夫だよ。それより、キリルこそ一人で大丈夫だったのか? 他に追手がいたりとか……」
『無事だったのか……よかった。俺も大丈夫だった。全速力でバイク走らせたからな』
思ったよりも元気そうな声に、僕は安心する。本当に無事でよかった。
『……でも、あんた凄いんだな』
「何がだい?」
『いや、だって千石組ナンバー2とかいってた奴も……倒したんだろ?』
少し言葉を選んで問い掛けるキリル。
本当のことを言うべきかどうか。しかし、ここで本当のことを言ったら彼に心配をかけるだけだろう。彼女が僕を殺そうとすることも十分に考えられる。
「まあ、何とかね」
適当に返事をすることにした。
「それより、キリルはそっちでやっていけそうかい?」
僕の質問に、キリルは少し口籠る。
『うーん、そうだな。ここも結局、大声では言えない商売してるとこだからな。まあ、悪い人達じゃないと思うから。暫くはここで世話になるよ』
「そうか……」
わかってはいたが、やはり裏の仕事をしている人達だったか。しかし、イヴァンさんが自信を持ってキリルを預けることにしたのだ。悪いようにはしないだろう。
『あんたは、これからどうするんだ?』
僕は言葉に詰まる。僕の役目は果たしたが、今の状態ではとても日常に戻ることはできない。
『……祖父は、どうしたんだろうな……』
弱弱しくなるキリルの声。僕もイヴァンさんの現状を把握したい。
「キリル、とりあえず一旦電話を切るよ。落ち着いたら、また連絡する。イヴァンさんのことも……またその時に」
『……ごめんな、小田島さん。巻き込んで』
「僕は自分の意思で行動してるだけだよ」
そう。全ては僕自身の意思。誰のせいでもない。
『ここの人達から聞いたけど、千石組はかなりタチが悪いらしいから……気を付けてくれな。何もできないけど、連絡……待ってるから』
「ああ、必ず連絡する」
力強く返事をした。
『……それでは電話を切らせていただきます。キリルと連絡を取りたい時は、どうぞまたここにお掛け下さい』
声が笹井という男に代わる。どこか優しさを感じる口調だった。キリルの言う通り、悪い人ではないのだろう。
「ありがとうございます。キリルのこと、よろしくお願いします」
そう言って電話を切る。
そしてすぐにイヴァンさんに電話を掛けた。
やはり、出ない。
僕は気持ちが晴れないまま、U2のもとへと向かった。
これからどうするべきか。そろそろ千石組が異変に気付く頃だろう。もうキリルが狙われることはないだろうが、標的を変えて僕を狙ってくるかもしれない。
その時。
背中に悪寒が走る。
短剣を背中に突きつけられていた。しかし、殺気は感じられない。
「動かないで下さいね」
耳元で囁かれる。
男だ。
「千石組の手の者か」
「そうです」
男はどこか面白そうに答える。
「実はあなた方がこの町に来た時から、見つけていましてねぇ。つけさせてもらいました」
失態だ。
「どうやら、キリル君には無事に逃げられてしまったようですねぇ」
どうする。ここで戦うか。今は好都合なことに周りに人がいない。
「とりあえず、U2のところにご案内いただけますか?」
男の目的が読めない。僕を殺しに来たのではないのか。
病院内で安易に戦うべきではないだろう。仕方なく男の言うがままに彼女の部屋へと入る。男はぴったりと僕の背中にくっついているため、姿は見えない。
「こんなに弱りきった彼女は初めて見ます。実に愉快だ」
そう言うと男は、僕を急に突き放した。
僕は彼女を背中にし、男と対峙する。
真っ白い長髪の男だった。帽子を深く被っているが、見たところ僕と同じくらいの年齢ではないだろうか。
「あなたに背負われていた時は目を疑いました」
「殺しに来たのか?」
これ以上、無駄にこの男と会話をするつもりはない。
「いいえ。私は偶然あなた方を見かけただけですから。何の命令も受けていませんよ」
予想外の答えだった。
男はクスクスと笑い出す。
「まさか千石組ナンバー2の彼女が失敗するとは誰も思っていないでしょうねぇ。今頃、慌てているんじゃないですか?」
笑ってはいるが、この男の異様な空気に僕は身動きできなかった。
「……B5……」
後ろから微かに声がした。
彼女だ。
「おや、目を覚ましましたか。それはいい」
B5と呼ばれた男は、持っていた短剣を彼女に投げた。
殺そうとしたのではない。渡したのだ。
彼女は驚きながらもしっかりとそれを受け取った。
「これで、何をしろと……?」
僕もB5という男の真意がわからない。
「そこの小田島さんを殺して下さい」
男は微笑みながら、きっぱりと言い放つ。
「このままだと、あなたは任務失敗という烙印を間違いなく押されることになるでしょう。しかも敵に情けをかけられ、一命を取り留めている。そんな愚かしい暗殺者、千石組から見切られ、殺されてしまいますよ? いくら組のナンバー2といえど……ねぇ?」
そう言って男は彼女を見据える。
「小田島さんを殺せば、私が幹部にあなたを見捨てないよう一肌脱いでさしあげましょう」
彼女は無言のまま、動かない。
彼女がどう返事をするのか、全くわからなかった。
僕はまだ死ぬわけにはいかない。だけど、できれば彼女とは戦いたくない。
彼女の人間らしい一面を見てしまったから。
「もう組に戻る気は……ない」
弱弱しいが、強い意志がその声にはあった。
瞬間、彼女は短剣をB5に投げつける。
「小田島!」
彼女に名前を呼ばれ、すぐにその意を汲み取る。
B5が短剣を避けた一瞬の隙をつき、僕は彼の背後に回る。彼の首にナイフを突きつけた。しかし、僕の脇腹にもナイフを突きつけられる。
B5は面白そうに含み笑いをする。
「いいですよ、U2。そうでなくては」
殺気を感じる。動けなかった。
この男、彼女と同じか、あるいはそれ以上の実力を持っている。
「あなたに残された道は、二つ」
「ぐっ!」
彼の肘鉄を食らい、僕は床に倒れ込む。
「一生、千石組から逃げ続けるか……」
B5は踵を返して扉のほうへと歩き出し、それとも――と言って、彼女に視線を送る。
「千石組を潰すか」
凶器のような顔を張り付かせた彼に気圧された。
しかし一瞬で彼の表情は笑みへと戻り、何かを思い出したように僕を見た。
「ああ、そうそう。小田島さんに伝えておきたいことがあったんですよ」
嫌な予感がした。
「あなたの師匠、イヴァンさんのことなんですけどねぇ……」
ああ。
「彼は」
やめてくれ。聞きたくない。
「私が殺しました」
僕は。
その場で凍りつく。
「それでは、またいずれ」
白髪の男はゆったりとした足取りで、部屋を出て行った。
「小田島……」
彼女が声を掛けてくる。でも返事ができなかった。
わかっていたことなのに。
わかっていたことなのに。
あの男が。千石組が。
この時、僕はある決意をした。
二日後、驚異的な早さで彼女の体調は回復した。その間、僕は看病をしながらこの町で千石組の情報を得ていた。
どうやら、僕達がこの町に来た日、千石組の幹部もやってきていたらしい。恐らくB5はその幹部と接触するためにこの町にいたのだろうと、彼女は言った。しかし彼女によれば、千石組の幹部が動くことは稀なことらしく、特別大きいとも言えないこの町に何の用だったのかは、はっきりとはわからなかった。
ただ、酒場の〈歌姫〉を連れ去ったという話が町中で話題になっていた。酒場を訪れた千石組の幹部に粗相をしただの、見初められただの、色々と噂されていたが、これもまた事実はわからなかった。
僕達はとりあえず、町を出ることにした。いつまた千石組に狙われるかもわからない。
「小田島、前ぶつかる」
彼女が呆れたように僕に声を掛ける。
気付けば、目の前には大きな紅葉の木があった。いつの間にか町はずれの広い原っぱに来ていたらしい。もう少しで痛い目を見るところだった。
「ありがとう……ゆ」
彼女に礼を言って、名前を呼ぼうとした。が、途中でやめた。
「何?」
彼女が不思議そうに僕を見つめる。
「君、名前ないのかい?」
U2というのは、ただのコードネームだろう。
彼女は少し驚いたような顔をし、
「U2が名前だけど」
と不機嫌そうに言った。
「物心ついた頃から千石組に?」
名前がそれだけということは、そうなのかもしれない。
案の定、彼女は頷いた。
そうか、ならば。
「……アキ」
「えっ?」
「アキ……って名前はどうかな」
僕の提案に、彼女はポカンと口を開け、
「わたしの名前?」
と目を瞬かせる。
そんな彼女の反応が妙に微笑ましく、そうだよと言った。
暫く彼女は無言だったが、
「…………………………い、いいんじゃない」
長い沈黙を置いて、小さな声で呟く彼女。どうやら気に入ってくれたようである。照れているのか、視線を合わせてはくれないが。
本当に最初の彼女の印象とは大違いだ。
僕はそれに、ありがとうと答えた。季節が秋だから、という単純な理由で決めてしまったのだが、彼女にとても似合っている気がした。
「なあ、アキ」
紅葉を見上げながら、彼女に語りかける。
「僕は、千石組を倒す」
イヴァンさんの敵討ち。キリルの今後の平穏のため。彼女――アキのため。
色々と正当な理由を思い浮かべるけど。
自分が、そうしたいから。
彼女を振り返る。
「アキは……どうする? 千石組と関わりたくないのなら、このままどこかに逃げても……」
彼女は一瞬、切なげな表情をする。だけどすぐに、いつもの無表情へと戻る。
「あんた一人で、千石組が倒せるとでも思ってるの?」
確かに無謀ではある。だけど、彼女に力を貸してくれとも言えない。
「言っておくけど、実力は小田島よりわたしのほうが確実に上だから」
その通りだ。加えて僕は五年というブランクもある。
「それと、B5は組織のナンバー4」
先日の白髪の男のことか。
あれでナンバー4なら、本当に無謀すぎる話だ。
「わたしの上のナンバー1だっているのに、あんたはそれでも一人で行くっていうの?」
「ああ」
たとえ無謀だとしても、僕の決意は変わらない。
アキは呆れたように溜息を吐いた。
「それでわたしに逃げてもいいって、馬鹿なんじゃないの」
大昔から、僕は馬鹿なのだ。
「……わたしも行く」
「アキ……」
「別に、B5に会った時から決めてたし。逃げ続けるくらいなら、千石組を倒しに行く」
「いいのかい? 仮にも長年育った家だろう」
あそこでどんな生活をしてきたのかはわからないが、アキにとっては家も同然だろう。
しかし、彼女はきっぱりと言い放つ。
「あそこを家だと思ったことは一度もない。寧ろ、こうなることを望んでいたんだと思う」
彼女も、不満を抱えながら暗殺をしていたのだろうか。
「……小田島は、わたしについてきて欲しいんじゃないの?」
僕の様子を窺うように聞いてくる。
当然、ついてきてくれれば頼もしい。男として情けないとは思うが。
でも、ここで見栄を張る意味もないのだろう。彼女も僕の言葉を待っている。
「一緒に来てほしい」
僕の言葉に、彼女は微かに微笑んで言った。
「もちろん」
穏やかな風が吹く。紅葉がはらはらと舞い散っていた。




